これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

私にとっての「今年の漢字」2019ver.

 私にとっての「今年の漢字」、今年は間違いなく「転」だな。

 

 そんなふうに考えていたのは半年前のこと。今年は7月に「転」職をし、5月に身内が「転」倒したことによって生活に変化が生じたことから、今年の漢字は「転」にしたいと考えていました。

 

 今年は、2〜3ヶ月に一度のペースで波が訪れ、心身ともになかなかに慌ただしい1年ではありました。
 誰かとケンカしたり、仲直りしたり。疎遠になったり、再び交流したり。ネットで執拗に粘着されたかと思えば、ファンが増えていたり。怒られたり、褒められたり。いろんなひとと、いろんなところで再会したり(24年ぶりに幼稚園時代の友達と再会したり、20年ぶりに小学校時代の恩師と会えたのは大きかった……!)。

 有給消化期間もあり、遊ぶ時期と仕事に集中する時期がはっきりしていて、割とメリハリのある1年でもありました。

 

 ホストクラブから裁判傍聴まで、プライベートでもいろんなところに遊びに行きました。
 今年初めて挑戦したこと・やってみたものはなにがあったかな。

 裁判傍聴、競馬、レモン狩り、NPO法人への寄附、フリマ出店、ホストクラブ、転職、美容鍼……。こんな感じかな?

 また、今年はたくさんの銭湯・温泉をめぐることもできました。

 転職活動や仕事の合間に、いろんなモーニングやカフェ、飲食店に立ち寄るのも面白かったです。

 業務外の部分でも、転職で大きく生活が変わりました。

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 そんなわけで、今年の漢字は「転」かな……と思ったけれど、いや、なんだかそれは今年の本質ではないな、と思ったりも。

 転職の際、どういう基準で企業を選ぶか。

 自分の人生を豊かにするために、どういう生き方をするか。

 だれと、どのような人と働くか、生きていくか。

 どのタイミングで決断するか。どのタイミングで伝えるか。

 逆に、何を「選ばない」という決断をするか。

 そういうことをずっと考えてきた1年だった気がします。

 転職してからも、営業職になったので、

「どうすればこの商品を選んでもらえるか」「どうすれば私自身を信頼してもらえるか」を、ずっと考えていました。

 あと、直接あまり関係ないけど、今年は従姉も市議会議員選挙に立候補して「誰かに選ばれること」を経て転職をしていて。

 今年は「選ぶこと」「選ばれること」を強く意識した1年だったな、と思いました。

 なので、今年の漢字は、

「選」

に、したいと思います。

 

 ちなみに、これまでの「今年の漢字」は、こんな感じ。

2006年 諦(受験で諦めるものが多かった)
2007年 再(再会、再開、再履修。笑)
2008年 文(文芸部に加入)
2009年 人(新しいバイトやビジコン参加で出会いが増えた)
2010年 会(Twitterでさらに出会いがたくさん)
2011年 繋(東日本大震災、友達同士をたくさん引き合わせた)
2012年 動(引っ越しや就活や旅行での移動)
2013年 交(みんなより少し遅れて社会人に。いろんなひととの交流が増えた)
2014年 焦(結婚や独立する友達への焦り)
2015年 (結婚話が破談、引っ越し、家族とのあれこれ)
2016年 (旅行、身近な人の独立、訃報など)
2017年 (ものづくり好きな人との交流、同人誌やハンドメイド)
2018年 (脱毛、献血、親知らず抜歯など)

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 では、良いお年をお迎えください。

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紙コップと賑やかなリビング

 

 2013年春────

 

「お邪魔しま〜す」

 なにか新しいことが始まりそうな、春特有の高揚感。さわやかな夕風とともに、友人たちが私の部屋に上がって来た。

 神楽坂の小さな1LDKに6人が入ると、部屋はもうぎゅうぎゅうだ。でも、その距離感もどこか心地良かった。友人たちはスーパーで買ったお惣菜やお酒をレジ袋から取り出し、テーブルや床に並べ始める。私も紙コップと紙皿、割り箸をみんなに配る。

「ようこそ!」

 

※この記事は、「シェアハウスのアレコレ Advent Calendar 2019」の17日目の記事として書かれています。

 

 就職を機に、神楽坂のマンスリーマンションで暮らし始めた私は24歳になったばかり。
 東京で暮らすのはいつぶりだっけ。代々木から引っ越したのが小4の終わり、1999年の3月だから、えーっと、14年ぶりの東京暮らしか。時が経つのは早いなぁ……。

 とはいえ、今、神楽坂の部屋に集まっているのは幼少期からの友達ではない。全員、つい最近、大人になってから知り合った友人たちだ。

 

