これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

私にとっての「今年の漢字」2021ver.

「想像以上にいろんなことがあったな……」と思うのは毎年のことなんですが、今年の場合は「いろんなことがあった」だけでなく、「いろんな節目があった」という感じががする年でした。

 特に大きな節目になったのは7月下旬。ここから風向きが変わりだした感じがあります。

 土木系の専門誌を作る小さな出版社に就職したことと、経済学界隈の友人たちと遊ぶようになったこと。この2つがほぼ同時期に訪れたことが大きいです。

 

 それ以前の半年間は、ナイトワークの店舗スタッフとしてアルバイトをしていたり、職業訓練校でメンタルヘルスに関する勉強をしていたので、今年は上半期と下半期で関心事も大きく変わりました。

 

 今は、本業の会社員のお仕事として、土木や下水道のことや、出版や編集のことについてもいろんな知見を持っておきたい気持ちは強いんですが、

 友人たちが話している、経済学やその他の人文学系の話にもついていけるようでありたいし、

 今年上半期に勉強していたメンタルヘルス関連の話や、ナイトワークの業界についてもまだまだ追っていきたい……という気持ちがあります。

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 あと、求職活動の合間にやろうとしていたこととして、Ruby on Railsの勉強や行政書士の勉強がありました。

 これらについてはテキストも買っていたのですが、就職したことで優先度がグッと下がり、しまったままになっていました。必要に応じて、これらの勉強も再開(というほどもともと勉強してはいないんですが……)したいところではあります。

 

 そういえば今年は、個人としてのお仕事の幅も広がった年ではありました。

 友人が運営するシングルマザーシェアハウスで夕食作りをしたり、友人のSNSのアイコンのイラストを描いたり……。

 まさか私がこれらのことでお金をいただけるなんて、自分でもびっくりです!

 

 そんな私の今年の1年を象徴する漢字は、「金」もいいかな……と思ったものの、

 結局、こちらにします。

 

「水」

 

 仕事として「水商売」と「下水道」について意識を向けることが多かったこと。

 そのほか、今年は川の近くに遊びに行くことも多かったり、友人とスポーツセンターのプールに通う習慣ができたことなどもあり、今年の漢字は「水」にしたいと思います。

 

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 そのほか候補にした漢字としては、焚き火やバーベキューもしたし「火」もいいかな……なんてことも思いました。

 あとは、私自身も出版業界に関わったり、初の著書を出した友人たちがとても多い年だったので「本」も捨てがたかったです。

 

 ……それにしても「火」「水」「金」って、まるで曜日の話みたいですね(笑)。

 曜日に無理やりこじつけると、友人たちと遊んで「秘密基地」にしてる場所はお月見スポットとしても良いので「月」も良いと思いますし、植物や樹木について楽しむ話も今年は何度か出たから「木」もいける感じはします。「土」と「日」は思いつかなかった……。

 

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 そんなわけで、私の「今年の漢字」は「水」にしたいと思います。

 

 ちなみに、これまでの「今年の漢字」はこんな感じ。

 

2006年 諦(受験で諦めるものが多かった)
2007年 再(再会、再開、再履修。笑)
2008年 文(文芸部に加入)
2009年 人(新しいバイトやビジコン参加で出会いが増えた)
2010年 会(Twitterでさらに出会いがたくさん)
2011年 繋(東日本大震災、友達同士をたくさん引き合わせた)
2012年 動(引っ越しや就活や旅行での移動)
2013年 交(みんなより少し遅れて社会人に。いろんなひととの交流が増えた)
2014年 焦(結婚や独立する友達への焦り)
2015年 (結婚話が破談、引っ越し、家族とのあれこれ)
2016年 (旅行、身近な人の独立、訃報など)
2017年 (ものづくり好きな人との交流、同人誌やハンドメイド)
2018年 (脱毛、献血、親知らず抜歯など
2019年 (転職や営業の仕事で「選ばれること」を意識)
2020年 ベトナム旅行、新潟の人たちとの縁)

 

 それではみなさま、良いお年をお迎えください。

多数派の生き方を求めるのは悪いこと?「社会はリベラルに運営〜」記事への雑感②

 前回の記事の続きの話題を書いてみたいと思う。下記の記事を読んでの雑感だ。

gendai.ismedia.jp

 

