タイトルは釣りです。いえ、「20歳の頃に起業に興味を持った」「20歳の頃に退学や休学を考えた」はそれぞれ事実ではあるのですが、このふたつに直接の因果関係はありません。そして、退学や休学の話は今回はしません。悪しからず。
すこし乗り遅れた感がありますが、起業だの大学中退だのと盛り上がっていたので、私も思い出話をしてみたくなり筆を執りました。
現在27歳の私が、いわゆる「若手起業家」の存在をはじめて意識したのは2004年のこと。高校1年生の夏です。
福岡県で行われている「日本の次世代リーダー養成塾」という高校生対象の合宿形式のセミナーで、起業家の方のお話を聴いたことがきっかけでした。ソフトウェア会社の「株式会社ヤッパ」を17歳で立ち上げた、伊藤正裕さんが登壇されていた回があったのです。(この当時、伊藤さんは21歳!)
このときのお話のことは、じつはあんまり覚えていません……(ごめんなさい)。ただ、伊藤さんが登壇された回は、会場がすごく熱気に満ちていたことはよく覚えています。
当時の私は、商売人になることに特別に魅力を感じていたわけではなかったので、それほど強い関心は持たなかったのですが、会場の盛り上がりを見て、「このテーマに関心があるひとってこんなに多いのか」と、ぼんやりと思っていました。
やがて、私は地元の九州を離れて京都の大学に進学。そんな私が、次に若手起業家の存在を意識したのは2009年。大学3回生の夏です。関西で開催されている、学生向けの合宿形式のビジネスコンテスト「デルタ」に参加したことがきっかけでした。
そもそも参加したのは、先述の「リーダー塾」時代の仲間たちが、大学生になってからやたらと「ビジコン」に参加しているので、「私も参加してみようかな」と思ったことがきっかけ。
ビジコンそのものも刺激的でしたが(私たちのチームは最終選考まで残れたよ〜!)、ビジコン仲間をきっかけに、さまざまな「学生団体」や「社会起業家」という存在を知ることができたのは大きかったです。
私は、商売人になることそのものにはあまり興味がなかったのですが、「社会を変える」ことには大きな興味がありました。それまで私の中では、「社会に影響力を与える」といったら、カリスマ性のあるタレント・アーティストになること、あるいは、政治や行政などの「仕組みを作る側」の世界に入って世の中の仕組みを変えること、くらいしか思いつかなかったので、「ビジネスを通じて社会問題にアプローチすること」という選択肢を知れたことは大きかったです。
そして、リーダー塾のときに出会ったような、社会問題についていろいろ考えているような人たちとたくさん知り合えたことも嬉しかったです。「世界を変えたい!」と堂々と宣言している人たちの存在も刺激的でした。(映画「僕たちは世界を変えることができない」の原案となった活動もありましたし、この頃は「社会起業」「世界を変える」活動がブームだったような気がしますね)
……ただ一方で、胡散臭い人たちも見受けられました。もちろんすごい人もたくさんいましたが、率直に言って頭の悪い人や、非倫理的な振る舞いをするような人も「ビジコン、学生団体界隈」には数多く紛れていた印象が強いです。
(ちなみに、ちょうどこのころ、「意識の高い学生」という表現がmixiやアメブロで使われ始めていたように思います。揶揄されるようになってきたのはもうすこし先の話ですが)
若者を食い物にしようとする大人や同年代は、私が思っている以上に世のなかには多かったということ。そしてそれは、そんなにわかりやすいカタチはしていないということ。かれらは、ネガティブな側面を隠して華やかに演出する技術に関してはプロであるということ。18や20歳そこそこの学生をワクワクさせるなんてお手のものだということ。
「世の中を良くしたい」という善意からの振る舞いが、ひとを傷つけることもあるということ。また、そんな「世の中を良くしたい」と言っている人たちの存在よりも、自分で身に付けた力のほうが確実に自分を助けるということ。
それらのことを数年かけて、身を以て実感しました。
それから数年後の2014年。同級生よりもすこし遅れて就職した私も、いわゆる“社会人”2年目を迎えました。25歳の頃のことです。
この頃の私のまわりでは、転機を迎えていた同い年の友人たちが多かったです。地元でいちばん仲良しな友達も結婚。私と一緒にツイキャスでネットラジオ配信をしていた友達も、勤めていた会社を辞めて、お姉さんと一緒に起業。また、別の友達は、本業とは別にやっていたイラストレーターとしての仕事が増えてきた、と言っていたりもしました。
それこそ、ビジコンや学生団体界隈の友人が起業やら独立やらしていることは珍しくありませんでしたが、そういう界隈で知り合ったわけではない友人たちが、この時期に次々とキャリアアップしていったことは印象的でした。
そして、この頃の私は名古屋に住んでいたこともあり、地元の友達も、東京で活躍している友人たちのことも、みんな、私とは違う遠い存在に思えました。
その後、諸事情あって私も2015年半ばに上京。家族の暮らす家の、すぐ近くに住むことになりました。
お姉さんと起業した女友達とも、再びたまに顔を合わせるようになりました。また、最近は会社経営をしている人と仲良くさせてもらっていることもあり、再び、起業やスタートアップの世界を身近に感じる機会が増えてきました。