*** 

 きっかけはTwitterだ。東京に引っ越したばかりのある日、相互フォローの友人からひょんなお誘いがあった。「社会問題について話すインターネット番組『ジレンマ×ジレンマ』を運営しているんですけど、よかったら観覧に来ませんか」というものだった。ところが直前になり、登壇予定だった1人が来れなくなってしまい、なんと私が登壇することになった。

 この「ジレンマ×ジレンマ」の放送が行われたのは、インターネット系のシェアハウスギークハウス水道橋」。数ヶ月に一度の不定期のペースで、このシェアハウスの1階スペースを借りてUstream配信を行っている。

「ジレンマ×ジレンマ」は、NHKで放送されている番組「ニッポンのジレンマ」のパロディ番組だ。社会問題や福祉、政治、報道などに興味がある20〜30代の有志で運営している。そういう話は私も好きだったので、メンバーのみんなともすぐに仲良くなった。

「ジレンマ×ジレンマ」の懇親会の様子。2013年、ギークハウス水道橋にて。

 

***

 友人たちが神楽坂に来てくれたこの日は、テレビ番組「ニッポンのジレンマ」の鑑賞会を私の家で行った。お酒を飲みながらあれこれツッコミを入れつつ、ワイワイおしゃべり。何の話をしたっけ。共通の友人知人の話や、学生運動や就活、ジェンダー、働き方の話で盛り上がったっけ。

 あぁ、こういう刺激的な話ができる友達っていいな。これからもみんなと仲良くできたらいいな。もっと大きなことができたらいいな────。 

 

 あっという間に、みんなが帰る時間となった。

「きょうはありがとう! また遊ぼうね~!」

 みんなを見送ったあと、私は改めて片付けを始める。使用済みの紙コップや紙皿、割り箸、食品の包装をゴミ箱に入れる。余った紙コップや紙皿、割り箸は、また宅飲みするときに使おう────。

 

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***

 2013年5月下旬、私は梱包した荷物を郵便局に運んでいた。3ヶ月の神楽坂暮らしも、きょうでおしまいだ。マンスリーマンションでの短期間滞在だったので、荷物も少ない。

 神楽坂はとても住みやすいまちだった。おしゃれなお店もあり、スーパーやドラッグストア、100均も近い。地域猫も暮らしている。見知らぬおばさんと軽く会話を交わすような、下町らしさも残っていた。それでいて交通の便はとても良いし、治安も申し分ない。できることならまた神楽坂で暮らしたい、また都内で暮らすことになったら、今度は神楽坂の文京区方面に住んでみたいなぁ────。

 

 そう、私はこれから名古屋に引っ越すことになる。名古屋で6月から3ヶ月過ごしたあと、東京か名古屋のどちらかで配属先が決定する。

 

名古屋市昭和区

 

 2013年6月から名古屋暮らしが始まった。3ヶ月が経ち、配属先は名古屋に決定した。

 期待に胸を弾ませた名古屋生活だったけれど、なかなか思うようにはいかなかった。

 まず、なかなか同年代の友達ができなかった。できたとしても、1人ずつバラバラのコミュニティで知り合った人が多く、神楽坂にいたときや、京都で過ごした学生時代のような「みんなでワイワイ」するような交遊関係は築けなかった。

 

 名古屋のコミュニティとして特徴的だったのは、世代を跨いだコミュニケーションが多かったこと。学生時代や神楽坂では、同年代の若者で集まるコミュニティが多かったけど、名古屋で出入りしていた場所はどこもいろんな世代の人がいた。女子高生からおじいちゃんまでいるようなアートコミュニティや、二十歳前後の学生から年配の大学教授までいる読書会、親子で参加しているようなボランティア団体は、それはそれで町内会っぽさがあって新鮮だった(20~30代の親とちっちゃい子、というパターンもあれば、50~60代の親とアラサーの子、のパターンもあった)。

 ただ、町内会っぽいコミュニティにはどこか居心地の悪さを感じることもあった。幼少期から引っ越しが多く、ひとつの地域で短期間しか暮らさなかった私は、昔からその地域にずっと住んでいる人たちが多い集団には疎外感を抱くことも多かった。

 

 

 名古屋に馴染めなかった私は、数ヶ月に一度は関西に遊びにいっていた。京都で学生時代を過ごした私は関西にも知り合いが多く、京都や大阪の読書会や講演会、滋賀のアートイベントなどに足を運んだ。名古屋からなら、片道の交通費も2,000円程度に抑えることができる。

京都大学

 

