これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

場数を踏むのは悪いこと? コミュニケーションについてあれこれ

 こんな人生相談が話題になっていた。

dot.asahi.com

 私自身は、劇作家やエッセイストとしての鴻上尚史については大ファンで、劇作家の中ではいちばん好きだし、脚本もエッセイもDVDもいくつも持ってるし京都まで講演を聴きにいったこともあるくらいだけど、正直この人生相談の連載はそれほど面白くないと思っているので、ネットでもてはやされているのがよくわからない……とは以前から思っていた。(人生相談は、岡田斗司夫ラブホの上野さん、幡野浩志、が私の中での三大トップ。ちなみに脚本家は鴻上尚史本谷有希子が私の中でのツートップで次点は成井豊かなぁ)

 

 この相談については、「久しぶりにほがらかな相談でなごんだ」という意見もあれば「他人を練習台にするのは失礼だ」「男慣れしていない女性を狙うな」という意見もあるようだ。

 個人的には、正直この回答って目新しくはなく、特段面白くもないので賞賛する人にも共感できないし、批判している人が求めるお行儀良いコミュニケーションも人間というものをわかってないな感があってゲンナリした。

 

 今回、批判的な意見の対象となっているのは、本文にある、

女性慣れするには、女性と何度も話すしかありません」

「4月、大学のクラスでいきなり可愛い女の子に話しかけるなんてのは、130キロぐらいのバッター・ボックスに立つことです。バットにボールが当たるわけがありません。そもそも、130キロは怖いです」

「そういう時は、クラスで「男性と会話することに怯えている女性」を見つけましょう。『6年間、女子校でした。男性とどう話していいか、まったく分かりません』なんて人がいるかもしれません」 

の、くだりのようだ。

 

「練習」は、悪いこと?

 人間関係の構築は、結局は生身の人との交流の場数がものを言う。

 もちろん、恋愛セミナーに通ったり、コミュニケーションについてのワークショップを受講することや、本や映画などから人間の機微を学ぶこともできるだろう。特に読書は、普段の実生活ではなかなか会えない立場の人や、異なる文化圏の人への想像力を働かせる一助にもなるだろう。

 だがそれにしても、セミナーやワークショップでのコミュニケーションはある程度「予定調和」なところがあるだろうし、「読書とは著者との対話だ」みたいな考え方もレトリックとしては好きな考え方だけど、やはり生身の人間との会話のキャッチボールとは質を異にするものだろう。

 そう、今回の相談に対して、「野球に例えるなんて失礼だ」とか「イチゴに例えるなんてキモい」という批判もあったが、「会話のキャッチボール」とか「井の中の蛙」など、比喩にはさまざまなことばが使われる。特に侮蔑的な意味で用いられてもいないだろうし、当人が言われたわけでもないのに騒ぐのは的外れに思えた。

 

 そして、若いうちの人間関係が「練習」になるのは致し方無い部分はあると思う。

 もちろん、だからといって相手を邪険に扱って良いわけではないが、これは大学生になる18歳だけでなく、幼稚園や小学生の子でも同種のことは言えるだろう。

「仲良しなお友達を作りたいのなら、自分から話しかけてみよう。まずは自分と似た雰囲気の子や、話しかけやすそうな雰囲気の子に声をかけてみたら?」という助言はなんらおかしなものではないと思うし、なんなら「スクールカースト」なんて言葉もあるように、学校ではだいたい似た雰囲気の者同士でつるむことが多いのではないだろうか。

 異性と仲良くなりたい場合でも、いきなりコミュニティの人気者に話しかけることを目指すよりは、自分と似たタイプに見える人との交流を試みるというのはまっとうなアドバイスだと思う。

 (キャバクラや性風俗店キャストとの交流を勧めるコメントもあったが、それらはあくまでも「お金との対価」としてのコミュニケーションであり、日常生活のコミュニケーションとは大きく異なるものではないだろうか)

 

トラウマでの批判は悪いこと?

 批判的な意見の中には、「自分自身が学生時代、そのような男性に寄ってこられて迷惑だった」という女性のものも複数あった。

 過去のトラウマを思い出したひとは、それはそれで気の毒ではある。

 ただ、この相談者から実際に話しかけられて困ったわけでもないひとが「こういう動機で話しかけてくる人は不愉快なものに決まっている」と事前に推測でケチをつけ、コミュニケーションのはじまりを腐すこともないのでは、と思う。女性慣れしていない男性を、まるで犯罪者予備軍かのように扱うのも大概失礼な意見ではないだろうか。

 そもそも恋愛であれ友情であれ、人間同士である以上、どこかで摩擦が起きることはあるだろう。気乗りしない誘いは断っていいし、相手の言動で不快になったらそれを伝えればよい。傷つけてしまったらまずは謝る。よっぽどのことでない限り、取り返しのつかないことにはならないだろう。

 雇用主と従業員、教職員と学生……という権力勾配のある関係ならともかく(権力勾配の使い方これで合ってる?)、クラスやサークルのコミュニティ間なら、私的なアプローチそのものがただちにハラスメントと直結することもない。 

 

男女逆だったら?

 以前、話題になった結婚相談所ブログで、女性向けの婚活記事にこのようなものがあった。

ameblo.jp

 この記事も、「失敗してもいい相手で練習」というところに引っかかっていたひともいるようだが、

「自分の求めるスペックの相手ではないからと無碍に断るより、会ってみたら意外といい人で成婚するかも」という言葉で動かない人向けのマジックワードでは……というコメントに納得したひとも多いようだ。

 

 そもそもコミュニケーションは、すべてが「練習」であり「本番」でもあると思う。

 それこそ演劇のように練習と本番が明確に分かれているものではない。なので、「練習」が、ただちに「失礼なこと」になるとはあまり思えなかった。

 

 私も含め、「大人になってからの交友関係のほうが、子どものころよりも楽しい」というひとは多い。これは、大人になってからのほうが行動範囲を広げやすいこと・付き合いを選びやすいことももちろんあるとは思うが、そうやって人間関係を「選ぶ」ことも含め、「場数を踏んできたので、子どもの頃よりもコミュニケーションがこなれてきた」という部分も大きいのではないかと思っている。結果として、若いころの人間関係のあれこれが「練習になっていた」ということもあるだろう。

 

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順序付けるのが悪いこと?

 そもそも、どんな人間関係も多かれ少なかれ序列はつきものだろう。人気ランキングとかそういう話でなくても、大親友もいれば顔見知り程度の関係もいて、関係に濃淡がある人間関係が一般的だ。

 現在仲が良いわけではないひとに対しても、「憧れの存在で恐れ多い」「ちょっと気になる、仲良くなってみたい」「まぁ別に、悪い印象はない」など、いろんなタイプのひとがいるだろう。

「あなたは序列でいうとn番目だから話しかけた」なんてさすがに露骨に言うのは失礼だが、そんな言い回しをする人はそうそういないだろう(し、言われた時点で「それは失礼だよ」と伝えたり、怒れば良い)。

 自身の手の内を相手に伝えてしまうのは失礼になりかねないが、コミュニケーション戦略を考える段階で、順序付けやカテゴリ分けが特段批判されるべきことではないだろう。その表出にはもちろん配慮は必要ではあるが、「いちばんすてきだと思える人以外には一切アプローチしてはいけない。失礼だ」となると……そもそも、私も含めおそらく大半のひとがあぶれてしまうのではないだろうか……。

 

「彼女を作りたい」という動機が問題?

 そもそもどのような関係であれ、人間関係は多かれ少なかれ打算を含むものだと思う。「教室でひとりで浮きたくない」「悩みを相談しあえるママ友が欲しい」「趣味友達を増やして情報交換したい」などの事例は枚挙に暇がないだろう。

「本当に仲良くなりたい人というわけではないのに、一緒にいようとするのは失礼だ」「相談相手や情報交換に、専門家でない人間を利用するな」なんてことを言う人もまずいない。

 また、ボランティア活動やサークル活動などでも「内申書が有利になるから」「就活でアピールできる」「恋人が欲しいので出会いの幅を広げるため」なんて動機で入る人も山ほどいるだろう。むろん、その動機を関係者に露骨にアピールしたら嫌がられることもあるだろうし、トラブルも起こりかねないが、内心はどうであれ、活動をしっかり行えば別に良いのではないだろうか。

 

 また、性愛絡みの目的だけがただちに問題視されるべきだとは思わない。人間関係のトラブルは、いじめやパワハラ、金銭の貸し借り、ネットワークビジネス新興宗教への勧誘等さまざまなことが起こりうる。「いじめに繋がりかねないので、学校の同級生に声をかけることはNG」なんてことを言う人もいないだろう。

 

「人間扱いしていない」のが問題?