 この記事の、5ページ目、6ページ目の内容にも目が止まった。

また、大多数の人にとっては、信頼できるパートナーと恋愛したのちに結婚をして、子どもをつくるほうが、そうでないよりも幸福になりやすいのだ。

 

「人生にとって恋愛とは大切なものである」「結婚したほうが幸福になりやすい」という主張にも、女性や性的少数者を抑圧して男性や異性愛者にとって都合のいい社会を維持するための家父長制的なロマンチック・ラブ・イデオロギーである、といった批判がなされてしまうのだ。

これらの批判は、必ずしも的外れなものではないかもしれない。そうした議論が少数派の人々にとって抑圧的なものになってしまう事態は避けるべきだろう。しかし、大多数の人にとっては、常識的な幸福論を参考にした生き方をするほうが、結局のところは幸福になりやすい。

 ここに関しては私も前から同じことを思っていた。

 私自身、さまざまなところで「マイノリティ」要素を感じることもあり、世間が求める「普通」を求められることが辛いときもあったにせよ、そんな私でも、

「でも、大多数の人にとっては、いわゆる『普通』に生きることで最大公約数的な幸せが手に入るのでは」

「『普通にしたくてもできない』人に『普通じゃなくてもいいんだよ』『普通へのこだわりを捨てようよ』と言われても、そうじゃない感が強い」

ということは感じていた。きっと、同じように考えている人も多いのではないかと思う。

 もちろん、大多数の人の傾向がそうであるからといって、個別の人の人生においてどのような生き方が本人にとって望ましいかは分からない。そして、どのような生き方が望ましいか望ましくないかに関わらず、その人生を引き受けて生きていかなければいけない場面もある。それを言いたくない、悪者になりたくない人が「普通を目指すことから降りても良いんだよ」と主張しているのではないか……? と感じる場面はたびたびある。

 確かに、ヒトの感情も電気信号の一種ではあるので、何らかのトレーニングや認知行動療法的なものを使うことで、本能として求めてしまう欲求を別方向に向けることは可能かもしれない。そういった手法が広まることで幸せになれる人も一定数いるとは思う。

 ただ、「今の人生が孤独で寂しいので、ひとりでいても寂しくないよう認知を変化させたい」というモチベーションを持つ人はそもそもあまりいないだろう。今の人生が寂しいと思う人は「認知を変化させたい」ではなく「恋人や友達を作りたい」という欲求を持つことが「普通」だろう。

 

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 また、私は先日、下記のブックマークコメントにも書いたが、
 近年はもはや一周回って「モテなくて苦しいのなら、男らしさから降りよう」ではなく「モテなくて苦しいのなら、モテる男になるよう努力しよう」「努力の方向性を見直そう」というメッセージを増やしたほうが良いのでは、ということも感じている。

b.hatena.ne.jp

 

 そして、そのような「モテる」ことを目指す人が、「恋愛脳w」などと揶揄されることがなくなれば良いな、と思っている。

 

 

 ちなみに、この「普通のことに縛られるほうが幸せ」ということに関しては、下記の本にも似たような回答があった。

 こちらの「お悩み19」にも同じような話が載っていたので、興味を持った人はぜひ読んでみることをおすすめしたい。

 Webサイトのほうの、ラブホの上野さんの人生相談のページにも似たような相談が載っているが、こちらの回答は、本の中での回答とは少し異なるものになっている。読み比べてみても面白いのではないかと思う。

ueno.link

 

ヒトの権利に重きを置くのは自明なこと? 「社会はリベラルに運営〜」記事への雑感①

 ──12月3日。とうとうこの日がやってきた。

 ベンジャミンの、初の著書の発売日だ。

 

 彼は今でこそはてなブログで有名になり、私もはてなブックマークでそこそこ知られるようになったようだが、私たちの出会いは2008年、大学の文芸サークルだった。

 彼は学生時代から小説が飛び抜けて上手かったので、小説ではなく評論の本で商業出版デビューというのは少々意外な気はしたが、ベンジャミンのブログ「動物的道徳日記」も、外部メディアの記事もどれもSNSでたびたび話題になっていたので、評論でのデビューというのも不思議ではなかった。

 

 書籍の発売のタイミングで発表された、こちらの記事も読んでみた。

gendai.ismedia.jp

 