 宿泊場所としては、シェアハウスのお世話になることが多かった。

 京都の「蟻の巣」「ファクトリー京都」には何度も泊めてもらったし、「学森舎」にも遊びにいった。大阪だと「中津の家」にお世話になることが何度かあった。

 東京に遊びに行くときも、野方にあるシェアハウス「妖怪ハウス」に泊めてもらおうとしたこともあったっけ(私のことをTwitterでブロックしている人が住んでいると知ったので、結局泊まらなかったけど)。

 

シェアハウス「蟻の巣」

 

***

 名古屋は東京よりも家賃は安い。都心ならボロアパートを借りるのが関の山であろう家賃で、駅徒歩1分、10畳、築浅でオートロックで宅配ボックス付き、複数のスーパーやドラッグストアが近いという、とても恵まれた物件に住むことができた。でも肝心の、家に呼べるような友達がなかなかできなかった。特に女友達を作ることが難しく、2年4ヶ月住んだ中で、二人で一緒にごはんに行けるような女友達は1人しかできなかった。

 深夜まで営業しているスーパーが近所にいくつもあったのは便利だったけど、宅飲みの買い出しであろう若者グループを見るたびに、なんで私はこんなところにいるんだろう……と胸がキュッとした。

 神楽坂のマンションから持ってきた紙コップも紙皿も、ぜんぜん減ることはなかった。だって宅飲みする友達グループがいないから。

 やがて名古屋で恋人ができた。ここで覚悟を決めて、名古屋に骨を埋めるのもアリかもな……と思ったこともあったけれど、結局、交際は長く続かなかった。

 これから、どうすればいいんだろう────。

 

名古屋市東区

 

 そんなある日。忘れもしない、2015年7月のこと。

 母が重い病気になった、という知らせを受けた。

 東京の病院のお世話になることになるらしい。これから介護も必要になる。勤務先に事情を話し、私は東京への異動が決まった。

 あんなに戻りたかった東京暮らし。まさか、こんなカタチで実現することになってしまうなんて。なんて皮肉なんだ────。

 

 絶望と希望を詰め込みながら、2015年9月、私は名古屋から東京へと転居した。

 

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***

 2年4ヶ月ぶりに再開した東京暮らし。名古屋での生活が嘘みたいに、たくさんの友達ができた。たくさんのお誘いもあった。たくさんのシェアハウスにもお邪魔した。

 そんな私には、やってみたかったことがあった。

 自分の誕生日会だ。

 成人してからは、誕生日はひとりで過ごすか、恋人や友達と遊ぶことが多く「大勢の友人を招いてのパーティー」というものはやったことがなかった。

 

 そして、2016年3月2日。かつてギークハウス水道橋で知り合っていた、友人の平田さん(id:tomo31415926563)の協力により、シェアハウス「妖怪ハウス」を誕生日会の会場として使わせてもらえることになった。

 この家はいわく付きな物件でもあった。私のことをTwitterでブロックしていた人が住んでいると聞いていたが、その人は退去したのち、やがて自殺してしまったらしい。また、私の誕生日はオウム真理教麻原彰晃と同じなのだけれど、この「妖怪ハウス」は、かつてオウム真理教病院があった場所にできたシェアハウスだという。

 そこに、さまざまな年齢、職業の人物が集められて誕生日会が開催される……というのはまるでミステリーの舞台のようなシチュエーションではあったけれど、特に事件が起こるようなことはなく、誕生日会は無事に開催された。

 平日の夜だというのに、17人も集まってくれた。

 私は誕生日会のために、紙コップや紙皿、割り箸を持ち込んでいた。2013年から3年間、保管していたものもある。

 

 仕事が終わった友人たちが順番に到着する。みんなが次々、それぞれの紙コップに飲み物を注ぐ。割り箸を使い、オードブルを紙皿に移す。あんなに残っていた紙皿も紙コップも、どんどん消費されていった。

 あぁ、そうだ、これだよこれ。私が恋しかったのは、この感覚だ。

 友達が集まってくれて、みんなでお酒や食べ物をつまみながら交流すること。

 友人同士で買い出しに行ってくれること。交友関係が繋がっていくこと。

 そういったワクワク感の象徴が、私にとっては紙コップと紙皿だった。

 友達たちとの宅飲みも、バーベキューもお花見も、思えば随分ご無沙汰だったな。

 

 あぁ、居場所があるっていいな。

 集まれる友達がいるっていいな。

 大勢集まれる広いリビングがあるっていいな────。

 そんな「戻ってきた」感覚を噛み締めながら、27歳初日の夜は更けていった。

 

(P[か]4-1)誕生日のできごと (ポプラ文庫ピュアフル)

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性的な広告は悪いこと? 献血ポスター論点あれこれ

 11月は思いのほか充実していて、まるでなにかの物語みたいにいろんなコトが起こります。コメディみたいな展開が起こったり、大学時代に戻ったみたいにワイワイしたり。

 まだまだ、wuzukiちゃんは遊びたいです。

 