 この相談に対する批判的な意見の中で、

"「女子との付き合い方がわからない」ってことは「人間との付き合い方がわからない」ってことでしかない"

というものがあった。

 これは、「女子」の部分を「子ども」「お年寄り」「外国人」など、ほか属性を入れても成立しそうな話ではある。じぶんとは異なる要素の多い他者との交流に戸惑うことはだれしもあるだろう。

「特別扱いする必要はない」「特別扱いされると、居心地が悪い」という主張はわからなくもない。また、女性を過度に神聖化することも女性蔑視をすることも、どちらも同じ「人間としてみていない」ことになるから差別的だ……という意見もわかる。

 ただ、それを「異質な他者との付き合い方がわからないということは、人間との付き合い方がわからないということだろう」と矮小化してしまうのは、問題を見失い、相談者にとっても相手の側に立ってもなんの役にも立たない表現だな……と思ってしまった。

 また、逆説的ではあるが、ある程度交流が深まっていくことで「異質な他者」たちも「ひとりの人間」としての側面が見えてくる、という部分があるだろう。その点からも「まずは人間扱いしろ」という主張は無意味だなと思った。

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そもそもコミュニケーションに正解はない

 私が今回いちばん言いたかったのはこれだ。昨今のネットではどうにも「お行儀のいい、政治的に正しいコミュニケーション」のみ行われるべきという風潮が強くなってきているが、これには異を唱えたい。

 人間関係、特に恋愛に関しては、いわゆる「正しい」振る舞いが魅力的に働くとも限らない。傍若無人な美少女に振り回されたり、強引な俺様イケメンに迫られたり……というシチュエーションを肯定的に描いたフィクションは枚挙に暇がないし、あなただけを「特別扱い」するからこそ、ときめいたり、恋愛として成立する……という部分は大きいだろう。モノアモリー関係では特に大きいのではないだろうか。正しい振る舞いにしかひとがときめかないのならば、「不倫」など存在しないはずだ。

 もちろん個人の好みとしてはさまざまだとは思うが、人間性と恋愛市場での人気が必ずしも一致しないことはわかっているひとも多いのではないだろうか。そこを無視して正しい振る舞いをすべきだと主張するのは、欺瞞にも思える。

 

 もちろん、広義の女性差別はまだまだ残っているからこそ、「正しい」振る舞いがもっと啓発されるべき、まずはそちらが先……という考えにも一理ある。 ただ、こちらがいきすぎると「ナンパや痴漢を喜ぶ女性は頭がおかしい」などの、別方向の抑圧に繋がる可能性も危惧している。欲望のあり方はそう単純な話でもない。それこそ、昨今叫ばれている「多様性」が、もっとも複雑に交わってくる領域だと思っている。

 このあたりの話を、単純な男女論や「正しさ」の枠組みに押し込めようとすることこそが、この相談にまつわる話題の中で私がいちばん引っかかったことだった。みんなわかってるよね、欲望ってそんな単純な話じゃないって。そりゃ、単純化したほうがわかりやすいけど。それで救われるひとも多いけど。

 差別的な振る舞いと欲望について、世の中も個人もどう折り合いをつければいいのかはわからない。ここに関しては投げっぱなしでとりあえず終わらせてもらう。

 

 最後に、相談者のポンプ君、大学入学おめでとう。

 

恋愛王 (角川文庫)

恋愛王 (角川文庫)

 

  鴻上氏の恋愛本といえば、私はこの本を10年前、大学時代に読んだ。

 本は手元にないし、内容は覚えていないけれど、とても面白い本だったように記憶している。当時ブログに書いた感想を抜粋。

まさに「良質な恋愛エッセイ」。著者の、多様な価値観を受け入れる姿勢がとてもあたたかく、じんときた。そして村上春樹を読みたくなる。読み返すたびに違った感想を抱けそうだ。鴻上尚史ってほんとうに小説家なんだなぁ、ということをひしひしと感じた1冊。まさに、著者と「対話」する感覚で読めた。つかこうへいや野田秀樹といった劇脚本家の名前が出てきたのも嬉しかったし、成井豊のとある劇の元ネタのSF小説が紹介されていてちょっとびっくり。この本は現代にも通用する内容も多い反面、時代を感じさせるエピソードや恋愛観の変化なども読みとれる。

 

 

2月23日(日)のライブの見どころ!

 ほぼ全てのSNSで告知していますが、このブログではまだ書いていなかったので、こちらにも告知を。

 2020年2月23日(日)のお昼、ライブに出ます!

 Joint Concert Vol.1
 2020年2月23日(日)13:30開演
 開場13:15 終演予定16:30
 新宿 Y's Bar
http://www.ysbar.co.jp/
 新宿区歌舞伎町2-19-7 新田中ビル5階
 チケット代1,000円(1drink別)

  毎年3月に開催している誕生日会も、今年は開催予定はありません。(その週にベトナム旅行に行くため)

 その代わりに、今回のライブに来てもらえるととってもとっても嬉しいです!

(チケットには限りがあるので、事前に予約をいただけると大変助かります。FacebookメッセンジャーTwitterInstagramのダイレクトメッセージ、LINEやメール等でご一報ください。会う機会がある方は、直接言っていただいても大丈夫です)

 

 ……とはいっても、このライブ自体初めての試みで、出演者もライブが久しぶりな人も多数。私も何気に14年ぶり。

 どんな人たちが出るの? そもそもどういう経緯で企画されたものなの? どんな見どころがあるの? など、紹介したいと思います!

大学時代の友達と出るよ

 主催の鹿目れもんちゃんは、私が大学3回生のときからのお友達です。

 私が入っていた文芸サークルと、れもんちゃんが入っていた美術研究会のコラボ企画をきっかけに出会い、夏休みに参加したビジコンにて再会。それをきっかけに仲良くなりました。

 2015年に上京したタイミングも偶然にも同時期!

 

 

出演するのはこんな人

 このライブは、れもんちゃんの友達で、音楽をやっていた人たちが中心になって企画されたもの。プロとして活動している人もいますが、私のように「音楽活動は久しぶり」という方も多いみたいです。

 なので、本格的な演奏……というよりは、やや手作り感強めのものになるんじゃないかと思います。

 Quartet Andantino

 4人のうち1人の方は演奏を聴いたこともあり、お話ししたこともあります。プロとしてお仕事しているだけあって、バイオリン上手い……!

 NowFire

 どんな方かは知らないんですが、4曲の演奏のうち2曲は私の好きな作曲家の曲なので、とても楽しみです……!

 Masumi&竹内美香

 美香ちゃんは、れもんちゃん経由で知り合ったお友達。実は大学も私と同じだったみたい。チャーミングで表情豊かな可愛い子。どんな演奏を披露してくれるんだろう。

 鹿目れもん

 大学時代から一緒にカラオケ行ったりはしていたけれど、最近のれもんちゃんの歌声の声量には力強さを感じます。前向きなオリジナル曲も彼女の雰囲気にピッタリ。

 まんぽい

 爽やかなスポーツマンっぽい雰囲気を持ちつつ、ギターの演奏も上手い! 多くの人に愛されそうな好青年。

 in a bit

 私もまだお会いしたことがない方。どんな方なのか知らないので楽しみです……!

 

国際交流好きな方にもおすすめ

 国際交流好きなメンバーが多いこともあり、出演者やスタッフ、お客様には、外国の方も何人もいらっしゃいます。

 演奏されるのは日本の曲が多いと思いますが、ちょっと異国な雰囲気になるかも?

 あと、私やれもんちゃんと出身大学が同じ人や、関西の人も多い会になりそうです。

あなたも出演できる!?

 このライブ、今のところ第2弾の予定はありません。

 でも、もし第2弾を行うとしたら、次は、ライブに慣れている音楽活動経験豊富な人と一緒に出演したいね、その人のファンの方にも来てもらって、自分たちの友達も呼んで、お互いの客層やファン層を増やせたらいいね……なんて話もメンバーとしていました。

 歌や楽器だけじゃなく、劇やパフォーマンスがあってもいいかもしれません。

 なにか表現活動をされている方、次回以降出演できるチャンスになるかも……?

まくはりうづきは何をするのか?

 私は、合唱曲とオリジナル曲を披露する予定です。

 これでも私は歌は割と得意なほうで、中学時代は音楽の成績はずっと5、中1の頃は歌のテストはクラスで1番でした!

 ……うん、なんて地味な経歴だ。。しかも中1の頃って18年前の話だし……。

 

 個人的には、オリジナル曲が自分でけっこう気に入っています。

 先月、自分の生まれたまちに訪れる機会があったのですが、そこで浮かんだ感情を詩にし、それに曲をつけました。

 これでも私、詩は子どものころからそこそこ評価されてきました。小6の頃、朝日小学生新聞の、詩のコーナーに投稿した詩は佳作になり、高校時代「全国高校生詩のコンクール」に応募した詩も佳作になりました。佳作どまり……というところが、なんていうか、中途半端さが抜け切れていないんですが(苦笑)。

 作曲して丸々ひとつの曲を作るのは、これが初めて。作曲って難しそう……と思っていたものの、いざ作ってみたらけっこうすんなり作れてしまいました。ただ、音楽作成ソフトにはなかなか慣れないので、歌はアカペラで披露することになるかもしれません。(ギターもピアノもできない私は弾き語りができない……)

 

 ちなみに私はトップバッターなので、 13:30~13:55頃の出演予定になります。お見逃しなく!

 YouTube等での配信の予定もありません(撮影はOKです)。

 

 ……そんなわけで、いろいろ見どころがある今回のライブ。ありがたいことにチケットも残り少なくなってきました。

 初めてのライブ、満席で盛り上がりたいので、あなたのご予約もぜひお待ちしてます!

 

 

 ちなみに、会場はこんなところ。

 

 

この本がすごい!2019年下半期

 昨年はとにかく、とにかく良い本にたっっくさん出会えました。上半期もいい本をいっぱい読めたけど、下半期は近年稀に見るくらい良質な読書ができました。

 毎半期恒例の「今期読んで良かった本ランキング」。前置きすらもどかしいのでサクサク紹介していきたいと思います。

「2019年に発売された本」ではなく、この時期に「私が読んだ本」なので、古い本が入ることもあるかもしれません。

 では、いってみましょう!

