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好きと嫌いと不快について ──食と文化を考える──

 先月末、はてなブックマークにてこんな記事が話題になっていた。 

nlab.itmedia.co.jp

「好き嫌いが多すぎるので、嫌いな食べ物のリストを部署内で共有している」という編集者Bさんのエピソードを、漫画を交えつつ紹介しているこの記事。

 コメント欄では賛否両論のようだ。

「こういう人とは関わりたくない。飲み会に来て欲しくない」

「好き嫌いがあまりにも多すぎる人は、人格に問題があると思う」

「親のしつけがなっていなかったのでは」

「何か精神医学的な原因があるのでは」

という意見もあれば、

「そういう人もいるんだから、多様性も認めようよ」

「好き嫌いと人格を結びつけるのは差別的では」

「感覚過敏の場合、親のしつけとは無関係かもしれない」

「自分も好き嫌いが多いから、人格否定に結びつけられるとつらい」

という意見も見受けられた。

 

 私自身はどう思ったかというと、この記事には正直、不快になった。

(「もしかしてこの人は、食事や飲み会に誘われたくないからあえて『好き嫌いが多い』ことにしているのでは……?」とも思ったけれど、だとしたらそんな面倒臭い方法を取ったり、わざわざ嫌いなものリストを共有する必要はないだろう)

 

 では、どの点を不快に感じたのか。不快と感じた人がどうして多かったのか。その理由を考えてみた。

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開き直っているように見えるから?

「好き嫌いが多いこと」「嫌いな理由を挙げていること」について、Bさんが申し訳なさそうにしていたらまた印象は違ったかもしれない。

 しかしこの記事を読む限りだと、冒頭部のBさんは笑顔で描かれており、好き嫌いが多いことを面白おかしく話しているように見える。

 これだけの量の好き嫌いがあり、ヴィーガン対応やアレルギー表示のある店で対応できるわけでもないということを考えると、同じ部署の人は配慮もさぞ大変だろう。その点についての気遣いや申し訳なさが感じられないことから、図々しさを感じてしまった。

 

読者への配慮が感じられないから?

 Bさんはあくまでも、友人との内輪話のつもりで話していたのかもしれない。しかし、この記事の読者には様々な人がいる。農業・畜産・水産業に従事する人もいるかもしれないし、それらの仕事の従事者を身内に持つ人、食材の運搬や調理、飲食店の経営等に関わる人もいるだろう。

 サラダについて「そのへんに生えている植物」と表現するのは、友達との冗談話なら笑えたかもしれないけれど、農業の仕事をバカにしているようにも思える。この発言を公開することは、農業従事者に対しても失礼なのではないだろうか。

 もちろん、嫌いなもの・食べられないものがあることは仕方ないし、好みを表現することも自由だ。

 ただ、「これが嫌い、あれが嫌い」と失礼な表現混じりで面白おかしく全世界に向けて発信してしまったら、「そういうことを言う人のことは私も嫌い。こちらのご飯も不味くなりそう。一緒に食事をしたくない」という反応が寄せられるのも、致し方ないだろう。

 

わざわざ「理由」が書いてあるから?

「飲み会やランチで困らないように、食べられないものを共有したい」という目的であれば、わざわざ理由まで書く必要はないように思える。しかもその理由について、モザイクをかけるくらいの表現を使っている行為は疑問に思った。

 ただこれに関しては、「理由を書いておくことにより、苦手なものの傾向をわかってもらいやすい」というメリットはあるのかもしれない。

 

あと、細かいことだけど。

 リストの中で「しいたけ」と「きのこ全部」という項目があるのが気になった。

 しいたけとそれ以外のきのこを分けるとしたら、「きのこ全部」ではなく「他のきのこ」とすべきでは……? 編集のお仕事なのにそのあたりは気にならないの……? なんてことを思ってしまった。

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じゃあ、どうすればよかった?

 では、どうすれば良かったのだろうか。

 コメントの中には、ライターの斎藤さんの「全く共感できないけれど面白い」という受け取り方に好感を持っていたり、多様性を尊重する態度が良いとするものも多いようだ。

 しかし私はあまりそのようには思えず。むしろ、斎藤さんにはもう少し頑張ってもらいたかった。

 これだけの好き嫌いがありつつも、配慮してもらえて飲み会に呼んでもらえるBさんはきっと魅力的な方なのだろう。「好き嫌いが多い」というだけではない、Bさんの特徴や魅力について、もう少し説明が欲しかった。

 

 また、

好きな気持ちと嫌いな気持ちって、ひょっとしたら紙一重なのかもしれませんね。

 記事の最後に、斎藤さんはこのように結んでいる。ここをもう少し広げれば、読者の抱いた不快感も多少は緩和されたのではないだろうか。

 たとえば、Bさんの「嫌いなものリスト」の嫌いな理由の横に、ライターさんは「その食べ物を好きな理由」を書いてみてはどうだろうか。 

 こんな感じに↓

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 ……んー、でもこうやって並べてしまうと、Bさんがその食べ物を嫌いなことを打ち消したい、否定したいような書き方に見えなくもないなぁ。

 こうやって「バランスを取ろうと思って好きな理由も入れよう」とすると、嫌いな理由のインパクトは緩和されるものの、Bさんのユニークな感受性が霞んでしまい、結局なにを伝えたいのかわからない記事になる気もする。

 そもそもこの記事自体、別に炎上しているというわけでもないし、失敗というわけでもないだろう。多様性や好き嫌いへの問題提起としては、現状のままで十分良い記事とも言えるのかもしれない。

 

 相互理解って口で言うほどたやすくないこととか、「敏感、過敏であること」がある種の弱みにも強みにも機能することとか。このブログ記事を書くことによって私もあれこれ考えさせられた。そして食材の名前を見ていたらおなかがすいてきた……。

 たとえばこのBさんの好き嫌いに合わせた食事に行くとしたら、焼肉食べ放題とかデザートバイキングとかになるのだろうか。どちらも久しく行ってないな……。

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