 ……さて今回の記事では、少し今更感がありますが、献血ポスター炎上騒動」について触れてみたいと思います。

 これはどのようなものか知らない方向けに説明すると、

 漫画「宇崎ちゃんは遊びたい!」のイラストを使った日本赤十字社のコラボポスターが「性的だ」と批判を受けたことを皮切りに、ネットで賛否両論が巻き起こっている......という経緯の騒動です。

news.livedoor.com

news.nifty.com

 このポスターを擁護する意見としては、

着衣のイラストで、特に性的だとは思えないので別にいいのでは」

「このポスターが貼られていた場所はそもそも限られていた。もともと多くの人が見るものではなかったはず」

「この絵はコミックスの表紙。問題のある絵柄だというのなら、書店からも撤去すべきということになる」

「巨乳キャラを使うことが良くないというのは、巨乳女性への差別になるのでは」

「このコラボキャンペーンによって献血する人が増えるのなら良いのでは。人命のほうが個人的な快不快より優先されるべき」

「体質の問題から、女性よりも男性のほうが献血可能な人は多いし、オタクには童貞が多く感染症リスクも少ない。男性オタクに訴求するエロいポスターを作っても別に良いのでは」

「撤去や規制を求めるのならば、明確な基準が設定されるべき。感情論で規制されるのはおかしい。環境型セクハラだというのなら訴訟を起こすべきでは」

「このような広告があることで差別が助長する、というエビデンスはないよね」

「もっと性的な広告なんていくらでもあると思うのに、萌え絵ばかり批判されるのはおかしい」

「これが宇崎ちゃんじゃなくて、ONE PIECEのナミや、ルパンの峰不二子だったらきっとここまで批判されなかったよね」

というものが多く、

 批判的な意見としては、

「着衣のイラストであっても、構図や作品の文脈次第で性的要素が強いものにはなりうる。下から煽るアングルは性的になりうる」

「漫画そのものの広告ならともかく、日赤のキャンペーン広告として適切とは思えない」

全年齢対象の作品とのコラボならどのようなものでも問題ない、というわけではないだろう」

「問題なのは、いわゆる”乳袋”表現。性的表現の文脈で取り入れられる手法だから、エロじゃないというのはお門違いでは」

「大きな胸を強調した服装をすることと、創作物で性的なサインを込めて巨乳キャラを描くことは違う。キャラクターは読者の性的な視線を意識したものだけど、生身の女性の身体は男性が楽しむためのアイテムではない」

「性的文脈で胸を強調する表現こそ、現実の巨乳女性の肩身を狭くする」

「『エロいポスター作ればオタクも献血するだろ』という姿勢こそオタク蔑視では?」

「オタクには童貞が多いので感染症リスクが少ないので献血に適している、というのは、多方面に対する差別的な考え方では」

「萌え絵が悪いのではなく、使いどころが問題だと思う」

「30年前は水着の女性のポスターが職場に貼られていたけど、環境型セクハラと批判されて、やがてなくなった。萌え絵だから批判されているわけではない」

「この広告に問題はないので議論は不要、という態度の人に違和感がある」

というものが見受けられました。

 

※「イラストよりも、宇崎ちゃんのセリフのほうが問題あるのでは」という意見も多かったけれど、こちらに対してはあまり意見は分かれませんでした。

 

 私自身は、この件に関しては批判的な立場に近いです。

 イラストに関しては、黒い服ということもあり「乳袋」表現は目立ちにくかったので、その点はあまり特に気になりませんでした。どちらかというと、煽るようなセリフのほうが気になりました。(宇崎ちゃんのキャラとしてはしっくり来るセリフなので、漫画の中にあったら気にならない表現だったと思います)

 ただ、私個人はイラストはあまり気にならなかったものの、批判的な意見がこれだけ多く集まり、本来の目的とは関係ないところで議論も白熱したことから、広告としては成功とは言えないのでは……? という点から、このポスターには批判的です。

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そもそも広告は不快なもの

 誰一人指摘していなかったけど。そもそも「広告」って、基本的に「邪魔」で「不快」で「迷惑」なものなんですよね。ノイズとして映るのは当然なんですよ。

 一方で、私たちのまわりにはあらゆる「広告」であふれています。ポスターや看板、テレビや動画のCMのほか、ダイレクトメール、営業電話、チラシ配り、フリーペーパー、展示会、試飲や試食、謝礼つきアンケート、ライブやパーティーなどのイベント告知……。

 少し毛色は違うけれど「選挙活動」とか「婚活」「ナンパ」なども、広義の「広告」と言える場合もあるかもしれませんね。

 今回の日赤のポスターは特に不快ではなかったという人の中にも、今まで、ほかの広告について「迷惑だ、不愉快だ」と思ったことがある方は多いと思います。

 そこで「営業電話は迷惑だけど、条例や法律に反するわけではないのなら、不快だと言うのはおかしなことだ。個人のお気持ちで企業の営業活動を阻害してはならない」と考える人はあまりいないのではないでしょうか。 

 ちなみに現行の法律では、9時〜21時以外の時間帯での電話営業は法律違反となっているため、22時に電話がかかってきた場合などは、法的な処分を求めることも可能かもしれませんね。

 

感情論で良いのでは?