 

※本のAmazonリンクは、基本的にKindle版を貼っています。Kindle版がないものは紙の本のリンクです。

16位 欲望する「ことば」 

 広告会社のCEOと、大学の経営学者による共著。私はWebマーケティング系の業界にいたことがあるので、より興味深く読みました。ビジネス的な視点もアカデミック的な視点も、どちらも知ることができたのが面白かった。言葉と社会記号、フレーミングについてのくだりが特に印象的でした。

15位 誰でもできるロビイング入門 

誰でもできるロビイング入門~社会を変える技術~ (光文社新書)

誰でもできるロビイング入門~社会を変える技術~ (光文社新書)

  数年前に買って読みかけたまま放置していた本。NPO活動に取り組む友人が「日本語で書かれたロビイングの本は少ないから励みにしている」と紹介していたのをきっかけに読み進めてみました。

 ボリュームがあり、やや読むのに時間がかかったけれど、ロビイングについてはあまり知らなかったため勉強になりました。著者の明智さんだけでなく、駒崎弘樹さんや荻上チキさんなど、ほかの人の経験談も掲載されていた点も良かったです。

 国会議員や自民党の取り組みについて知れたのも有意義でした。当事者が取り組むことの大変さ、Allyの人たちの重要性も再認識。

14位 カスハラ モンスター化する「お客様」たち

  NHK勤務の友人がこの本(というか、番組)の制作に関わっているということを知り、読んでみました。

 個人的な興味から、これまでクレーマーについての本は何冊か読んだことはありましたが、この本は「本当にいたヤバい客!」のようなゴシップ的な視点ではなく、問題が起こる背景にまで視点を向けているところがさすがNHKという感じ。クレーマー本人への取材を読めたのも良かったです。

 ところで、個人的には「クレーマー」という用語の使い方が気になりました。私は、ごく一般的なクレームを入れる人のこともクレーマーと呼ぶと思っていて、悪質な人は「悪質クレーマー、モンスタークレーマー」と呼ぶと思っていましたが、この本では悪質な人だけ「クレーマー」と呼んでいるようでした。

13位 ダメOLの私が起業して1年で3億円手に入れた方法

ダメOLの私が起業して1年で3億円手に入れた方法

ダメOLの私が起業して1年で3億円手に入れた方法

 ファッション雑誌「美人百花」で著者が紹介されていてこの本を知りました。年が近いので親近感が湧く部分もありつつ、「全然ダメOLじゃないじゃん!」と思う部分も。でもたしかに、ここで紹介されているひとつひとつの要素はどれもすごい能力が必要なことではなく、とても基本的なことかもしれない。そういう、地道な積み重ねの大切さや自己肯定感について学ぶことは多い本でした。

 仕事のために女をアピールすることや、恋愛の相手を頼ることについての考え方は、読む人によって好みが分かれるかもしれないし、ポリコレ的には危ういなと思う部分はありました。でも、他にはないとても実用的な考え方ではあり、面白かったです。

12位 鴻上尚史のほがらか人生相談

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋

 ネットで時々話題になっている、劇作家の鴻上尚史さんによる人生相談の連載をまとめた本。

 私は鴻上さんは劇作家としては大ファンで、「第三舞台」や「虚構の劇団」のDVDもいくつも持っていますし、講演を聴きに京都まで行ったこともあります。

 鴻上さんが、日本の空気・世間について書いている論考も大好きなんですけど、この人生相談は正直そこまでもてはやされるほどかなぁ……? と思っていました。(鴻上ファンの友人も同じような意見だった)

 なんというか、私は鴻上さんのキレッキレの言葉やグイグイ引き摺り込んでいく世界観、シビれるような演出センスが大好きなので、優しく寄り添うようなこの人生相談のスタイルは、私が求めている仕事とはちょっと違うんですよね……。

 ただ、そんな私でもこの本から得たものは大きかった。1冊通して読むことで、思考方法をトレースでき、自己拡張できたことは大きかったです。

 この本を読んでいた頃、友人の相談混じりの愚痴を聞く機会があったのですが、その際に「その考え方はなかった」と言ってもらえたこともありました。

 

 ちなみに私は、岡田斗司夫オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)』が人生相談本の最高峰だと思っていて、この前も久しぶりに読み返しました。(2012年の、今年読んで良かった本の第1位に選んでいます)

 鴻上さんにしても上野千鶴子先生にしても、朝日新聞の人生相談は読み応えあるものがとても多いですね。

11位 地元がヤバい…と思ったら読む 凡人のための地域再生入門

 友人たちとの小規模な読書会を開催した際、この本が課題図書になったので読みました。「読みやすくて面白い」という友人からの評判通り、小説形式だったのであっという間に読み進められました。

 東京で働く平凡なサラリーマンの主人公が、地元で再会した同級生とひょんなことから地域活性化事業に取り組むことになった……という物語。

 お盆の時期に読みましたが、帰省してたらよりリアリティを持って読めたかもしれません。小説としてはやや駆け足で詰め込まれている感じもありましたが、著者の実際の経験がもとになっているという点もすごい。モデルになった場所にも訪れてみたいと思いました。

 また、地域再生が主題の本ではありますが、コミュニティ運営、コミュニティデザインの側面からも示唆に富む部分が多かったです。

 詳しい感想は、こちらのnoteにも書きました。

note.com

10位 学校を辞めます 51歳・ある教員の選択

学校を辞めます

学校を辞めます

  • 作者:湯本雅典
  • 出版社/メーカー: 合同出版
  • 発売日: 2019/11/14
  • メディア: Kindle

 私の、小学校3〜4年の頃の担任の先生が書いた本。著者の湯本先生は約14年前に教員の仕事を自主退職され、現在はドキュメンタリー映画を撮っています。

 この本では、私が通っていた学校の次に赴任された、荒川区の小学校での出来事がメインに書かれていました。

 個人的には、まず冒頭の内容がショッキングでした。私にとっては、小3〜4の頃は割と楽しかった時期だったから、その頃から先生はかなり思い詰めていた、ということを知ってしまったのは衝撃的でした。その一方で、「そうか、だからこそ不登校の子の苦しみにも理解があり、いじめ、友達、動物の命に関する取り組みにもあんなに心がこもっていたのか……」と腑に落ちる部分も。

 この本は、教育現場で起こった問題点を中心にしたエッセイ。薄い本で、すぐに読めました。まるで、noteやブログで時々バズっているような、ブラック企業の告発文を読んでいるような気分になりました。

 私が通っていた渋谷区の小学校のことも少し書かれていましたが、放課後の公園で遊ぶ子どもについての認識は私と大きく違うことが個人的には気になりました。(これはどちらが正しいということではなく、大人と子どもの視点の違いだと思います)

 また、私が小4の頃から先生が放課後に行っていた、居残り勉強の会「じゃがいもじゅく」がやがて私塾になった経緯も知ることができ、思わず目頭が熱くなりました。

9位 ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた

  研究者の友人がSNSで紹介していたことで知りました。一橋大学のゼミ生たちが、教授と一緒に書いた本だそうです。

 ジェンダーセクシャルマイノリティフェミニズムの入門書としての読みやすさはあるものの、適度に骨があり、ポイントはしっかり押さえられていて読み応えもありました。大学生向けの本という印象が強いものの、企業のダイバーシティ担当者にも良いかもしれません。

 個人的には、アセクシュアルの存在や「童貞いじり」の問題点についても触れられていたのが良いなと思いました。
 惜しむらくは、(紙面の都合だとは思いますが)ここで紹介されている考え方はやや一面的かなと思えたこと。欲を言うなら、もう少し賛否分かれるような、多様な意見も取り上げて欲しかったな、と思いました。

8位 この顔と生きるということ 

この顔と生きるということ

この顔と生きるということ

 ユニークフェイスの本をいくつか読んでいた矢先に、この本の発売を知りました。中学時代に立ち読みした『ジロジロ見ないで―“普通の顔”を喪った9人の物語』や、2年前に発売された『顔ニモマケズ─どんな「見た目」でも幸せになれることを証明した9人の物語』という本に出ていた方も何人か再登場していることを知り、興味を持って読みました。

 結論からいうと、これまで読んだユニークフェイスの本の中では、この本がいちばん良かったです。

 著者の岩井記者が、あざの特殊メイクをして街を歩いたときの記事も、ライターのヨッピーさんが紹介したことで話題になりましたね。(この記事の内容、本の中でも紹介されています)

withnews.jp

 この本は、見た目が特徴的な人たちへのインタビュー集。就職や恋愛でのつまづきや喜びなども垣間見れ、いろんな一社会人のエッセイとしても純粋に面白さはありました。

 また、「小人プロレス」についての是非や、「アルビノになりたい」と発信したユーチューバーの炎上など、考えさせられる論点もたくさんありました。

 顔にゆがみのあるお子さんを持つ、岩井記者の父親としての葛藤も伝わってきました。「顔について何か学校で言われてないか?」と心配することは、「君の顔は、いじめられやすい顔だ」というメッセージを含んでしまうことにもなりうる。見た目問題を抱える当事者に「内面を磨けば大丈夫」と安易に言うことは、当事者にばかり努力を押し付けることにも繋がるのではないか……

「結局、ユニークフェイスの人にはどう接すればいいのか」ということについても、私の中でもある程度の答えが出た気がします。どのようなことに傷つき、どのようなことに喜ぶかは人それぞれだし関係性によっても異なってくるということ。そんな当たり前のことを再確認した1冊でもありました。

 この本は、見た目問題に限らず、「他者とのコミュニケーションのあり方」について多方向から考えさせられる1冊でした。

7位 ケーキの切れない非行少年たち

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち(新潮新書)

  • 作者:宮口幸治
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/07/26
  • メディア: Kindle

 ネットの記事で話題になっていて知った本。薄く読みやすい本で一気に読んでしまったものの、内容としてはとても読みごたえがありました。

 私自身にも心当たりがある挙動があってドキッとしたり、昔、私をいじめていた男子たちももしかしたら該当していたのかも……と思えたエピソードも。確かに、不良っぽい男子の中には、忘れ物の回数が異様に多かったり、じっとしていられず教室を出ていくタイプの人もいたなぁ……。

 また、性の問題は、違法薬物や殺人などと違い「適切さ」を教えるのが難しいこと、学校の勉強以前の認知能力を鍛えることの重要性、精神科病院に連れてこられる子どもと非行少年の違いの話も興味深かったです。病院に連れてこられる子は家庭環境もそこそこ安定していて、親も「子どもを診てもらいたい」というモチベーションがあり、その点は非行少年とは違う……というのは納得。

 あと、私も働き方の文脈でたびたび言及している「第1次産業や第2次産業が減り、人間関係が苦手でも第3次産業を選ばざるを得なくなっていること」についても触れられており、その点も印象に残りました。

 

 そして、本筋と直接関係ありませんが、この本の著者は私の出身大の教授であることや、前任者の教授が亡くなられていたこともこの本で知り、驚きました。(前任の教授は、『反省させると犯罪者になります(新潮新書)』などの著書が有名な、岡本茂樹先生です)

6位 ダイエット幻想 やせること、愛されること

  SNSでも評判が良く、読書家な男友達も勧めていたので読んでみました。

 文化人類学者の著者が、「やせたい」という気持ちはどのように生まれるのかということや、理想とされる体型の歴史的変遷を明らかにしていく1冊。「ダイエット」とタイトルに入っていますが、医学的・栄養学的にどうだという話はなく、文化的な側面からアプローチしている点が面白いなと思いました。