 私がすでにブックマークのコメントで書いていることは割愛するが、書ききれなかったことや、コメント欄を読んで思ったことなど書いてみたいと思う。(長くなったので複数回に分けます)

b.hatena.ne.jp

 

 まず興味深いと思ったのは、4ページ目のこのくだりだ。

功利主義に基づく規範論はじつにリベラルなものであり、左翼的で反差別的なものとなる。たとえば、同じ金額を寄付することで「一人の同国人」の生命を救える団体と「二人の外国人」の生命を救える団体があるなら、後者の団体に寄付するべきだということになる。

さらに、同じ金額で「100匹のネコ」を救える団体もあるなら、そちらのほうに寄付するべきかもしれない。相手の国籍や人種や性別によって道徳的に配慮するかしないかを変えるのが間違っているのと同じように、相手の生物種によって道徳的に配慮するかしないかを変えるのも間違っているからだ。

 似たことは私も以前からたびたび考えており、SDGsが叫ばれるようになった昨今、より一層考えるようになったテーマでもあったのでこの文章は目を惹いた。

 

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 昨今、「人権」について声高に主張する人々が目立ってきており、それはとても喜ばしい風潮だと思ってはいるが、その一方で「ヒトではないものの存在の権利」については蔑ろにされたり、一段と低く見られがちであるかのような状況が気になっていた。

 記事では動物の例が挙げられているが、動物に限らず、植物や自然環境、そのほか法律上は「人」とは見做されていない胎児や、まだ見ぬこれから生まれてくる人たち、すでにこの世を去った人たちなどの存在についても、もっと考えられても良いのでは……という思いがずっとある。

 もちろん、我々は生きているヒトである以上、生きているヒトの権利を優先して考えがちになることは致し方ないと思う。ヒトの権利と、ヒト以外の権利が衝突した場合に、ヒトの権利を優先する考えが支持を集めやすいのはなんらおかしなことではないとは、思う。

 でも、あまりにもその考えが強い意見ばかり見ているとそれはそれで疑問が湧いてくる。

 生きているヒトがそんなに偉いの? 生きているヒトが、ほかの存在よりも優先されることってそんなに自明なことなんですかね? ヒトがなまじ言葉を話せるからって傲慢になってないですかね? と時々、自分にも他人にも大声で呼びかけたくなる。

「そもそも生きているヒト同士でもいろんな権利が衝突している中、それ以外の存在のことまで考えてられないよ!」と言いたくなる現状もわかる。でも、そんな中だからこそ時々は、ふだんは自明のものと思いがちなことについて、一度立ち止まってみたいな、と思う。

 

お店もお客様も、みんなにとって良くあるために

 ※この記事は、はてなブックマーク Advent Calendar 2021の記事として書きました。
 書く内容を当初の予告から少し変えました。
 執筆者、まだまだ募集中です! はてブユーザーの皆さんはぜひ参加してみてね。

 

 私がSNS上でしないよう気をつけていることとして、「店へのクレームを、店舗が特定できるカタチで投稿しない」ということがある。

「あのお店の××店の対応がひどかった」といった投稿は時々流れてはくるものの、その真偽も不明な以上むやみに拡散に関与したくないので、その投稿を直接「いいね」することも最近は控えることが多い。(店舗が特定できないそのブランド全体についての意見や、なんらかのカタチで事実関係が裏付けられているものはこの限りではないけれど)

 私が、特定の店の対応に関して不愉快な思いをしたときは、直接その場で言うこともあるが、「本社のお問い合わせフォームから意見を送る」ことが多い。そのようにしている理由はいくつかある。

  • 店内にあるお客様アンケートに書いた場合、店員がもみ消すことによって改善に繋がらない場合がある。
  • 電話だと相手の時間を奪うことになってしまう。電話や対面と違い、メールのほうがこちらも冷静になれるし、どのような内容を送ったのか、証拠も残るから大きなトラブルにはなりにくい。
  • 明らかにクレームとして伝えたいことは、ほかのお客様に見せる必要はないので、レビューよりもお問い合わせフォームのほうが適切だと考えている。

という理由からだ。

(ちなみに、返信の有無を選べるタイプのお問い合わせフォームでは、「返信不要」にしている事が多い。先方に余計な負担をかけたくないからだ)

 