「不快だ、という感情論で表現を規制すべきではない」「問題があるというならエビデンスを示せ」という意見も多く見受けられました。

 私は、感情論の多寡で撤去・変更等の判断をすることは基本的には妥当だと思います。

 そもそもこのポスターは「広告」なので、ネガティブな感情を抱く人が多い広告を撤去・変更したとしても、それは運営側の判断として妥当なケースも多いのではと思います。(今回の件は、特に撤去や変更がなされることはなかったようですが)

 

「私が不快だから撤去してほしい」というならまだしも「社会的に不適切だから撤去してほしい」と主張するのならばエビデンスが必要なのでは、という意見も見受けられました。理屈としてはわかります。

 女性表象を用いることについての批判や研究は、メディア論、表象文化論フェミニズム等の文脈での蓄積はあるとは思いますし、広告業界の中でも存在するでしょう。

 署名運動を行う場合や学術的な発表の場合はともかくとして、市井の人の問題提起の際に、エビデンスを求め「因果関係を証明できないものに対しては、疑問や批判を示すな」と封じることもまた一方的なように思います。多様な意見を取りこぼしかねないのではないでしょうか。

 

肌の露出がなければいいの?

「肌の露出がないから、エロい・性的とは言えないのでは」という意見もありましたが、肌の露出が多い人物表現=性的意図の表現、とは必ずしもならないでしょう。

 たとえば、赤ちゃん用おむつのCM、日焼け止めのCMで水着の人物が出てくること、相撲のTV放送などは一般的であり、人物の肌の露出や「エロさ」の観点から批判が出ることはこれまでありませんでした。

 社会通念としても、「肌の露出が多いものはそれだけで性的表象となり不適切だ」とは、認識されていないと考えられます。

 

オタク差別に該当する?

「同じ巨乳キャラでも、ナミや峰不二子だったら叩かれないんだろう。オタク差別だ」という意見もありました。

 藁人形論法になってしまいますが、仮に有名キャラを起用していた場合は好意的に受け止められていたとしても、それは別におかしなことではないかなと思います。

 すでに一般的に知名度の高い、国民的有名作品のキャラクターが起用された場合と、そうでない作品のキャラの場合では、受ける印象が異なることは当然といえるのではないでしょうか。

(ただ、たとえば「ONE PIECEとのコラボ」企画なのに、ナミだけが広告に起用されていたら、そこになんらかの意図を見出して批判が起こる可能性はあるのではないかと考えられます)

 ただ今回、議論の発端となった批判的な意見をツイートしたのはアメリカ人男性なので、国民的人気作品のキャラであっても、そこに馴染みのない外国人だと反応は違うかもしれませんね。

 

「萌え絵を叩きたいだけだろう」という意見もありましたが、それもまた的外れだと思いました。

(「萌え絵はそもそも性的な感情を喚起するために描かれたものなのですべて不適切」という意見もあるかもしれませんが、そのような批判は主流ではありませんし、同様の批判はグラビアアイドルの仕事などにも言えるため、アニオタへの差別と括ってしまうのは雑かなと思います)

 

 いわゆる「萌え絵」を使った広告はこれまでも多数あり、たとえば「ガールズ&パンツァー」のキャラが水着を着てはしゃいでいるポスターもありましたが、これはおおむね好意的に受け入れられていたのではないでしょうか。(股間の陰について気にしていた人もいましたが、ごく少数の意見だったと認識しています)

anime.eiga.com

 近年になって「萌え絵」の広告が批判されがちだとするのなら、アニメ・漫画文化が一般に広まってきたことと表裏一体でもあるのかな、と思います。 

 

 30年前は女性をコンパニオン的に消費する文化があり、一方で、幼女誘拐殺人事件の報道の偏見等で、オタクが差別されていた背景がありました。

 ところが10年ほど前から、オタク文化もポジティブにメディアに取り上げられるようになります。

 一方で、ハラスメントや性的消費に関しては、批判の声を上げやすい時代へと変化していきました。

 ざっくり言うと、オタク文化の一般化のタイミングで、ポリコレへの意識が高まってしまったことが、ある種、不幸な巡り合わせだったのではないかと……。

 なので、30年前のオタク差別と萌え絵への批判というのは、似て非なるものだと考えています。

 

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血液が集まればいい?