 私はダイエットの経験はあまりありませんが、これはダイエットの本というより、SNS依存やジェンダー、承認欲求、自分らしさなど、広い意味でのコミュニケーション、生き方についての本でした。

「#MeToo」運動や芸能ネタなど、卑近な話題を扱っていてとっつきやすさもあります。

 とある広告に使われていた「Girls Power」という言葉や、「かわいさ」「若さ」についての考察も、著者の主観的な主張がやや強いかなと思う部分はありつつも、その分析には一定の説得力があるなと思ったり。

 

 近年は美容整形を肯定的に捉える人も増えており、それ自体は悪いことではないと思っています。

 ですが、「他者からまなざされること」や、「他者と比較して生きること」を自明のものとせず、そこをもう少し疑問視した方が生きやすくなるかも……? と考えることができた1冊。

 この本が出たレーベルの「ちくまプリマー新書」は、中高生向けで読みやすいだけでなく、テーマも見事に私好みのものが多いです。

5位 炎上しない企業情報発信 

 私は去年までWeb広告関係の企業に勤めており、且つ、SNSでの炎上案件にも関心があるのでとても面白く読めました。

 著者の主観は強すぎず、あくまでも「ビジネスの世界的な潮流と合致しているか」の観点からの批判が主で、いわゆる過激なフェミニズムっぽさがないのも良かったです。女性差別的かどうかだけなく、CMでの男性の扱われ方への批判も取り上げられており、バランスも取れていて良い本。異文化論としても興味深さがありました。

 この本が出たのは2018年10月。2019年は、西武そごうやLoft、献血ポスターなど様々なジェンダー広告炎上案件が起こりましたが、著者はそれぞれどう評価したかな……ということも気になりました。

 

 後半のディズニープリンセスのくだりも、想像以上に興味深いメディア批評や表象論が展開されており、女児向けアニメ論としても面白かったです。

 ディズニープリンセスだけでなく、プリキュアなどについても取り上げられています。フェミニストにもオタクにも楽しめる1冊。

(……しかし、この本でこれだけ絶賛されているディズニーが、アナ雪ステマ問題のような騒動を起こしてしまったのはとても残念)

4位 みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

みんなの「わがまま」入門

  • 作者:富永京子
  • 出版社/メーカー: 左右社*
  • 発売日: 2019/10/09
  • メディア: Kindle

 この本が20年前にあればよかったのに。

 ただただ、そう思えて仕方がありませんでした。中高生時代の自分に貸したい1冊。

 この本は若い世代向けの、広義の「社会運動」の入門書。実際に中高生に向けた講演で盛り上がった内容だそうです。

「廊下が寒いのでエアコンをつけて欲しい」「売店のパンを増やして」など、卑近な「わがまま」を扱っていて平易な書き口であるものの、しっかりとポイントは押さえてある良書。「わがままを言う」ことを、困りごとを抑圧しない、ポジティブなこととして扱っていることもとても良い。

「わがまま」までいかないような「モヤモヤ」についての受け止め方も良かったです。

 例えば、「『浪人にならないために』というメッセージを出している学習塾の広告にモヤッとする」という学生さんの意見に対し、著者が「『ふつう』のキャリアを理想視してそのコースを進ませようとすることに対してモヤモヤするというのは、すばらしく社会的な着眼点。それは『大企業に勤めたほうがいい』とか『結婚して一人前』という社会規範に対する疑問とも繋がってくる」と述べていたくだりは、とても印象的でした。

 近年は、ともすると「そんなの単なる『お気持ち』案件だろう」「私企業がどのようなメッセージを打ち出そうが自由では」と一蹴されがちな中、わだかまりを社会問題として解きほぐしていくアプローチには心強さを覚えました。

 

 広義の「ダイバーシティ」や多様性、ポリコレ的な言動についても平易な言葉で触れられていて、若い世代だけでなく、多くの人におすすめできる本です。「ツンデレ」や「保育園落ちた日本死ね」など、漫画やネットスラングの引用も多く、気軽に読み進めやすい内容となっています。

 

 とはいえ「わがまま」を言うことに抵抗がある、デモも怖い、炎上もしたくない、田舎だからできることが少ない、お金もない……という人でもできることも具体的に書いてあり、一歩踏み出す勇気をもらえる1冊。

 社会問題との向き合い方に関しても「ブレていい、途中でやめてもいい」ということが書いてあり、とても励まされました。

「社会運動やデモとか、政治的なことはなんだか怖そうなイメージ」という人でも、世の中や学校・職場での不満や困りごとがあるひとは多いはず。些細な困りごとをどう解決していけばいいか、異なる他者とどのようにすり合わせを行えばいいか、広義の「コミュニケーション」の本とも言えると思います。

 

 余談ですが、著者の冨永先生は私と年齢も問題意識も近く、今は、私の出身大である立命館大学で教えているそうです。その点でも親近感を持っています。

3位 美容は自尊心の筋トレ 

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

  • 作者:長田 杏奈
  • 出版社/メーカー: Pヴァイン
  • 発売日: 2019/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

 編集者や文筆業の女友達たちが絶賛していたので読んでみました。なるほど、たしかにこれは良いものを読めた。

 読み始めた当初は、美容家の齋藤薫さんのコラムと似たような感じっぽいかな……と思っていましたが、ぜんぜん違うものでした(齋藤さんのコラムはそれはそれで大好きです)

 あとがきに、著者は編集さんから「美容本のコーナーではなく、フェミニズムの棚に置いてもらえる一冊にしたい」と言われたというくだりがありましたが、まさにそんな本。

 美容そのもののテクニック集や、精神論の本ではありません。「キラキラした華やかな美容の本は苦手」「地味で陰キャな私には、美容なんて関係ない」と思っている人に、まさに読んでもらいたい1冊。

 自尊心や自己肯定感、モテ非モテ、こじらせ、生きづらさ、ルッキズム、障害やユニークフェイスなど、最近の私や友人たちの関心ごととピッタリでその点もタイムリーでした。

 また、文章内での予防線の貼り方というか、多様な人への配慮が丁寧なところも、文筆家の仕事としてとても憧れました。

 モテるための美容だって大いに結構、だけど「あなたの美容はモテるためでしょ?」と決めつけることには異を唱える。口ひげや脇毛をあえて処理しない美意識にも目を向けつつ、長田さん自身は処理をする派。ご機嫌でポジティブなことは素敵だと賞賛しつつ、怒るべきときに怒り悲しいときに涙を流す人のことも魅力的だと肯定する。

 同じような言葉でも、「どのような文脈なら違和感はなく受け入れられ、どういうシチュエーションだとネガティブになるか」ということもかなり解きほぐされて書かれています。ここまで多方面に配慮しつつ、且つ、文章としてのツヤを失わないものが書けることも素直に尊敬します。

 

 長田さんは、世渡り仕草としての「謙遜」は否定しないし、美のストライクゾーンが狭い人の価値観もリスペクトする。自虐する人のことをそれだけで嫌いになることもない。でも、それだけではない世界の可能性を「美容」のカテゴリから大風呂敷で見せてくれます。

 気休めの感情論ではなく、文化の違いやメンタルに与える影響など、丁寧でロジカルな部分も多く、力強い納得感を持って読むことができます。「仕事で多くの人と関わっている、美容業界のプロが言っているのだから」という部分にも頼もしさがあり、まるで、信頼できる先輩に心を預けて話をしているような気分になります。

 

 以前、この本を勧めていた友人と話したとき、読書嫌いを自称する彼女が「良い本だったので、もう一度読み返している」と話していたことも印象的でした。私もこのブログを書くにあたり本棚からこの本を取り出しましたが、読み返したくなってもう一度最初から読み返しました。

 印象的な箇所が多すぎて、逆に1枚も付箋を貼れなかったのがこの本です。そして、読み返すたびに印象に残るエピソードが変わる本だと思っています。年を重ねたりライフステージを迎えるごとに、この本からもらえるパワーの質も変わってくるんだろうな。きっとこれから先の人生、何度も読み返すことになるんだろうなと思える1冊。発売から早いスピードで重版がかかったというのも納得です。

 女性に限らず、見た目や非モテ、こじらせ、ポリコレなどのワードに関心のある男性も、一読の価値はあると思っています。「魅力をインストール」「美のアーカイブ」などの比喩も多用されており、生々しい女性性も薄く、とっつきやすいかと思います。

 個人的にはこの本、もっとも「2019年らしい」本だと思いました。世の中の多様な美に目を向けていくことになる潮目として、とても象徴的な本だと考えています。

2位 欲望会議 「超」ポリコレ宣言

 2日間で一気に読了しました。1年前の発売当初から話題になっていましたが、評判通りの面白さでもっと早く読むべきだったと後悔した1冊。1ページ読むごとに電子書籍の付箋やマーカーをつけて、久しぶりに、付箋やマーカー数の上限を気にしながら読んだ本。

 小説『デッドライン』が芥川賞候補にもなった哲学者の千葉雅也さん、恋愛本の著作も人気なAV監督の二村ヒトシさん、いわゆるネトフェミとは違い、まともなフェミニストとしても評価の高い美術作家の柴田英里さんの、3人の対談形式の本です。

 内容的には全面に賛同できるというわけではないんですが、ここで語られていた視点を脳内にダウンロードすることで、世の中の炎上案件や傷つきへの解像度が高まった気がします。

 エログロやサブカルフェミニズムジェンダーセクシュアリティ現代アート現代思想どの観点からも面白かった1冊。

 千葉さんの話からは、私が知的にもっとも信頼している友人のひとりである、文学研究者の友人との会話を思い出します。

 二村さんは実業家ということもあり、現実に即した考え方でとてもバランスが取れている方だな、と思いました。

 柴田さんの考え方には支持できる部分と支持できない部分があり、自分にない視点はそれとして興味深く受け取りました。

 例えば表象の問題に関しても、私は、ドラマやアニメや小説、漫画など、観たい人がお金を払って観る「コンテンツ」と、それを見たくもない人に見せることを目的とした「広告」では許容される表現の範囲は異なると思っているのですが、柴田さんはどちらのケースでも「表現の多様性を認めるべき」という立場である点は、そこは私とは大きく違うなと思いました。