2016年も半年が過ぎた頃、私が上京することになった事情もひと段落し、体調もすこし落ち着き、昔からの友達とも新しい友達とも会う機会がどんどん増えてきました。それに伴い、「やりたかったけれど余裕がなくて踏み出せなかったこと」についての「やれない理由」が、どんどん消えていっている気がします。
やりたいことをあれこれリストアップしていると、その実現の手段としては、起業、あるいはそれに準ずるもの(個人事業主、法人設立など)が有効なケースも結構あるように思えてきました。(もちろん、法人税払うのがしんどいと嘆いている友人や、お客様を意識した発信が中心になり、会社員の時より息苦しさを感じているような友人もいて、起業にも一長一短あるということは承知していますが)
こんなふうに、起業を選択肢として検討する未来があるのなら、ビジコンに参加した学生時代にもっとあんなことをしておけば良かったかも、こんなことをしておけば良かったかも。そんなことが、今になっていくつもいくつも思い浮かんできます。
たとえば、簿記の勉強。資格取得そのものというより、経理の基本的な考え方を身につけておくことは、起業に限らず、就活でも就職後のキャリアアップでも間接的に役立つことは十分にあり得そうだな、と思います。
たとえば、企業・業界研究。私はもともと就活への意欲は高かったのですが、諸事情あって一度就活を辞めざるを得なくなってしまい、そこでモチベーションが一度大きく折れてしまったんです。大学生のいわゆる「就職活動」の機会は、批判されることも多いけれど、うまく使えば知見を大きく広げることができたかもしれないなぁ、勿体無かったなぁ……なんてことも今になって改めて実感します。
たとえば、ひとと会うこと。私は京都の大学を同級生より半年遅れで卒業したあと、しばらくアルバイトをしながら就活をしていた時期があったのですが、この時期は思っていた以上に生活が大変でした(時間、お金、体力、精神すべてにおいて。ひとつが狂うとほかのものもどんどん崩れていった)。
就職した同級生たちともすこしずつ疎遠になり、かといっていつまでも大学コミュニティや親にも甘えてもいられない……そんなモヤモヤを抱えてばかりの毎日でした。
またその頃、憧れの学者さんやライターさんに会いに行った際も、「学生」ではなく「フリーター」状態ということに、自分でなんとなく引け目を感じてしまったりもしました。
年齢や肩書きに甘えるな、という意見の人もいるかもしれませんが、「学生」の肩書きがあるうちは、多少未熟な振る舞いをしても致命的な事態にはなりにくいと思いますし、許される、あるいはきちんとただしてもらえるケースもあるかと思います。その機会を有効活用すべきだったな、とも思います。
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私は結局、大学卒業後1年間は京都、その後3ヶ月の短い東京生活を経て、名古屋で2年4ヶ月を過ごすことになります。
ただ普通に日常生活を過ごすだけなら、京都でも名古屋でも申し分ありません。ですが、職歴が乏しい若い人が、(どのような事業かにもよるとは思いますが)新たなビジネスのために人脈を広げたり、情報収集・情報交換をするとしたら、やはり東京が圧勝だと思います(文字通り「桁が違う」と思いました)。東京では、特別になにか大きくは行動しなくても、多少受け身でも、情報のシャワーをひたすら浴びるだけでも、見えてくる世界はたくさんありました。
では、仕事のあてはないけれども名古屋生活に見切りをつけて勢いで上京すれば良かったかというと、やっぱりそれはリスキーな部分が多いかと思います。だれかの善意で一時的に甘えることはできても、こちらが提供できるものがなければ、その関係はいずれ破綻に繋がると思います。
すぐに上京することはできなくても、名古屋でも身につけられるものはいろいろあったかも、もっといろんな人と交流していても良かったかも……とも思ったり。名古屋でも、起業していたり、フリーで仕事をしている同年代の友人はちらほらできました。
たとえば、名古屋学芸大学を院まで卒業して、時々東京まで来てクリエイティブな仕事をしている年上のフリーランスの男友達。あるいは、南山大学を卒業後、就職はせずに英会話教室を立ち上げた年下の女友達、などなど……。
「名古屋は地縁が強い」と云われるだけあり、若くして起業した人たちでも、地域に密着した事業に取り組んでいる人が多いように思えました。
ほかの地域や業界では応用が利きにくい部分もあるかも知れませんが、そんな、東京とは違う文脈で生きている人たちの生き方は、東京で差別化するヒントになるかも知れなかったかも、と思ったりもします。
……まぁ、今になってあれこれとifの話をしていても仕方がない部分もあるのですけれどね。
今後の私は何ができるか・何から取り組もうかの思考の整理として、また、過去の私と同じような立場のだれかに、少しでもなにかの参考になれば、と思い、この記事を書いてみました。
現在27歳の、都内の独身OLの私。まだ大きく名前が売れることはなにもできていない、そんな自分の姿にもどかしくなることもたびたびあります。
去年は、結婚話も破談になりました。でも、破談になった件も「身軽になれたいい機会」と考えれば意外と悪いことではないかも。
それらのことも踏まえて、今後の身の振り方を考えていこうと思います。
以上、まくはりうづきでした!