「性差別的だとしても、このポスターによって献血する人が増えたのなら施策としては成功なのでは」という意見も一定数見受けられました。

 程度問題な部分もあるとはいえ、「誰かを差別したとしても、便益が上回れば良いのでは」という意見は手放しに賛同できないです。

「外国人を差別したとしても、それで治安が保たれるのなら良いのでは」「ブラック企業が多くても、そこで国の税収が増えるのなら良いのでは」などの考え方にも繋がりかねないため、危険な考え方だと思います。

 

広告はコミュニケーション

「どこまではOKでどこまでがアウトなのか、線引きを決めるべきだ」という意見もありました。

 これは、少し的外れな意見だなと。

 広告にしてもセクハラ問題にしても、受け手との「コミュニケーション」なんですよね。

 何を誰に伝えたいのか。どのようなメディアで発信するのか。今、何が起こっていて何が流行り、どのような社会情勢なのか……。

 そういったさまざまな事情を踏まえて成立するのが、エンゲージメント率の高い施策なのではないでしょうか。

 事前に細かくルールを制定してしまうと、かえって時勢の変化を取りこぼしやすくなり、かといって頻繁に変更してはルールの意味もなくなるため、ルールの制定は不要だと私は考えます。

 

「◯◯は叩かれないのに、今回の××は叩かれるのはおかしい。◯◯も批判されるべきだ」という意見も見受けられましたが、これも、そもそも「コミュニケーション」をあまり理解していない意見だと思えます。

 類似の表象を扱いつつも、炎上せず好意的に受け入れられている事例があった場合、「◯◯も炎上させるべきだ」と足を引っ張るのではなく、その事例を参考にして、なぜ炎上しなかったのか・どのような点が好意的に受け入れられたのかを考えてみたほうが良いのではないでしょうか。 

 

 また、これは、読んだ本からの受け売りでもあるのですが。

 近年炎上している広告表現って、軒並み、ネット上で公開されているプロモーションであることが多いんですよね。

 地上波のテレビCMは予算も人手も豊富なため、放送局と広告主の双方による細かい審査があり、炎上しそうな表現はあらかじめ弾かれています。一方で、インターネットCMは予算が低いぶん自由度も高く、テレビCMほど厳重な審査は行われていない、という違いがあります。

 表現規制には反対するという人の中でも、「テレビCMに厳密な審査があることは、表現規制だ」と批判している人は見たことがありません。

 世に出る前に審査によって制限されていても「規制なんてとんでもない!」とはならないのに、世に出たあとに批判が起こると「表現規制、反対!」という声が上がるのは、なかなか皮肉な現象にも思えます。

 

 私は別に、あらゆる広告において細かい審査がなされるべきだ、というつもりはありません。

 ただ、ターゲット以外が目にする可能性が高いことを考慮したり、発表することで起こりうる反応を想定し、どのように対応するかを考えておくだけでも、また違ったコミュニケーションが生まれるのではないかな、と思いました。

 

容姿批判は悪いこと? 社会的合意の今後について

 はてなブックマークにて、こんなTogetterまとめが話題になっていた。

togetter.com

  

「容姿は好みの問題もあるし、本人の努力ではどうしようもない部分も大きいんだから、そこを悪く言うのは良くない」

「ブスだった、おばさんだった……程度ならともかく、存在そのものが邪悪なキャラクターに例えるのは悪質

「サービスについて批判をする権利はあるけれど、言葉を選ばないとただの陰口。金を出したら何を言ってもいいというわけではない」

「失礼な内容ということもあるけど、そもそもこんな話題で盛り上がることが下品だし時代遅れ

「こういう話題で盛り上がってもいいけど、インターネットのような公開の場ですることではない

たった1万円しか払っていないのなら、それ相応のサービスになるのは仕方ない」

「風俗嬢が客のことをネットで愚痴ってたりもするけど、それはあくまでも客の言動に対して。不細工というだけでネタにすることはない」

「プロとして問題なく接客しても、容姿が悪いというだけでこんなふうに書かれるなんてかわいそう」

と、このまとめ内容に批判的な意見もあれば、

 

「風俗嬢は、容姿もサービス・商品としての範疇なのだから、そこに不満があるお客から文句が出るのは当然では」

「容姿が能力として評価される職業は当然ある。プラス評価しかすべきでないというのはおかしい

「飲食店の食事がマズかったとか、タクシー運転手が道を知らなかった……という愚痴と同じことでは」

「風俗嬢だって、客のことを #クソ客のいる生活 タグであれこれ言ってるじゃないか」

店や嬢の名前を出しているわけでもないし、キャスト本人に直接言ったわけでもないのなら、別に構わないのでは」

「これだけの情報では名誉毀損になるとは思えないし、表現の自由の範囲かと」

「不愉快だ、下品だというのなら、わざわざそんなまとめを見なければいい

など、肯定的な意見も多かった。

 