 ただ、そうはいっても私自身、厳しい指摘をすることそのものはあまり得意ではない。指摘の際は言葉選びなどは自分なりに気をつけてはいるものの、それでも少なからず罪悪感はある。また、友人同士だとそこから相手が怒りケンカに発展するケースもあれば、逆に「あの、その際は本当に、本当にごめんなさい……」と大げさに謝られてしまうこともあり、それはそれで恐縮してしまう。

 

 どうしたものだろうか、と思っていたある日、はてなブックマークでこんな投稿が話題になっているのを見つけた。

togetter.com

b.hatena.ne.jp

 

 そうだ、問題点についての指摘も大事だけれど、「店員さんのこの対応がよかった」「このお店の料理はいつも美味しくて嬉しい」など、そういったポジティブな声を伝えることも大切なことだ。

 そもそもひとは、そのお店の料理が美味しかったり、ボリュームがあったり、接客が良かったりするからそこに何度も足を運んでいるのだろうけど、つい「このお店なんだから、いつもそのクオリティなのは当たり前」と思いがちになってしまう。

 そして思い返せば、コロナ禍で、その「当たり前」が当たり前ではないということもたびたび感じてきた。いつの間にか潰れていたり、食材の入手が困難なためかメニューとは一部違う食材に変更されていたり、人手不足なのか少人数の店員さんが慌ただしく働いていたり……そういう場面を目にしたのは、一度や二度ではなかった。

 もちろん、毎日のように本社のお問い合わせフォームに「今日の接客も良かったです」「今日のランチも最高でした」なんてメッセージを送る必要はないと思うが、レビューやSNSには「良かった感想」は定期的に書いていきたい(よく行く店舗をSNSで書くことは、防犯面として少々難しい部分もあるけれども)。

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 クリスマスやバレンタインや父の日、母の日、敬老の日などのように「お世話になっている店や企業に感謝を伝える日」のようなものがあっても良いのではないか、ということもふと思った。そういう日がなくっても、新年にお年賀の挨拶としてそういったメッセージを送ってみてもいいだろうし、自分の誕生日に「これまで自分を支えてくれたものに感謝をする日」という決意をしても良いのではないかと思った。

 この投稿を読んでからは、私は何らかのクレームを送る際も、そのぶん別の店員さんの良かった対応や、その店の良いところを丁寧に書いて、褒めるようにしている。

 特に良い対応をしてもらった場合も、そうでない「いつもどおり」の場合も、それを「当たり前」と思わず、折を見て感謝の声を伝えていきたい。

 

 アドベントカレンダー、明日の担当は高橋かずひろさんです。お楽しみに!

 

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今週のお題「あったか~い」

制服リサイクルポーチは悪いこと? おもしろグッズか、性犯罪か

制服リサイクルのプロダクトが批判を浴びる

 先日、こんなクラウドファンディングが一部で物議を醸していたようだ。

(追記:11/15にプロジェクトは掲載中止となった模様)

www.makuake.com

 

 どういうものかというと。石川県の制服のリユースショップが出している、制服のスカートをリサイクルしたポーチが「痴漢を連想させる」「スカートめくりは性暴力」「性犯罪を肯定するのか」などの視点から批判を受けているようだ。

 

 正確にはクラファンそのものというよりも、クラファンを宣伝した際のツイートが批判を浴びたようだ。(当該ツイートは削除された模様)

 

 これに関して、私の考え方をまとめてみたいと思う。

似た商品を買った思い出

 結論からいうと、私はこのプロダクトそのものについて「良いんじゃないの」という立場である。

 デザインも可愛いし、他にはないデザインで面白いし、エコを意識するきっかけにもなる。個人的にはとても好みの商品だ。

 

 そして、この商品を見て思い出した。

 私自身も昔、「パンツ型のポーチ」を買ったことがある。

 

 買った商品そのものの写真は見当たらなかったが、イメージとしてはこのようなものに近い。

tunic-labo.stores.jp

 このポーチに何を入れていたは忘れたが、「その水玉ポーチ、かわいいね」「実はこれ、パンツの形なの」「何それ〜!」と、話のネタになったことがあるのを覚えている。

 

 このポーチは、紐を引っ張ると上部がすぼんで閉じる形になるため、ポーチが閉まっている状態では一見「パンツ型」とは分からなくなっている。

 そういう商品の特徴もあってか、このポーチの利用と「性犯罪」は私の中で結びつくものではなかった。

 