「本当のマイノリティの欲望は、ゾーニングを超えなければ延命できないという思いもある」

「私は、ジェンダーは構築されたものであり、自ら構築することも可能なものだと考えているけれど、セクシュアリティに関しては、変更不能な本質的な部分もあると考えます。

 つまり、完全なゾーニングをすると、必然的に異性愛の欲望ばかりが表面に出てきてしまう。」

 などのくだりも、印象的でした。


 この本は、タイトル通り「欲望」について多方向から丁寧に向き合っている本。

 この本を読んでいる最中、自分自身の欲望についても突きつけられる部分がありました。本の前半では私の中学時代、後半では私の小学生時代の、一般的でない「欲望」についてたびたび思い出し、「あの頃の“こじらせ”の大半はこの本で説明可能だ」ということに気づいてスッキリしたと同時に、12歳が悩むにはあまりにも重すぎるし、どう向き合うべきだったかは未だに結論が出ないな……なんてことを思ったりも。

 

 また、私はかつて自動車の広告関連の会社にいたので、

「F1のグリッドガールが、表向きには女性がセクシーすぎるということで廃止されたけれど、背景にはイスラムマネーが強くなっているからというのもある。ポリコレ的な配慮というのが社会的には前面に出てくるけれども、背景には資本の力がある」

イスラムの資本が圧倒的になったら、『ポリコレ的に正しくないから顔や身体を露出した女性を描くな、ゲイやレズビアンは描くな』になる」

 という点も、そういうことだったのか……と目から鱗でした。

(あと、私は「ポリコレに配慮」するならむしろ「ゲイやレズビアンを出せ」という方向になるかと思っていたので、その点はやや意外な気もしました) 

「ポリコレというのは、なるべく交換がスムーズにいくようにするということ」という定義も一理あると思いました。

1位 こんな夜更けにバナナかよ

『欲望会議』とどっちを1位にするか迷いましたが、こちらを1位にすることにします。2018年に大泉洋主演で映画化もされたノンフィクション。

 福祉系の友人が薦めていた本をネットで探していたとき、渡辺一史なぜ人と人は支え合うのか ──「障害」から考える (ちくまプリマー新書)』という本を見つけました。評価が高かったので読んでみたら、案の定とても良い本。本の中でたびたび言及されている『こんな夜更けにバナナかよ』の方も気になったので読んでみたらそちらも名著だった……というのが、この本との出会いのきっかけです。

 

 北海道で暮らすライターの著者が、ひょんなことから重度身体障害者鹿野靖明さんを取材することになり、その2年4ヶ月を描いたノンフィクション。

 筋ジストロフィーを患い、24時間のサポートが必要な鹿野さん。「病院ではなく、自宅で自立生活を送りたい」ということで集めたボランティアたちとの交流や葛藤が描かれています。

 タイトルは、鹿野さんが夜中に「バナナが食べたい」と言い、ボランティアにバナナを買いに行かせたエピソードから抜粋したとのこと。

 障害者のワガママはどこまでが妥当? タバコを吸うのはアリか?

 自慰行為など、性の介助はどうあるべきか?

 とにかくいろんなことを考えさせられた作品。

「タバコは身体に良くないですよ」と反対するボランティアに「うるさいな、俺の勝手だろ」と言う鹿野さん。そこでボランティアと揉めて険悪になるかと思いきや、「あいつはなかなか骨のあるボランティアだ」と鹿野さんが評したエピソードも印象的です。

 鹿野さんのエピソードのほかにも、さまざまな障害者運動について引用されており、大きな駅にエレベーターが設置されていることはかつての障害者運動の結果だということなどを知れたことも大きかったです。

 鹿野さんは結婚していたこともあるそうです。また、鹿野さんと元カノとのやり取りを読んだときは、「これ、今で言うところの『メンヘラ』や『メサコン』かも……」と思うところもあり、その観点からの興味深さもありました。

 

 また、「鹿野のワガママに、どす黒い気持ちになったこともある」ということにも、著者は本の中で触れています。(この本が発売される前年である、2002年に鹿野さんは亡くなっています)

 私自身は「そんなふうにワガママに振舞いつつも、これだけ多くの人がボランティアに集まるのだから、鹿野さんはなんだかんだ憎めない存在で愛されキャラだったんだろう。私もお会いしてみたかったなぁ」なんてことを考えたのも束の間……いや、ちょっと待てよ。

 そういえば私自身も以前、障害のある知人に振り回されていたことがありました。

「自分は障害者なんだから」を盾にワガママを言う友人がおり、立場上なかなか離れることができず、どうすれば離れられるかひたすら悩んでいた時期がありました。

 その人に会うまでは「障害のある人は、人の痛みが分かる心優しい人なんだろう」と勝手に思っていました。やがて、その人の家族とも交流していくうちに「この人は『あなたは障害があるんだから』と、親から甘やかされて育ったのではないだろうか」と推測しました。

 当時、「こいつ以上にワガママな人間には、今後の人生、出会うことはないだろうな……」とはっきり思ったのを覚えています。(そして実際、その人以上にワガママな人物にはその後、出会うことはありませんでした)

 この人は障害と関係ないワガママがほとんどでしたし、私は別にボランティアとして関わっていたわけではありません。なので、鹿野さんとボランティアの関係と比べてしまうのが乱暴であることは承知していますが、他者のワガママに振る舞われることの面倒くささを思い出し、「あぁ、鹿ボラの人たちもあんな気持ちだったのかもしれないな……」と想像することができました。

 あと私は現在、身内に車椅子生活で意思疎通がやや困難な者もいるので、他人事とは思えない部分もありました。また、知人のお子さんが筋ジストロフィーということもあり、その点でも興味深かったです。

 

 「障害者のワガママ」を考える際、特に印象的だった箇所について(一部編集した上で)以下、抜粋します。

 自立生活の場面では、障害者の側は常に「日常生活」を営んでいる。

 例えば、痰の吸引、体位交換、食事介助、ガーゼ交換、歯磨き介助など……言うまでもなく、これらの介助を鹿野が要求することは、何らワガママではない。これをワガママと言われたら鹿野の立場はないし、それをサポートするのが介助者の仕事であるのは当然である。

 しかし、健常者なら、誰でも自分のカラダで実現できること──気分しだいでテレビのチャンネルをパチパチ換えたり、CDを入れ換えたり、ファミコンに熱を上げたり、夜中に突然腹を減らして何かを食べたり、ということも当然のことながら介助者がサポートしなければならない。

 さらに、ときに人間がそれとわかっていながら求める有害なもの、危険なもの、あるいは、障害者にも悪徳を犯したり自殺したりする自由があるともし考えるなら、「自立を支える介助とは何なのか?」という問題はわからなくなる。

 同様に、暴飲暴食は止めるべきなのか、電話で気に入らない人間に悪態をついているのを聞けば何か言うべきなのか、ムシャクシャしてひっくり返したものの後始末は黙ってすべきなのか……。それが障害からくるものなのか、性格によるものなのか、体調によるものなのか、一時的なものなのか、しばし見分けがつきづらいのが日常生活である。また、恋愛やマスターベーション、セックス介助など、より私的な部分にまで踏み込むとき、「障害者も健常者も同じ人間」という大原則は、どこまで無条件に適用できるものなのか──。

 

 あと、高等教育や若者文化、社会運動の歴史について興味がある私は、

1980年半ばには、「ボランティアはまだまだマイナーな存在」であり、「どこか左翼くさい雰囲気」が漂っていた。

「当時の大学は、テニスサークルやナンパサークルの全盛期。ただ、前の時代の余韻で『社会変革』というキーワードもかろうじて生き残っていた。ボランティアに集まってくる学生は、良くいえば社会問題に関心が高くて一人ひとり魅力があるんだけど、悪くいえば、ナンパサークルの雰囲気から取り残された“イケテない”ダサイ感じの人たちが多かった」

 という部分も印象に残りました。

 

 映画版も観ましたし、映画は映画としていい作品ではありましたが、あの映画はこのノンフィクション書籍とは別物だな、という印象です。

 映画では、ボランティアスタッフの医大生とその彼女、そして鹿野さんの三角関係がコミカルに描かれています。ですが、原作のこのノンフィクションは、さまざまなボランティアたちの群像劇であり、著者の渡辺さんの物書きとしての成長物語としても面白かったです。

 この本の文庫版・Kindle版には、鹿ボラの主要メンバーの後日談も掲載されていました。ボランティア当時は学生で、その後教員になり「あのボランティアは自分にとって大きな経験になった」という人もいれば、メディアの記者になり「あの場所だったからできたことだと思う。今はもう目の前の現場のことに精一杯で、ボランティアのことを思い出すこともあまりない」という人もいて、ボランティアの経験の受け取り方も様々なんだな、ということを実感しました。

 ボランティア内で結婚したカップルも複数いて、鹿野さんのお葬式の時には赤ん坊のぐずる声も聞こえており、生と死の繋がりを感じた……というエピソードも印象的です。

 この本の出来事は、1990年代後半〜2000年代初頭のことがメイン。当時はネットもケータイも一般的ではなく、ボランティアスタッフ同士は「介助ノート」での交流も多かったようです。鹿野さんのワガママっぷりも、今なら絶対炎上しただろうな。

 鹿野さんの映像って残っていないんだろうか……と探してみましたが、カメラ付きケータイすらあったか怪しい時代ということもあり、ネットでは見つけることはできませんでした。(映画のエンディングでは一瞬、本物の鹿野さんの映像も映し出されていました)

 

 この本は7月下旬、青春18きっぷを使った旅の帰りに読み終えました。終盤は、電車の中でボロボロ泣きながら読みました。

 ちょうど、ALSの参議院議員が誕生したこともニュースになっていた時期で、そういった意味でもタイムリーでした。(筋ジストロフィーとALSは異なる病気ではありますが、近似するところがあるようですね)

