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他人の人生・生き方について何か言いたくなるということ(話題のあのエントリからの雑感)

 こんばんは、まくはりうづきです。

 最近(に限ったことでもありませんが)、ネット上に次から次へと気になるトピックが挙がってきて、なかなか考察が追い付きません。

 とくにここ最近は、「ひとの人生・生き方について何か言いたくなること」について考えさせられるものが目立っているように感じます。


 まず、私が注目したのはこちらの記事。

 下田美咲さんというモデルさんの、cakesの連載第1回のものです。
この記事はあくまでも、美咲さんが、“彼氏あるいは彼氏候補のひとに求めていること”についての価値観の表明です。
そのように銘打っているにも関わらず、案の定、単なる男女論として取り上げ、若干の批判・皮肉要素を込めたようなブックマークコメントが何件か見受けられたのは気になりました……(苦笑)。
 ただこのエントリ、「性愛と金銭」という、過激な意見が集まりやすいデリケートなテーマを扱っているにもかかわらず、全体的には、比較的穏やかな意見が多く集まっていたように思います。
それはやっぱり、彼女の筆力、そして、

友人関係にある男の人ならワリカンで別に良いし、ワリカン男子自体をダメだと思っているわけではない

と、「”男性”になにかを押し付けているわけではない」と注釈をつけていることに依る部分が大きいでしょう。

 そこが、単なる「男は奢るべき」論とは一線を画しているところだと思います。

 

あと、最近私が「うまいなぁ」と思って注目したのは、年下の男友達のこの記事。

 年度の変わり目に投稿された記事のようです。
 この時期って、「新社会人に伝えたいこと」「新大学生がやるべきこと」といったようなタイトルで、自身の体験談を一般化した上から目線エントリもわんさか沸いてきますよね(苦笑)。
 そんな中、「伝える」対象を、「新社会人」ではなく、「社会人1年目の僕」にしたところは上手い、と思いましたね。
 自分宛てなので、堂々と「上から目線で」書けますし、読み手側も、自分にも当てはまりそうなことの取捨選択がしやすくなるような気がします。(押し付けられたものの中から自分に当てはまらないものを排除していくよりは、参考になりそうなものを拾っていく方向のほうが私はしやすい気がします)


 さて、これらのエントリについて考えているうちに、私は最近起こったあるひとつの炎上事件を思い出しました。
 某アイドルグループの楽曲の歌詞が「女性蔑視だ」と炎上した事件です。
あの曲の歌詞にある「女の子は可愛くなきゃね」「女の子は恋が仕事よ」といった文言も、主語を「女の子」ではなく「私」あるいは「私たち」にしていたとしたら、ここまでの炎上は回避できたのではないか……なんてことを思いました。(まぁ、それでも問題の片鱗は残るとは思いますが、炎上を緩和することはできたのではないかと思います)
(……いや、「私たち」といった歌詞だった場合、「私たち」とはだれを指すのか、みたいな話で別の方向に炎上したりしたかもな、とセルフツッコミw)

 

 話を戻して。

下田美咲口説き方」は「女性の口説き方」ではないし、
「社会人1年目の僕に伝えたいこと」は「新社会人に伝えたいこと」ではない。
 これは見事な炎上回避・緩和のレトリックだなぁ……と思っていた矢先に出てきたこの記事は、いろいろと衝撃的で考えさせられました。

 つい最近はてなでバズった、あの記事です。

 


 ※筆者注:このブログ記事を書いて下書き保存しているうちに、当該記事が削除されてしまいました。

 京大を卒業してすぐに専業主婦になったことについて「もったいない」と言われることについての投稿でした。

 

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 私は、基本的には「ひとの人生について、他人がとやかく言うべきではない」という立場ではあるのですが、
 一方で、「もったいない」「放っておけない」という、ややおせっかいにもなりがちな感情が社会をうまく支えている部分も多いのではないか、と思ったりもしています。

 これは、「新卒でフリーランスになります」とか「会社を退職してブログ飯」などの宣言エントリに集まる意見にも同じことが言えるような気がしますね。

 まぁ、とってつけたような言い方をするなら、京大卒専業主婦の件は、「国立大学には税金が使われているのだから“他人ごと”ではない」という解釈もできないことはないような気もしますし、
 どうやって生きていくつもりなのか危なっかしい「会社辞めます」エントリについても、「フリーランスでやっていけなかったら社会保障のお世話になるんだろう」という方向からの批判もできなくはないような気もしますけれど……。(そういう批判の妥当性は置いておくとして)

 ただ、私の個人的な考えでは、個人の生き方について言及する際に、「税金」の方向から批判するひとって、どうにも、なにか言いたいがための後付けの理由として言っているケースが多いような気がするんです。
 なんというか……読んだ人みんながこぞってその道を目指すムーブメントを作り出しそうなくらい影響力が強い人のエントリだというのならまだしも、著名人ではないひとが、主ふ業をしたりフリーランスをすることによって、税収に大きく影響を与えるとはちょっと考えにくいですし……。


 あと、「もらえるものはもらっておけ」というフリーライド思考が広まってしまうのはアレですが、「失敗して、社会保障のお世話になってみんなの税金を使うのは忍びないから、挑戦するのはやめておこう」という消極的な思考が世の中を支配してしまうことは、それはそれで大きな損失になるのではないか、と個人的には思っています。


 あれこれ思考の赴くままに書いていたら、なんだかずいぶんと長くなってしまいました。

 読んでいただきありがとうございました。
 それでは、また。

私に都合のいい人生をつくる

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