 今回のリユースショップのプロダクトも、このような商品の延長上にあるように私には思えた。

 

このプロダクトの特徴は

 ただ、上記の「パンツ型ポーチ」と今回批判を浴びたプロダクトでは、異なる点もいくつもあるため、単純に「同じようなものだ」とは言うことはできないだろう。

 

特徴1:実際に児童が着用した素材が使われている

 今回、批判を浴びている点の一つとして大きいのはこの点だろう。単にスカートやパンツを模した商品ではなく、「実際にスカートとして使われていた」ものであるというのが危ういという視点だ。

 この点はもっともだと思うが、子どもが着用した商品を使った製品のリメイクがただちに不適切かというと、そのようなことにはならないだろう。

 個人的には「制服スカートのリメイク製品は、性犯罪を連想させるので作らない」という考え方のほうが(その慎重さもそれはそれで大事とはいえ)「制服スカート=性犯罪なのか……」と残念な気持ちになってしまうかもしれない。

 

特徴2:「めくる」ことがメインの形状となっている

 この点も、今回の批判を浴びた要素としては大きいと思っている。先に紹介したパンツ型ポーチは、使用時はパンツには見えない形状となっているが、このプロダクトは使用時もスカートの形状が保たれている状態となっている。上からものが出し入れできるポーチとしての役割のほか、「スカート風の部分をめくれる」ようになっていることも特徴として大きい。その点は無視できない、という批判はもっともだと思う。

 

スカートをめくるのはどんなとき?

 そもそもの話として「スカートをめくる」ことは、どのような状況で行うことかをもう一度考えてみたい。

 

 自分でめくる場合……「トイレ、排泄」「着替え」「自慰行為」「自傷行為」「性行為」「ケガの手当て」「スカートの広がり具合を楽しむ」「暑い日に扇ぐ」など

 他人にめくられる場合……「性犯罪(いたずらとしてのスカートめくり、強制わいせつ、強制性交等含む)」「性行為」「トイレ、着替えの介助」「ケガの手当て」など

 

 こういった内容も踏まえると、私は必ずしも「スカートをめくる行為=性犯罪を連想」とは言えないのではないかと考えている。

 スカート型ポーチを「自分の分身」として考えてめくる場合と、「他人を模したもの」としてめくる場合では、意味合いが変わってくる部分もあるかもしれない。ひとによってそのあたりの想定シチュエーションが違うことも、このプロダクトが物議を醸した要因の一つなのではないかと思う。

 

 もちろん、合意のない「スカートめくり」が「子どものイタズラ」として矮小化されやすい現状は問題視されるべきだと思う。

 しかし、この商品は子どもをターゲットにした製品というわけでもなく、もちろんアダルトグッズフェティシズム関連製品としての販売でもない。クラファンのページを見ても、制服スカートを「性的対象物」として扱っているようにはほとんど感じられず、そのフラットな感じは私の中で印象が良かった。

「スカートをめくる状況」は色々と想定される中、このプロダクトと「性犯罪を矮小化すること」は、まったく無関係とは言わないが、少し距離があることのように私には思えた。

 

 

 先ほど「性的対象物として扱っているようにはほとんど感じられない」と書いたが、一点だけ気になった箇所があった。

 クラファンページにある、こちらのイラストだ。

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 こちらに関して、「おじさんが女性を侍らせてお酒を楽しむ場所で、女子学生服を使った商品を肴にするなんて」という批判もあるようだが、私はむしろ、「色気や性を売りにしているキャバクラならではの使い方で、良いのではないか」と思った。

 パンツが見えそうなミニスカートを模したポーチは、状況によっては目のやり場に困ることもあるかもしれない。一般企業や友人たちとの交流の場では、このポーチに下手に言及するとセクハラになり得ることもあるだろう。無論、性や色を売りにする場ならどのような性的言動も構わないというわけではないが、イラストに出てくるキャバクラのような場では、性に触れる話題が出たとしても比較的容認されやすいシチュエーションと言えるのではないだろうか。

どういうものが不適切?