 タイムリーといえば、この本を知るきっかけとなった『なぜ人と人は支え合うのか』にも言えます。今年の1月、相模原障害者殺傷事件の植松被告の公判がありましたが、この『なぜ人と人は〜』では、この事件や植松被告の生い立ちについても多くのページ数が割かれています。中高生向けの新書(ちくまプリマー新書)なので読みやすさもあります。

 

『こんな夜更けにバナナかよ』はページ数が多くて読むのに抵抗があるし、そもそも障害者の福祉にそこまで興味ない……という人には、まず『なぜ人と人は支え合うのか』を読むことをおすすめします。私もその順番で読みましたし。

 こちらの本では、

「障害者が社会に贈与を『与え返す』機会について」

「システム化された福祉は誰も傷つかない代わりに、ドラマもない。ドラマのないところに人間の尊厳も生まれない」

「障害のある自分のことを、ちゃんと、かわいそうな存在として見てほしい。仕事だからやるんじゃなく、心が動かないとダメ」

「介護というのは、お互いに気持ちのいいところを探り合うもので、その意味ではセックスと一緒」などのくだりが印象的でした。

 近年は、感情労働への批判が高まり、きちんと対価を払って依頼することこそ正義とされがちなところがありますよね。それに反するかのような意見はとても興味深く、読んだことでこれまでと考え方が変わった部分もあります。

 

 それにしても今期は、近いテーマの本を同時期に読むことが多く、情報の吸収率というか考察が特に捗りました。おすすめの組み合わせをいくつか紹介すると、

『こんな夜更けにバナナかよ』×『みんなの「わがまま」入門』

 障害者が「普通に生きたい」と思うことは「わがまま」なの?

 そもそも「わがまま」って悪いこと? 自分だったらどうする? どこまでならOK?

 多くのボランティアを巻き込み、命がけのワガママを主張して福祉にも影響を与えた鹿野さんの生き様に目を向けたり、近年の「社会運動」をめぐる世の中の動きについて思いを馳せたり、いま自分自身が抱えているモヤモヤを考察してみると、より深い内省や読書体験ができることでしょう。

『欲望会議』×『炎上しない企業情報発信』

「多様な欲望を肯定すること」と「多様な人に向けた情報発信」は、どうすれば両立可能?

 情報の受け手側は、不快なものとどう折り合いをつけていくべき?

 情報の発信側は、どのように配慮すべき? 

 それぞれ、どのような影響が考えられる?

 ある意味では主張が正反対とも言える2冊を読み比べると、いい感じに脳内のバランスが乱れてきます。

『美容は自尊心の筋トレ』×『ダイエット幻想』

 いくつになっても「若さ」「かわいさ」を追求することについてどう思う?

 そもそも「若く見られたい」「いくつになっても可愛くありたい」というのは、本当に当人が望んでいること? 社会的な抑圧によるものではないのか?

 類似のテーマを扱いつつ、エイジズムや「イタさ」についてはこの2冊では微妙に立場が異なる部分も。特に『美容は自尊心〜』の方では、1冊の本の中でも立場の揺らぎが見受けられて、それもまた面白いなと思いました。

『こんな夜更けにバナナかよ』×『この顔で生きるということ』

  それぞれ障害の質は異なり、恋愛や仕事の上での問題も異なってきています。どこまでは個人で引き受けるべきことであって、社会の側はどのような考慮をすれば良いのか? この2冊を読むことで少しずつ自分なりの答えが見えてくるかもしれません。

『ケーキの切れない非行少年たち』×『カスハラ』

 非行少年やモンスタークレーマー。彼らはどのような理由からそのような行為に至ってしまうのか。両者について思いをめぐらせることで、人間の認知の歪みについて考えさせられるのではないでしょうか。 

 

 

 ……あぁ、とっても長い記事になってしまった。

 今回取り上げた本は、大きく価値観が揺さぶられたものがとても多く、私と問題意識が近い方(必ずしも賛否が一致する必要はなく、社会課題として興味を持つものが近い方)には、上位の本は特に自信を持っておすすめできるものばかりです。

 ぜひ、読んでみてください!

私にとっての「今年の漢字」2019ver.

 私にとっての「今年の漢字」、今年は間違いなく「転」だな。

 

 そんなふうに考えていたのは半年前のこと。今年は7月に「転」職をし、5月に身内が「転」倒したことによって生活に変化が生じたことから、今年の漢字は「転」にしたいと考えていました。

 

 今年は、2〜3ヶ月に一度のペースで波が訪れ、心身ともになかなかに慌ただしい1年ではありました。
 誰かとケンカしたり、仲直りしたり。疎遠になったり、再び交流したり。ネットで執拗に粘着されたかと思えば、ファンが増えていたり。怒られたり、褒められたり。いろんなひとと、いろんなところで再会したり(24年ぶりに幼稚園時代の友達と再会したり、20年ぶりに小学校時代の恩師と会えたのは大きかった……!)。

 有給消化期間もあり、遊ぶ時期と仕事に集中する時期がはっきりしていて、割とメリハリのある1年でもありました。

 

 ホストクラブから裁判傍聴まで、プライベートでもいろんなところに遊びに行きました。
 今年初めて挑戦したこと・やってみたものはなにがあったかな。

 裁判傍聴、競馬、レモン狩り、NPO法人への寄附、フリマ出店、ホストクラブ、転職、美容鍼……。こんな感じかな?

 また、今年はたくさんの銭湯・温泉をめぐることもできました。

 転職活動や仕事の合間に、いろんなモーニングやカフェ、飲食店に立ち寄るのも面白かったです。

 業務外の部分でも、転職で大きく生活が変わりました。

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 そんなわけで、今年の漢字は「転」かな……と思ったけれど、いや、なんだかそれは今年の本質ではないな、と思ったりも。

 転職の際、どういう基準で企業を選ぶか。

 自分の人生を豊かにするために、どういう生き方をするか。

 だれと、どのような人と働くか、生きていくか。

 どのタイミングで決断するか。どのタイミングで伝えるか。

 逆に、何を「選ばない」という決断をするか。

 そういうことをずっと考えてきた1年だった気がします。

 転職してからも、営業職になったので、

「どうすればこの商品を選んでもらえるか」「どうすれば私自身を信頼してもらえるか」を、ずっと考えていました。

 あと、直接あまり関係ないけど、今年は従姉も市議会議員選挙に立候補して「誰かに選ばれること」を経て転職をしていて。

 今年は「選ぶこと」「選ばれること」を強く意識した1年だったな、と思いました。

 なので、今年の漢字は、

「選」

に、したいと思います。

 

 ちなみに、これまでの「今年の漢字」は、こんな感じ。

2006年 諦(受験で諦めるものが多かった)
2007年 再(再会、再開、再履修。笑)
2008年 文(文芸部に加入)
2009年 人(新しいバイトやビジコン参加で出会いが増えた)
2010年 会(Twitterでさらに出会いがたくさん)
2011年 繋(東日本大震災、友達同士をたくさん引き合わせた)
2012年 動(引っ越しや就活や旅行での移動)
2013年 交(みんなより少し遅れて社会人に。いろんなひととの交流が増えた)
2014年 焦(結婚や独立する友達への焦り)
2015年 (結婚話が破談、引っ越し、家族とのあれこれ)
2016年 (旅行、身近な人の独立、訃報など)
2017年 (ものづくり好きな人との交流、同人誌やハンドメイド)
2018年 (脱毛、献血、親知らず抜歯など)

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 では、良いお年をお迎えください。

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紙コップと賑やかなリビング

 

 2013年春────

 

「お邪魔しま〜す」

 なにか新しいことが始まりそうな、春特有の高揚感。さわやかな夕風とともに、友人たちが私の部屋に上がって来た。

 神楽坂の小さな1LDKに6人が入ると、部屋はもうぎゅうぎゅうだ。でも、その距離感もどこか心地良かった。友人たちはスーパーで買ったお惣菜やお酒をレジ袋から取り出し、テーブルや床に並べ始める。私も紙コップと紙皿、割り箸をみんなに配る。

「ようこそ!」

 

※この記事は、「シェアハウスのアレコレ Advent Calendar 2019」の17日目の記事として書かれています。

 

 就職を機に、神楽坂のマンスリーマンションで暮らし始めた私は24歳になったばかり。
 東京で暮らすのはいつぶりだっけ。代々木から引っ越したのが小4の終わり、1999年の3月だから、えーっと、14年ぶりの東京暮らしか。時が経つのは早いなぁ……。

 とはいえ、今、神楽坂の部屋に集まっているのは幼少期からの友達ではない。全員、つい最近、大人になってから知り合った友人たちだ。

 

*** 

 きっかけはTwitterだ。東京に引っ越したばかりのある日、相互フォローの友人からひょんなお誘いがあった。「社会問題について話すインターネット番組『ジレンマ×ジレンマ』を運営しているんですけど、よかったら観覧に来ませんか」というものだった。ところが直前になり、登壇予定だった1人が来れなくなってしまい、なんと私が登壇することになった。

 この「ジレンマ×ジレンマ」の放送が行われたのは、インターネット系のシェアハウスギークハウス水道橋」。数ヶ月に一度の不定期のペースで、このシェアハウスの1階スペースを借りてUstream配信を行っている。

「ジレンマ×ジレンマ」は、NHKで放送されている番組「ニッポンのジレンマ」のパロディ番組だ。社会問題や福祉、政治、報道などに興味がある20〜30代の有志で運営している。そういう話は私も好きだったので、メンバーのみんなともすぐに仲良くなった。

「ジレンマ×ジレンマ」の懇親会の様子。2013年、ギークハウス水道橋にて。

 

***

 友人たちが神楽坂に来てくれたこの日は、テレビ番組「ニッポンのジレンマ」の鑑賞会を私の家で行った。お酒を飲みながらあれこれツッコミを入れつつ、ワイワイおしゃべり。何の話をしたっけ。共通の友人知人の話や、学生運動や就活、ジェンダー、働き方の話で盛り上がったっけ。

 あぁ、こういう刺激的な話ができる友達っていいな。これからもみんなと仲良くできたらいいな。もっと大きなことができたらいいな────。 

 

