これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

「電通過労自殺」を受けて考えたこと

 月曜日はデザインウィーク火災事故。火曜日は博多の道路陥没。そして水曜日はアメリカ大統領選……。毎日、衝撃的な事件、事故、ニュースが次々とメディアを賑わせています。
 そんな中、時間が経ってもまだまだ話題になり続けている事件のひとつとして「電通過労自殺」が挙げられるのではないかと思います。
 亡くなってしまった女性とは私は面識はありませんが、自分と年齢や経歴が近しい人が巻き込まれた事件は切なさもひとしおです。女性のTwitterを見る限り、私の10年以上前からの友人とも彼女は友人関係にあったようで、あぁ、本当に身近なところで起こった出来事なんだな……と実感しました。

 事件が話題になった日の夜、この女性のTwitterアカウントを見つけました。つらそうな内容を自虐的に面白おかしく書いている彼女のツイートに、胸がキュッとなったり文才に嫉妬したり(東大から電通だもんなぁ)しながら、しばらく読み耽ってしまいました。(※2016年11月現在、このアカウントは非公開になっているようです)

証拠を残していたけれど

 彼女のツイートでまず目に留まったのは、「退職時に訴訟するための証拠としてTwitterを使っている」という旨の投稿があったこと。
 頭のいい方だと思われるので、そのような考えがあることは不思議ではありませんが、そこまで考えがあっても自殺に至ってしまったという事実に、改めて「じゃあ、どうすれば良かったんだろう」という問いが浮かんできました。
 また、「ネガティブなことをおもしろおかしく発信して、それによって承認を集めることの危険性」についても再考させられた気がします。(彼女がそうだと言うつもりはありませんが、「社蓄」だったり「メンヘラ」だったりを自身でコンテンツ化してしまうと、その状態でいることに疑問を感じなくなるのでは? と思ったり)

本人が主体にならない方法を

「辞める」「訴訟を起こす」などの「渦中にいる本人が主体となって動くこと」よりも、「心配な人がいたら気軽に通報・告発できる文化」が根付いたほうがまずは良いのではないかな? ということを、一連の投稿を見て思いました。

 過残業などで疲弊したり、うつ状態になってしまった労働者が主体となって大きく動くことは、あまり現実的ではないように思えますし。
(関係ないけど、ウィキリークスができたとき、これでブラック企業を告発したりするような文化も根付いたりするのかな? と思ったけどそんなことはなかったですね)。

 そんな話を友人にしたら、ブラック企業鬱病の労働者の退職・休職の手続きには、「代理人を立てる」ことをおすすめされました。
 罵倒されたり言いくるめられたりしそう……ということで会社に切り出せない場合は、第三者を代理人として立てて、退職・休職の手続きはすべて代理人を通じて行うことにより、労働者本人は疲弊せずに手続きを済ませる、ということができるようです。
 会社側からすれば、仲介する代理人は「第三者」のため、恫喝することなどはできない上に、「身内(社員)の不始末で第三者に迷惑を掛けている」という認識を持ってもらうことにも繋がるそうです。
 この「代理人」には、「信頼できる人で、法律の知識がある程度あること」が望ましく、「親はあまり良くない」とのこと。親などの家族だと、厳密には他人ではないため、「おたくのお子さんのせいで迷惑がかかっている」と、会社側が大きな態度で出てくることがあるからだそうです。
(ちなみに、会社経営をしている友人が、かれの友人の「代理人」として退職手続きに関わったことがあるらしいのですが、このとき、引き抜きだと思われないように、自分が経営している会社の名刺は出さないようにしたそうです。)

ほかにはなにができる?

 このような事件を今後起こさないために、ほかにはどんなアプローチができるか。ない頭を振り絞って私もあれこれ考えてみました。

 まず思いついたのは、「“通報すること”を娯楽化したゲーム」を作ってみたりするのはどうだろう、通報に「射幸性」を結びつけられないかなぁ……ということ。
(関係ないけど、そういえば過労死をテーマにしたカードゲームなんてものもありましたね。私は今年の春に買いました)
 
 あるいは、いわゆる「バカッター」騒動のようなものをうまく使えないかなぁ……とも考えました。
 通報することによって、その企業が弱っていくことに「メシウマ感」を見出せる人がいるといいのですが(いいのか?)、個人をターゲットにしたときとは違い、結果はすぐには出にくそうなので難しいかも知れませんね。
 あるいは、もみ消されたり誤魔化されたり、企業側がネット投稿禁止を言い出すことになるだけかも知れません。
(というかそもそも、この方法だと単なる私刑にも繋がりかねませんし、私個人の美学としても、国や中間共同体が本来整備すべきコトをこうやって個人に負担させることは好きではないです。メシウマ感なり倫理観なりに委ねるようなものはあまり推奨したくない……)

 

 でもおそらく、企業の過残業を無理やり止めさせるだけでは別のところに歪みが現れそうな気がします。
 そんなブラック企業は潰れて淘汰されてしまえばいい、と言うだけなら簡単ですが、そこで働き口を失ったひとのケアのことまで考えることが必要でしょう。行政的な配慮との両輪で成り立たせていくことを前提とした上で、どうすればいいかを考えることが現実的かも知れませんね。

 

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パラレルキャリア、副業、複業、プロボノ……

 また、最近、「パラレルキャリア」という言葉が出てくるようになった中でこの事件が起こってしまったことについてもすこし考えています。
 副業を奨励する企業も目立ってきている中、「過労死されたら/逃げられたら困るからやっぱり副業は禁止」となってしまったら残念だなぁ……とも思います。(その一方で、「副業が認められていること」が「ブラック企業ではないこと」の指標のひとつとされるくらいになればいい流れができるかも、と思ったり)
 また、この事件を受けて、タイムカード記録アプリを作ったWeb業界の友人もいましたが、このようなプロボノ的な活動も、もっと広まればいいなと思っています。

ブラック企業はなくなるか

 今回亡くなった女性は、デジタル広告関係の部署の所属だったようですが、「デジタル」関係の業務って、おそらく彼女の上司世代にとっても新しいもののはず。若手とベテランの知識量や経験の差はあまり大きくなさそうな業務のような気がしていただけに、パワハラも行われていたという事実は残念です。
 私は最近まで、「いわゆるブラック企業はいずれ時代のふるい(というか政治的正しさ)にかけられて淘汰されていくのでは」と思っていた節があり(というかそう信じたい)、私もその流れにいち早く拍車を掛けたいなぁ、と漠然と思っていました。
 しかしアメリカ大統領選の結果を見ていると、そう一筋縄ではいかなそうだな……と思えてきます。


 ブラック企業にしても今後のアメリカの動向にしても、現段階の私の知識量ではなんとも言えないところが多いです。
 さまざまな方面からの情報を重ねながら、私にできることをしていきたい。
 とりあえず今回は、私の思考過程と友人からの情報を記録して公開しておこう。
 凡庸ですが、これがこの件についての私の今回の結論です。また、思うところが出てきたらおいおい書いていくと思います。
 以上、まくはりうづきでした。

 

 

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