 ところで、コンテンツそのものが「犯罪を連想させる」として批判を浴びたものはこれまでもいくつかあった。

 2018年に、ドラマ「幸色のワンルーム」が「実際の誘拐事件を彷彿とさせる」と批判を浴びた件や、2020年に発売されたゲーム「縦笛なめなめVR」が「気持ち悪い。性犯罪を肯定しているのでは」と評された件などが記憶に新しい人もいるだろう。

「幸色のワンルーム」のドラマは放映中止となったが、「縦笛なめなめVR」は販売されているようだ。

 

 個人的にはどちらも放送・発売は基本的には構わないのではと思う立場だが、テレビドラマに関しては、見たくない人がうっかり見てしまうことも想定されるので、放映中止が「やりすぎ」だとも思わない。ゲームに関しては、適切なレーティングなり「ゲーム内のキャラは合意の上でやっている」という設定があるのならば、そのゲームをやりたい人がお金を払って遊ぶものであれば別に構わないのではないかと考えている。

 

 今回のスカートのポーチに関しても、「欲しい人がお金を払って買うもの」であり、「かわいく、おもしろく、エコ」であることを売りにしていて、フェティシズムを満たす目的の人向けに売っているわけではない、という点は大きいのではないだろうか。

 

ブルセラ的な購入者をどう防ぐか

 この商品に関しては、ブルセラショップのような、性的フェティシズムを満たすために購入する人に対して危惧する意見も見受けられた。

 

 少し調べた限りだと、この商品を作っている実店舗では、「そういった趣味の人には売らないようにしている」ようだ。

blog.recle.boy.jp

「そうはいっても、完全には防ぎきれないのでは?」「店主の人の勘にすぎないのでは?」といった意見もあったが、もちろん100%防ぐということはできないかもしれない。そもそも、制服を必要とする保護者や生徒自身が、購入した学生服を使って性的欲求を満たすことだって想定される。ここでキモなのはブルセラショップ目的で来るお客様には、売らないようにしています」という姿勢を見せること自体なのではないだろうか。

 

「なぜ制服の販売では徹底するのに、このポーチは普通に売ってしまうのか」という意見もあったが、これはおそらく「加工された商品は、『そういう趣味の人』からは需要が低いこと」「まだ着れる制服が『趣味の人』にまわってしまい学生に行き渡らなくなるのは問題だが、バッグやポーチに加工する制服はそもそも傷んでいるので、売る相手を制限する必要がないこと」などの理由があるのではないだろうか。

 いずれにせよ、商業活動の自由の範疇と言えるのではないかと思う。

 

ここに改善の余地がある

 とはいえ、この商品を発表するにあたり、届けたい人に届けるためにはもう少し工夫の余地はあったのではないかと私は考えている。

 

1.ネーミングが良くなかった

 この制服スカートポーチは「めくりん」という商品名のようだ。この店ではほかにも、セーラー服をリメイクした「せえらん」、学ランをリメイクした「がくらん」が売られている。

 それらと響きを揃えるために、スカート型ポーチは「めくりん」にしたのだと思うが、「スカートめくり」を連想させてしまう名称にしたのは良くなかったと思う。ミニスカートだから「ミニりん」とか、裾がひらひらなびくのでひらりんとか、そのような名称だったらまた印象も違っていたのではないかと思う。

 

2.ツイートが良くなかった

 すでにツイートは消されてしまっているようではあるが、「めくって遊んでみて」というアピールも上記と同様の理由で、良くなかったと思う。もちろん、親しい関係の相手のスカートをめくってじゃれ合うシチュエーションもあり得るが、「スカートめくり」という「犯罪」が「遊び」と矮小化されることが問題視されている中では、「スカートをめくること」と「遊び」が繋げられているツイートに不愉快な思いをする人も多かったと思う。「裏側はフルーツ柄になってます」などの、商品の内容紹介に留めておいたほうが良かったのではないだろうか。

 

結論

 私の結論としては、「プロダクトとしては面白いと思うので、売り方にもう少し配慮したほうが良かったのでは」ということに尽きる。

 そして、どのようなものを愉快に思い、どのようなものを不快に思うかは人それぞれなので「性加害を連想させ得るものは、販売を止めるべき」ではなく「どのような売り方やアピールをすれば、より適切に商品を届けられるか」の方向から考えていけるようでありたいな、と今回の騒動を通じて思った。

 

 

 ……それにしても、自分が開発やプロモーションに関わった製品というわけでもなく、批判を読んでから後出しジャンケンで「ああすればよかった、こうすればよかった」という記事を書くことにはどこか居心地の悪さもある。「偉そう」にならない立場からできることも自分なりに模索したい。

「ルール?展」に行ってきた

「ルール?展」、面白そう!