 あっという間に、みんなが帰る時間となった。

「きょうはありがとう! また遊ぼうね~!」

 みんなを見送ったあと、私は改めて片付けを始める。使用済みの紙コップや紙皿、割り箸、食品の包装をゴミ箱に入れる。余った紙コップや紙皿、割り箸は、また宅飲みするときに使おう────。

 

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***

 2013年5月下旬、私は梱包した荷物を郵便局に運んでいた。3ヶ月の神楽坂暮らしも、きょうでおしまいだ。マンスリーマンションでの短期間滞在だったので、荷物も少ない。

 神楽坂はとても住みやすいまちだった。おしゃれなお店もあり、スーパーやドラッグストア、100均も近い。地域猫も暮らしている。見知らぬおばさんと軽く会話を交わすような、下町らしさも残っていた。それでいて交通の便はとても良いし、治安も申し分ない。できることならまた神楽坂で暮らしたい、また都内で暮らすことになったら、今度は神楽坂の文京区方面に住んでみたいなぁ────。

 

 そう、私はこれから名古屋に引っ越すことになる。名古屋で6月から3ヶ月過ごしたあと、東京か名古屋のどちらかで配属先が決定する。

 

名古屋市昭和区

 

 2013年6月から名古屋暮らしが始まった。3ヶ月が経ち、配属先は名古屋に決定した。

 期待に胸を弾ませた名古屋生活だったけれど、なかなか思うようにはいかなかった。

 まず、なかなか同年代の友達ができなかった。できたとしても、1人ずつバラバラのコミュニティで知り合った人が多く、神楽坂にいたときや、京都で過ごした学生時代のような「みんなでワイワイ」するような交遊関係は築けなかった。

 

 名古屋のコミュニティとして特徴的だったのは、世代を跨いだコミュニケーションが多かったこと。学生時代や神楽坂では、同年代の若者で集まるコミュニティが多かったけど、名古屋で出入りしていた場所はどこもいろんな世代の人がいた。女子高生からおじいちゃんまでいるようなアートコミュニティや、二十歳前後の学生から年配の大学教授までいる読書会、親子で参加しているようなボランティア団体は、それはそれで町内会っぽさがあって新鮮だった(20~30代の親とちっちゃい子、というパターンもあれば、50~60代の親とアラサーの子、のパターンもあった)。

 ただ、町内会っぽいコミュニティにはどこか居心地の悪さを感じることもあった。幼少期から引っ越しが多く、ひとつの地域で短期間しか暮らさなかった私は、昔からその地域にずっと住んでいる人たちが多い集団には疎外感を抱くことも多かった。

 

 

 名古屋に馴染めなかった私は、数ヶ月に一度は関西に遊びにいっていた。京都で学生時代を過ごした私は関西にも知り合いが多く、京都や大阪の読書会や講演会、滋賀のアートイベントなどに足を運んだ。名古屋からなら、片道の交通費も2,000円程度に抑えることができる。

京都大学

 

 宿泊場所としては、シェアハウスのお世話になることが多かった。

 京都の「蟻の巣」「ファクトリー京都」には何度も泊めてもらったし、「学森舎」にも遊びにいった。大阪だと「中津の家」にお世話になることが何度かあった。

 東京に遊びに行くときも、野方にあるシェアハウス「妖怪ハウス」に泊めてもらおうとしたこともあったっけ(私のことをTwitterでブロックしている人が住んでいると知ったので、結局泊まらなかったけど)。

 

シェアハウス「蟻の巣」

 

***

 名古屋は東京よりも家賃は安い。都心ならボロアパートを借りるのが関の山であろう家賃で、駅徒歩1分、10畳、築浅でオートロックで宅配ボックス付き、複数のスーパーやドラッグストアが近いという、とても恵まれた物件に住むことができた。でも肝心の、家に呼べるような友達がなかなかできなかった。特に女友達を作ることが難しく、2年4ヶ月住んだ中で、二人で一緒にごはんに行けるような女友達は1人しかできなかった。

 深夜まで営業しているスーパーが近所にいくつもあったのは便利だったけど、宅飲みの買い出しであろう若者グループを見るたびに、なんで私はこんなところにいるんだろう……と胸がキュッとした。

 神楽坂のマンションから持ってきた紙コップも紙皿も、ぜんぜん減ることはなかった。だって宅飲みする友達グループがいないから。

 やがて名古屋で恋人ができた。ここで覚悟を決めて、名古屋に骨を埋めるのもアリかもな……と思ったこともあったけれど、結局、交際は長く続かなかった。

 これから、どうすればいいんだろう────。

 

名古屋市東区

 

 そんなある日。忘れもしない、2015年7月のこと。

 母が重い病気になった、という知らせを受けた。

 東京の病院のお世話になることになるらしい。これから介護も必要になる。勤務先に事情を話し、私は東京への異動が決まった。

 あんなに戻りたかった東京暮らし。まさか、こんなカタチで実現することになってしまうなんて。なんて皮肉なんだ────。

 

 絶望と希望を詰め込みながら、2015年9月、私は名古屋から東京へと転居した。

 

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***

 2年4ヶ月ぶりに再開した東京暮らし。名古屋での生活が嘘みたいに、たくさんの友達ができた。たくさんのお誘いもあった。たくさんのシェアハウスにもお邪魔した。

 そんな私には、やってみたかったことがあった。

 自分の誕生日会だ。

 成人してからは、誕生日はひとりで過ごすか、恋人や友達と遊ぶことが多く「大勢の友人を招いてのパーティー」というものはやったことがなかった。

 

 そして、2016年3月2日。かつてギークハウス水道橋で知り合っていた、友人の平田さん(id:tomo31415926563)の協力により、シェアハウス「妖怪ハウス」を誕生日会の会場として使わせてもらえることになった。

 この家はいわく付きな物件でもあった。私のことをTwitterでブロックしていた人が住んでいると聞いていたが、その人は退去したのち、やがて自殺してしまったらしい。また、私の誕生日はオウム真理教麻原彰晃と同じなのだけれど、この「妖怪ハウス」は、かつてオウム真理教病院があった場所にできたシェアハウスだという。

 そこに、さまざまな年齢、職業の人物が集められて誕生日会が開催される……というのはまるでミステリーの舞台のようなシチュエーションではあったけれど、特に事件が起こるようなことはなく、誕生日会は無事に開催された。

 平日の夜だというのに、17人も集まってくれた。

 私は誕生日会のために、紙コップや紙皿、割り箸を持ち込んでいた。2013年から3年間、保管していたものもある。

 

 仕事が終わった友人たちが順番に到着する。みんなが次々、それぞれの紙コップに飲み物を注ぐ。割り箸を使い、オードブルを紙皿に移す。あんなに残っていた紙皿も紙コップも、どんどん消費されていった。

 あぁ、そうだ、これだよこれ。私が恋しかったのは、この感覚だ。

 友達が集まってくれて、みんなでお酒や食べ物をつまみながら交流すること。

 友人同士で買い出しに行ってくれること。交友関係が繋がっていくこと。

 そういったワクワク感の象徴が、私にとっては紙コップと紙皿だった。

 友達たちとの宅飲みも、バーベキューもお花見も、思えば随分ご無沙汰だったな。

 

 あぁ、居場所があるっていいな。

 集まれる友達がいるっていいな。

 大勢集まれる広いリビングがあるっていいな────。

 そんな「戻ってきた」感覚を噛み締めながら、27歳初日の夜は更けていった。

 

(P[か]4-1)誕生日のできごと (ポプラ文庫ピュアフル)

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徹底討論!ニッポンのジレンマ

徹底討論!ニッポンのジレンマ

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2012/03/03
  • メディア: 単行本
 

性的な広告は悪いこと? 献血ポスター論点あれこれ

 11月は思いのほか充実していて、まるでなにかの物語みたいにいろんなコトが起こります。コメディみたいな展開が起こったり、大学時代に戻ったみたいにワイワイしたり。

 まだまだ、wuzukiちゃんは遊びたいです。

 

 ……さて今回の記事では、少し今更感がありますが、献血ポスター炎上騒動」について触れてみたいと思います。

 これはどのようなものか知らない方向けに説明すると、

 漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のイラストを使った日本赤十字社のコラボポスターが「性的だ」と批判を受けたことを皮切りに、ネットで賛否両論が巻き起こっている......という経緯の騒動です。

news.livedoor.com

news.nifty.com

 このポスターを擁護する意見としては、

着衣のイラストで、特に性的だとは思えないので別にいいのでは」

「このポスターが貼られていた場所はそもそも限られていた。もともと多くの人が見るものではなかったはず」

「この絵はコミックスの表紙。問題のある絵柄だというのなら、書店からも撤去すべきということになる」

「巨乳キャラを使うことが良くないというのは、巨乳女性への差別になるのでは」

「このコラボキャンペーンによって献血する人が増えるのなら良いのでは。人命のほうが個人的な快不快より優先されるべき」

「体質の問題から、女性よりも男性のほうが献血可能な人は多いし、オタクには童貞が多く感染症リスクも少ない。男性オタクに訴求するエロいポスターを作っても別に良いのでは」

「撤去や規制を求めるのならば、明確な基準が設定されるべき。感情論で規制されるのはおかしい。環境型セクハラだというのなら訴訟を起こすべきでは」

「このような広告があることで差別が助長する、というエビデンスはないよね」

「もっと性的な広告なんていくらでもあると思うのに、萌え絵ばかり批判されるのはおかしい」

「これが宇崎ちゃんじゃなくて、ONE PIECEのナミや、ルパンの峰不二子だったらきっとここまで批判されなかったよね」

というものが多く、

 批判的な意見としては、

「着衣のイラストであっても、構図や作品の文脈次第で性的要素が強いものにはなりうる。下から煽るアングルは性的になりうる」

「漫画そのものの広告ならともかく、日赤のキャンペーン広告として適切とは思えない」

全年齢対象の作品とのコラボならどのようなものでも問題ない、というわけではないだろう」

「問題なのは、いわゆる”乳袋”表現。性的表現の文脈で取り入れられる手法だから、エロじゃないというのはお門違いでは」

「大きな胸を強調した服装をすることと、創作物で性的なサインを込めて巨乳キャラを描くことは違う。キャラクターは読者の性的な視線を意識したものだけど、生身の女性の身体は男性が楽しむためのアイテムではない」