 私自身は、この件に関しては肯定的な立場を取りたい。

容姿も含めてサービスなのでは

 性風俗サービスはその性質上、キャストの容姿もサービスとして重要な要素となってくる、ということに一定の社会的合意はあるだろう。そこに対して、満足できなかったという利用客から否定的な意見が出てくることは、当然あり得るのではないだろうか。

 このまとめだけでは、当該キャストの容姿がどのように良くなかったのか(努力で改善可能な範囲かどうか等)は判断できない。

 しかし、そのキャストが身だしなみの手入れを怠っていた場合でも、好みのタイプではなかった場合でも、店が売り出しているコンセプトとかけ離れていた場合でも、お客がサービスの愚痴を言うこと自体は特におかしなことではないと思う。

 

「初対面の者同士で肌や粘膜を密着させる」「限られた時間の中で濃厚なコミュニケーションを取る」というシステムになっている以上、相性が悪かった、不満だった……と感じることは、おそらくそのほかの接客業以上に多いのではないだろうか。

 自由恋愛や、恋愛結婚をしたカップルですら喧嘩をしたり、別れることは多々あるのだから、初対面同士なら当然、不満が出ることも多いだろう。

 

法に触れるのは良くないけれど

 もちろん、店やキャストの名前を名指ししていたり、特定が容易な形で書いていたら話は変わってくる。キャスト本人が見たら、努力での改善が難しいことを面白おかしく嘲笑われたら傷つくこともあるだろう。侮辱罪、名誉毀損罪、営業妨害となる場合もあるかもしれない。

 ただ、このまとめに載っているやりとりでは、どの店のどのキャストのことなのかは特定ができない。特徴が詳細に書かれているわけでもなく、人外のキャラクターに例えられているということもあり、この投稿が営業妨害や侮辱罪等になるとも考え難い。

 

陰口は良くないことか?

「容姿を貶すことは悪いこと」「思っていたとしても、公言するのは良くない」「こんな話題で盛り上がることは下品だ」という意見が散見されたのも気になった。

 賛否あるのかもしれないが、個人的には、陰口の類が特に悪いことだとは思わない。

 まぁ、特段褒められた振る舞いではないにしても、さまざまな事情があってその場では言いづらいネガティブなことを、他者に打ち明けることくらいは誰しもあるだろう。

 陰口を言うことで「本人に直接言えばいいのに」「この人、ネガティブな話ばかりしてるな」と相手から思われることもあるかもしれないが、そのように評価されることも当人が承知の上であるなら、その振る舞いを他者が制限する必要はないだろう。

 過激な言葉遣いで他者を貶すことに慣れてしまうと、どんどんその言動がエスカレートしていき、やがては周囲を傷つけていくことになる……というリスクはあるかもしれない。陰口という形で誤報を広めてしまうことや、名誉毀損に繋がる出来事も起こるかもしれない。だが、それにしても、先回りして制限すべき言動であるとも思わない。

 それらによって他者の権利が侵害されているとも考えにくいため、これは表現の自由の範疇ではないかと思う。

 

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たしかに下品かもしれないが

「下品である」というのは、まぁ、社会通念上そう思われるのは無理ないかなぁ……とは思う。しかし、別にネット上では必ずしも上品な振る舞いをしなければいけないというわけでもないだろう。

 下品である、と批判をするにしても、そのようにネット上で批判をすることもまた「下品だ」と思う人もいるかもしれない。

 法に触れる言動の場合は話が変わってくるが、ヘイトスピーチに該当するわけでも、特定の人物を攻撃する内容というわけでもないのなら、個人の好みの範疇だろう。それこそ、「下品なやり取りを見て不快だった」というのは、「接客してくれたキャストが好みのタイプではなかった」という内容と同じことに思える。

 

 侮辱罪、名誉毀損罪、営業妨害に該当しうる場合なら「嫌なら見るな」という反論は批判としては的外れになるが、このケースは「嫌なら見るな」で済む話ではないだろうか。

 もちろん、ネットに公開されているコンテンツである以上、読者から「つまらない」「不快な内容だ」と批判されることはあるだろう。しかし、あくまでもそれ以上でも以下でもない話に思える。

 

「言動」なら批判していいの?