 10月30日(土)、友人たちと「ルール?」展に行ってきました。

www.2121designsight.jp

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 この企画展、何をきっかけに知ったのかは忘れてしまいましたが、
「ルール」と向き合うことがテーマになっている、ということ、
 田中功起さんや遠藤麻衣さんなど、気になっていた作家さんが参加されているということ、
 そしてディレクターとして、映像作家で研究者の菅俊一さんが携わっていらっしゃるということで興味を持ちました。

 

 菅さんの著書『観察の練習』、以前このブログでも紹介したこともありますが、お気に入りの一冊です。

観察の練習

www.wuzuki.com

 

 結論から言うと、この「ルール?」展、とても面白かったです!

 ただ、閉館1時間前の17時に入館したため、じっくり鑑賞できなかった作品がいくつもあったのが少し心残り。

 現在、新型コロナウイルス対策として予約制になっていますが、じっくり観たい人は17時よりも前の時間に予約することをオススメします。(公式サイトから予約できます)

パンフレットも充実の内容!

 入館して配られるパンフレット、これがまず面白かったです。

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 すでに入館シールとスタンプを押してしまっているので分かりづらいですが、入館時にもらう時点ではこれらは押されていません。標識を模したスタンプがいくつも置いてあるので、その中からスタンプを選んで押すことになります。

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 押したあと、一緒にきたメンバーで「押したスタンプ、どんなのだった?」と盛り上がりました。

 

 そしてこのパンフレット、中身も充実。この展覧会の「参考文献」的な感じになってます。いろいろなグラフやデータが出ていて、これだけでも読み応えありそうなくらい。(ただ、展示そのものはこのパンフレットを開かなくても十分楽しめるというか、開くほどじっくり鑑賞する余裕はありませんでした……)

 

写真あれこれ

 館内の展示の撮影は、原則として自由でした。(動画は一部で禁止されていました)

 今回来れなかった友人もいたので、彼に見せるための写真をみんなで手分けして(?)撮影したりも。

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こんなものも作品になってた

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 この展示への「意見募集」の内容も作品のひとつになっていました。

 会期が長い展覧会ならではの企画ですね。

 

 個人的にまず面白いなと思ったのは、この「意見募集」の張り紙の文字がわざわざ手書きで書かれていたこと、そして、寄せられた「意見」のほうがパソコンの文字で書かれていたということ。

 これにはどういう意図があるのだろうか……と考えてみました。

 既存のご意見箱的を「反転」させたものとしたかったのかもしれないな、と思いました。

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 そして、Twitterで少し話題になっていた、こちらの投稿の実物も観てきました。

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 そのほか、私にとって印象的だったものや、もっと観てみたかったものなどいくつか紹介したいと思います。

 

NPO法人スウィング「京都人力案内『アナタの行き先、教えます。』」

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 この二人は、京都の市バス路線を丸暗記し、観光客や困っている人たちに自主的に案内を行っているとのこと。

 対価を要求しないこの交通案内は、ボランティアとも仕事とも言い難く、客引き行為とも異なる、さまざまなルールの合間を縫って成立している……とのことで、とても「ルール」を感じさせられました。

 そして、大学時代に京都に住んでいた私にとっては、あのバス路線のわかりづらさはすごく「わかる……!」と思えるものだったので、そこに懐かしさと共感を覚えました。

 

石川将也+nomena+中路景暁「四角が行く」「ルールが見えない四角が行く」

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 撮った写真がブレていたのでこれしかなかった……。

 

 どんな展示かといいますと、四角いオブジェが、流れてくるトンネルの形に合わせてズレていき、形を変えていくというもの。わかりづらい説明でスミマセン。

 これは「ルールに従う人々」を模したもののようです。

 当初は、少し地味な展示だと思ってなんとなくスルーしてしまったのですが、じっくり観てみると批評としても面白かったのと、ロボットというかコンピュータというか、この、オブジェがパタンパタンと動いて形を変えていく動きの仕組みも興味深いと思い、見入ってしまいました。なんだか、数学の展開図の問題を思い出します(?)。

 

