これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

恋と差別と多様な価値観

 最近、ネットで見かける意見で気になるものがある。

 結婚・恋愛メディアの「こうするとモテる」「こう書くとプロフィールの印象が良くなる。お見合いが成立する」という話題に対して、「差別を助長しかねない」というコメントがつくことだ。

 また、「安定した仕事についている、頼りがいのある男性」「フェミニンな外見で、料理上手で家庭的な女性」をそれぞれ異性がパートナーとして求めることを「古い価値観だ」と腐す人が散見されることも引っかかっている。


 確かに昨今、多様なセクシャリティやパートナーシップについても知られるようになってきた。

 だが、マイノリティな志向を持っていたり、ユニークな関係性を結ぶ人々は、なにもそれが「トレンドだから」「新しいから」実践しているというわけではないだろう。流行に敏感でなければいけないビジネスやマーケティングじゃあるまいし。


 異性愛や一夫一婦制、法律婚が自身の志向やライフスタイルと馴染まないから別の手段をとっている、取らざるを得ない……という人が大半だろう。

 

 そもそも「主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリな女性が好み」という志向だって、別に特別新しいものだとも思わない。


 また、「本当は可愛いお嫁さんになりたいけど、夫の収入には頼れないから仕事もしている」「本当は大黒柱として頼りがいのある姿を見せたいけれど、実力が追いつかないので妻にも働いてもらってる」というケースもあるだろう。

「収入は少なくていい。家事や料理など主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリで稼いでいる、カッコいい女性が好み」という志向ばかりが「正しい、あるべき姿」とされることに対しては反対したいし、そうでない人の価値観を叩く言説が増えることは危惧している。

 

 

 LGBTなど、性的マイノリティへの差別は昨今厳しくなってきているが、性的マジョリティの志向を「古臭い価値観だ」「旧来のジェンダー規範の固定化だ」と批判することについては、どうにも鈍感な人が多い気がする。

 人はなにも、新しい価値観を社会にもたらすムーブメントのために交際や結婚をするわけではないし、そうなるべきだとも思わない。


 どうしてこのような言動をする人がいるのだろうか……と考えてみたが、結局のところ、恋愛や結婚は「してもしなくてもいい、自由なもの」だと思っていない人が一定数いるからではないだろうか。

 

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 独身のまま生きることが困難な時代や、子孫や家族が共同体の維持に欠かせない文化圏では、異性と結婚して子をもうけることが「しなければいけないもの」だったのかもしれない。

 そして、「しなければいけないもの」だとするのならば、自由恋愛・自由意志に任せていると不均衡が起こり、特定の属性を持つ人が異性を獲得できないことも起こりうるので「差別問題、解消すべき問題」として扱われたかもしれない。

 

 たとえば、「しないと生きていけない」ことの代表格である「就職」の場合は、結婚や恋愛と同じようにはいかない。従業員について、性別や年齢、出身地や政治思想等を理由に採用試験で落としたり、解雇することは原則として禁じられている。(少なくとも表向きは)

 自由選択と差別の関係については、この、id:zyzy さんのコメントがとても共感できた。

私にとってタイトルやフェミニスト煽りは本筋ではなく、友人や結婚相手や交際相手を選ぶ時の「自由選択におけるリスク回避・選別志向が何をもたらすか」が課題で、偏見と差別の源に割となりそうなことを危惧している - lcwinのコメント / はてなブックマーク

前々から思っていたんだけどもこの理屈を言う場合、あらゆる私的な趣味含めた買い物自体「国家の計画通りかサイコロ振って毎回決めないと生産者への差別と分断」になるし、それ自体人間性の否定と思うんですよね。

2019/07/11 08:05

b.hatena.ne.jp

 

 もちろん程度問題になる部分はあるだろう。恋愛も結婚も自由にできる時代とはいえ、誰かとつがいになりたいという欲望自体は多くの人が持ち合わせているし、パートナーを獲得できない人の辛さを放置することが、社会を脅かす事件に繋がることもあるかも知れない。

 だが、「非モテ」な人をパートナーに選ばない人に、その不作為の責任を問う訳にもいかないので、その辛さは別の形で満たす必要があると考えられる。

 

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 差別の話に戻ろう。

「そもそも、好みのタイプやセクシャリティ、結婚・家族観の話を人前でするのは下品である」という主張ならまだわからなくはない。たしかに場合によっては、そういった話題はセクハラになるケースもあるだろう。


 また、「モテるためにジェンダー規範をなぞる人が増えることで、人の多様な個性が隠れてしまうのが勿体ない」という気持ちは私もよくわかる。
 実際、「異性にモテたいけれど、そのためにジェンダー規範に乗ることには抵抗がある」という人も一定数いるように思う。だが、「そこでどのように個性とモテのバランスを取るか」ということを考えることもまた、人間関係構築の面白さであると言えるのではないだろうか。

 

 これが「恋愛や結婚は、人は必ずすべきもの」という時代であれば、モテない人にもなんらかの介入はあるべきであろう。

 だが、「恋愛も結婚も、してもしなくてもいいもの」である現在は、「モテたい人は、自分でそのための努力をしなければならない」「他者に振り向いてもらいたいのならば、それ相応のコミュニケーションやアピールのスキルが求められる」となってしまうのは仕方ないのではないだろうか。

 

 そういった、モテたい人が生きやすくなるためにも、他者の価値観について「古い」とケチをつける人が減り、広義の「性の多様性」が広まれば良いなと思う。

 

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