「性的文脈で胸を強調する表現こそ、現実の巨乳女性の肩身を狭くする」

「『エロいポスター作ればオタクも献血するだろ』という姿勢こそオタク蔑視では?」

「オタクには童貞が多いので感染症リスクが少ないので献血に適している、というのは、多方面に対する差別的な考え方では」

「萌え絵が悪いのではなく、使いどころが問題だと思う」

「30年前は水着の女性のポスターが職場に貼られていたけど、環境型セクハラと批判されて、やがてなくなった。萌え絵だから批判されているわけではない」

「この広告に問題はないので議論は不要、という態度の人に違和感がある」

というものが見受けられました。

 

※「イラストよりも、宇崎ちゃんのセリフのほうが問題あるのでは」という意見も多かったけれど、こちらに対してはあまり意見は分かれませんでした。

 

 私自身は、この件に関しては批判的な立場に近いです。

 イラストに関しては、黒い服ということもあり「乳袋」表現は目立ちにくかったので、その点はあまり特に気になりませんでした。どちらかというと、煽るようなセリフのほうが気になりました。(宇崎ちゃんのキャラとしてはしっくり来るセリフなので、漫画の中にあったら気にならない表現だったと思います)

 ただ、私個人はイラストはあまり気にならなかったものの、批判的な意見がこれだけ多く集まり、本来の目的とは関係ないところで議論も白熱したことから、広告としては成功とは言えないのでは……? という点から、このポスターには批判的です。

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そもそも広告は不快なもの

 誰一人指摘していなかったけど。そもそも「広告」って、基本的に「邪魔」で「不快」で「迷惑」なものなんですよね。ノイズとして映るのは当然なんですよ。

 一方で、私たちのまわりにはあらゆる「広告」であふれています。ポスターや看板、テレビや動画のCMのほか、ダイレクトメール、営業電話、チラシ配り、フリーペーパー、展示会、試飲や試食、謝礼つきアンケート、ライブやパーティーなどのイベント告知……。

 少し毛色は違うけれど「選挙活動」とか「婚活」「ナンパ」なども、広義の「広告」と言える場合もあるかもしれませんね。

 今回の日赤のポスターは特に不快ではなかったという人の中にも、今まで、ほかの広告について「迷惑だ、不愉快だ」と思ったことがある方は多いと思います。

 そこで「営業電話は迷惑だけど、条例や法律に反するわけではないのなら、不快だと言うのはおかしなことだ。個人のお気持ちで企業の営業活動を阻害してはならない」と考える人はあまりいないのではないでしょうか。 

 ちなみに現行の法律では、9時〜21時以外の時間帯での電話営業は法律違反となっているため、22時に電話がかかってきた場合などは、法的な処分を求めることも可能かもしれませんね。

 

感情論で良いのでは?

「不快だ、という感情論で表現を規制すべきではない」「問題があるというならエビデンスを示せ」という意見も多く見受けられました。

 私は、感情論の多寡で撤去・変更等の判断をすることは基本的には妥当だと思います。

 そもそもこのポスターは「広告」なので、ネガティブな感情を抱く人が多い広告を撤去・変更したとしても、それは運営側の判断として妥当なケースも多いのではと思います。(今回の件は、特に撤去や変更がなされることはなかったようですが)

 

「私が不快だから撤去してほしい」というならまだしも「社会的に不適切だから撤去してほしい」と主張するのならばエビデンスが必要なのでは、という意見も見受けられました。理屈としてはわかります。

 女性表象を用いることについての批判や研究は、メディア論、表象文化論フェミニズム等の文脈での蓄積はあるとは思いますし、広告業界の中でも存在するでしょう。

 署名運動を行う場合や学術的な発表の場合はともかくとして、市井の人の問題提起の際に、エビデンスを求め「因果関係を証明できないものに対しては、疑問や批判を示すな」と封じることもまた一方的なように思います。多様な意見を取りこぼしかねないのではないでしょうか。

 

肌の露出がなければいいの?

「肌の露出がないから、エロい・性的とは言えないのでは」という意見もありましたが、肌の露出が多い人物表現=性的意図の表現、とは必ずしもならないでしょう。

 たとえば、赤ちゃん用おむつのCM、日焼け止めのCMで水着の人物が出てくること、相撲のTV放送などは一般的であり、人物の肌の露出や「エロさ」の観点から批判が出ることはこれまでありませんでした。

 社会通念としても、「肌の露出が多いものはそれだけで性的表象となり不適切だ」とは、認識されていないと考えられます。

 

オタク差別に該当する?

「同じ巨乳キャラでも、ナミや峰不二子だったら叩かれないんだろう。オタク差別だ」という意見もありました。

 藁人形論法になってしまいますが、仮に有名キャラを起用していた場合は好意的に受け止められていたとしても、それは別におかしなことではないかなと思います。

 すでに一般的に知名度の高い、国民的有名作品のキャラクターが起用された場合と、そうでない作品のキャラの場合では、受ける印象が異なることは当然といえるのではないでしょうか。

(ただ、たとえば「ONE PIECEとのコラボ」企画なのに、ナミだけが広告に起用されていたら、そこになんらかの意図を見出して批判が起こる可能性はあるのではないかと考えられます)

 ただ今回、議論の発端となった批判的な意見をツイートしたのはアメリカ人男性なので、国民的人気作品のキャラであっても、そこに馴染みのない外国人だと反応は違うかもしれませんね。

 

「萌え絵を叩きたいだけだろう」という意見もありましたが、それもまた的外れだと思いました。

(「萌え絵はそもそも性的な感情を喚起するために描かれたものなのですべて不適切」という意見もあるかもしれませんが、そのような批判は主流ではありませんし、同様の批判はグラビアアイドルの仕事などにも言えるため、アニオタへの差別と括ってしまうのは雑かなと思います)

 

 いわゆる「萌え絵」を使った広告はこれまでも多数あり、たとえば「ガールズ&パンツァー」のキャラが水着を着てはしゃいでいるポスターもありましたが、これはおおむね好意的に受け入れられていたのではないでしょうか。(股間の陰について気にしていた人もいましたが、ごく少数の意見だったと認識しています)

anime.eiga.com

 近年になって「萌え絵」の広告が批判されがちだとするのなら、アニメ・漫画文化が一般に広まってきたことと表裏一体でもあるのかな、と思います。 

 

 30年前は女性をコンパニオン的に消費する文化があり、一方で、幼女誘拐殺人事件の報道の偏見等で、オタクが差別されていた背景がありました。

 ところが10年ほど前から、オタク文化もポジティブにメディアに取り上げられるようになります。

 一方で、ハラスメントや性的消費に関しては、批判の声を上げやすい時代へと変化していきました。

 ざっくり言うと、オタク文化の一般化のタイミングで、ポリコレへの意識が高まってしまったことが、ある種、不幸な巡り合わせだったのではないかと……。

 なので、30年前のオタク差別と萌え絵への批判というのは、似て非なるものだと考えています。

 

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血液が集まればいい?

「性差別的だとしても、このポスターによって献血する人が増えたのなら施策としては成功なのでは」という意見も一定数見受けられました。

 程度問題な部分もあるとはいえ、「誰かを差別したとしても、便益が上回れば良いのでは」という意見は手放しに賛同できないです。

「外国人を差別したとしても、それで治安が保たれるのなら良いのでは」「ブラック企業が多くても、そこで国の税収が増えるのなら良いのでは」などの考え方にも繋がりかねないため、危険な考え方だと思います。

 

広告はコミュニケーション

「どこまではOKでどこまでがアウトなのか、線引きを決めるべきだ」という意見もありました。

 これは、少し的外れな意見だなと。

 広告にしてもセクハラ問題にしても、受け手との「コミュニケーション」なんですよね。

 何を誰に伝えたいのか。どのようなメディアで発信するのか。今、何が起こっていて何が流行り、どのような社会情勢なのか……。

 そういったさまざまな事情を踏まえて成立するのが、エンゲージメント率の高い施策なのではないでしょうか。

 事前に細かくルールを制定してしまうと、かえって時勢の変化を取りこぼしやすくなり、かといって頻繁に変更してはルールの意味もなくなるため、ルールの制定は不要だと私は考えます。

 

「◯◯は叩かれないのに、今回の××は叩かれるのはおかしい。◯◯も批判されるべきだ」という意見も見受けられましたが、これも、そもそも「コミュニケーション」をあまり理解していない意見だと思えます。

 類似の表象を扱いつつも、炎上せず好意的に受け入れられている事例があった場合、「◯◯も炎上させるべきだ」と足を引っ張るのではなく、その事例を参考にして、なぜ炎上しなかったのか・どのような点が好意的に受け入れられたのかを考えてみたほうが良いのではないでしょうか。 

 

 また、これは、読んだ本からの受け売りでもあるのですが。

 近年炎上している広告表現って、軒並み、ネット上で公開されているプロモーションであることが多いんですよね。

 地上波のテレビCMは予算も人手も豊富なため、放送局と広告主の双方による細かい審査があり、炎上しそうな表現はあらかじめ弾かれています。一方で、インターネットCMは予算が低いぶん自由度も高く、テレビCMほど厳重な審査は行われていない、という違いがあります。

 表現規制には反対するという人の中でも、「テレビCMに厳密な審査があることは、表現規制だ」と批判している人は見たことがありません。

 世に出る前に審査によって制限されていても「規制なんてとんでもない!」とはならないのに、世に出たあとに批判が起こると「表現規制、反対!」という声が上がるのは、なかなか皮肉な現象にも思えます。

 

 私は別に、あらゆる広告において細かい審査がなされるべきだ、というつもりはありません。

 ただ、ターゲット以外が目にする可能性が高いことを考慮したり、発表することで起こりうる反応を想定し、どのように対応するかを考えておくだけでも、また違ったコミュニケーションが生まれるのではないかな、と思いました。