Whatever Inc.「D.E.A.D. Digital Employment After Death」

 死者の再現や死者のプライバシーなど「死後のルールメイキング」についての展示です。こういう生命倫理に関する話題には割と関心があるので、見入ってしまいました。

 娘を幼くして亡くした母親が、VRで娘さんと再会した映像とかは泣けた。

 

 映像の横には、死後の権利の表明書の記入ブースみたいなものもありました。混んでいたのでどんな感じだったかは見れなかった。

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遠藤麻衣「アイ・アム・ノット・フェミニスト

 これ、写真撮りそびれてしまったのでパンフレットを引用します。

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 こういう、オルタナティブな「結婚」とか、家族制度を見直すような動きって興味あるんですよね。

 2018年に開催した(私も運営のお手伝いしていた)「かぞくって、なんだろう?展」を思い出しました。

kazokuten.wordpress.com

 

一般社団法人コード・フォー・ジャパン「のびしろ、おもしろっ。シビックテック」

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 これもササッと観てしまったので悔やまれます。Code for Japanの活動に関わっている友人は何人もいるので、もっときちんと鑑賞すればよかった……。

 

一番良かったのは、これ!

ダニエル・ヴェッツェル(リミニ・プロトコル) 田中みゆき 小林恵吾(NoRA)×植村 遥 萩原俊矢×N sketch Inc.「あなたでなければ、誰が?」

 

 これ、ものすごく好みでした。

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 これは来場者参加型の企画です。私が来たときには残念ながら定員に達してしまっていたものの、観覧はできるようだったので、何気なく覗いてみたらとても惹き込まれました。

 

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 どういう企画かというと。この場に集められた来場者が、スクリーンに表示される質問について「はい」なら右に、「いいえ」なら左に移動する、というカタチで回答していく……というもの。

 

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 Yes,Noだけでなく、複数選択肢があるようなものもありました。

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 そして終盤では、少しセンシティブな質問も。

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 照明を落として暗くして、回答方法も先程までのものとは異なるカタチをとり、どう答えたか他の人からは分かりにくいように配慮されていたのもドキドキしました。

 

 これ、「ルール」そのものとは直接関わりのない展示のように思えましたが、パンフレットなども読んでみたところによると、ルールを決める方法としての「民主主義」を問い直すことを目的とした企画のようでした。

 

さらに、こんなものも作品になってた

 時間もなくなってきたので、会場を出てミュージアムショップに向かいます。

 結局何も買わなかったものの、レジのこれには目が留まりました。

 

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 まさかの、レジにも展示作品風のキャプションがつけられているとは……w

 

みんなの感想、私の感想

 一緒に行った友人たちの感想を聞いてみたところ、

「予約制だった割に人が多く入っていて驚いた」

「若い人やカップルが多いのが意外だった。
 こういう現代アートって、好きな人は結構限られてると思ってた」

「『ルールを破壊して自由になる』みたいなカウンターカルチャー的な展示ではなく、『より良いルールのために議論しよう』といった感じだった」

「『資本主義ぶっ潰せ』系の展示もあり、ごちゃまぜな感じだと思った。
 対話&熟議アナーキールールの可視化&メタ化、の3種類があったという感じ」

「抽象度が高い展示が多くて、見る人を選ぶのではと思った」

などが挙げられていました。

 

 私の感想としては、みんなとは割と大きく違っていて、

・予約制なだけあり、人数はちょうどいい感じに絞られていて良かった

・客層としては、(やや失礼な表現になるのを承知でいうと、)
「作品のそばで考察を繰り広げているような人たちよりも、いかにもミーハーな感じの人が多いなぁ」という印象。概ね予想通りの雰囲気

・六本木の森美術館にも言えるけど、そういうミーハーな若者への訴求を狙ったような美術展、このへん多いよね……(私そういうの萎えるんだよなぁ)

・思ったよりボリュームが多く、じっくり鑑賞できなかったのが心残り

・たしかに抽象度の高い展示も多いけれど、パンフレットが思考の補助線として使えるので、あまり「人を選ぶ展示」という感じはしなかった

・むしろ、美術ガチ勢もミーハーな初心者も楽しめる、万人におすすめできる展覧会という印象

 

といったところです。

 

 ちなみに、ほかの友人の感想のnoteはこんな感じでした。

note.com

 

 11月28日(日)までやっている展示なので、興味を持った方はぜひ、予約して観に行ってみてくださいね。