「おかしな言動の人については批判してもいいけど、容姿についてあれこれ言うのは良くない」というのは、たしかに近年はそういったコンセンサスは取れているのかもしれない、と感じることは多々ある。

(以前書いたブログでも触れたので、割愛)

www.wuzuki.com

 しかし近年、コミュニケーションに支障をきたす先天的な障害の話も、ネットでは定期的に話題になるようになった。

 また、美容整形の施術を受ける社会的ハードルも低くなっている。

 その点を踏まえると、「おかしな挙動をする人は、コミュニケーションスキル改善の努力を怠っているので、面白おかしく書いても良い」「容姿は本人の努力ではどうにもできないので、そこについて言及するのは良くない」という社会通念も、かなり恣意的なものに思えてくる。

 

 では、「容姿に関することも言動に関することも、他者についておおっぴらに言及するのは控えるべき」だと思うかというと、現段階ではそうすべきともあまり思わない。「個人のプライバシーが侵害されない限りは、原則として構わないのではないか」と考えている。

 

 容姿にしても性格にしても、技術の発展により、自分好みなものへのカスタマイズが容易に可能になったらどのように社会通念は変わってくるだろう……と考えることはある。ただそれはあくまでも思考実験であって、今現在の現実の問題を考える上ではあまり意味はないかな、と思ったりもします。

 

 9月中にブログを更新したかったので、ちょっと今回は駆け足で終わるよ。 

 

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美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

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恋と差別と多様な価値観

 最近、ネットで見かける意見で気になるものがある。

 結婚・恋愛メディアの「こうするとモテる」「こう書くとプロフィールの印象が良くなる。お見合いが成立する」という話題に対して、「差別を助長しかねない」というコメントがつくことだ。

 また、「安定した仕事についている、頼りがいのある男性」「フェミニンな外見で、料理上手で家庭的な女性」をそれぞれ異性がパートナーとして求めることを「古い価値観だ」と腐す人が散見されることも引っかかっている。


 確かに昨今、多様なセクシャリティやパートナーシップについても知られるようになってきた。

 だが、マイノリティな志向を持っていたり、ユニークな関係性を結ぶ人々は、なにもそれが「トレンドだから」「新しいから」実践しているというわけではないだろう。流行に敏感でなければいけないビジネスやマーケティングじゃあるまいし。


 異性愛や一夫一婦制、法律婚が自身の志向やライフスタイルと馴染まないから別の手段をとっている、取らざるを得ない……という人が大半だろう。

 

 そもそも「主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリな女性が好み」という志向だって、別に特別新しいものだとも思わない。


 また、「本当は可愛いお嫁さんになりたいけど、夫の収入には頼れないから仕事もしている」「本当は大黒柱として頼りがいのある姿を見せたいけれど、実力が追いつかないので妻にも働いてもらってる」というケースもあるだろう。

「収入は少なくていい。家事や料理など主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリで稼いでいる、カッコいい女性が好み」という志向ばかりが「正しい、あるべき姿」とされることに対しては反対したいし、そうでない人の価値観を叩く言説が増えることは危惧している。

 

 

 LGBTなど、性的マイノリティへの差別は昨今厳しくなってきているが、性的マジョリティの志向を「古臭い価値観だ」「旧来のジェンダー規範の固定化だ」と批判することについては、どうにも鈍感な人が多い気がする。

 人はなにも、新しい価値観を社会にもたらすムーブメントのために交際や結婚をするわけではないし、そうなるべきだとも思わない。


 どうしてこのような言動をする人がいるのだろうか……と考えてみたが、結局のところ、恋愛や結婚は「してもしなくてもいい、自由なもの」だと思っていない人が一定数いるからではないだろうか。

 

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 独身のまま生きることが困難な時代や、子孫や家族が共同体の維持に欠かせない文化圏では、異性と結婚して子をもうけることが「しなければいけないもの」だったのかもしれない。

 そして、「しなければいけないもの」だとするのならば、自由恋愛・自由意志に任せていると不均衡が起こり、特定の属性を持つ人が異性を獲得できないことも起こりうるので「差別問題、解消すべき問題」として扱われたかもしれない。

 

 たとえば、「しないと生きていけない」ことの代表格である「就職」の場合は、結婚や恋愛と同じようにはいかない。従業員について、性別や年齢、出身地や政治思想等を理由に採用試験で落としたり、解雇することは原則として禁じられている。(少なくとも表向きは)

 自由選択と差別の関係については、この、id:zyzy さんのコメントがとても共感できた。

私にとってタイトルやフェミニスト煽りは本筋ではなく、友人や結婚相手や交際相手を選ぶ時の「自由選択におけるリスク回避・選別志向が何をもたらすか」が課題で、偏見と差別の源に割となりそうなことを危惧している - lcwinのコメント / はてなブックマーク

前々から思っていたんだけどもこの理屈を言う場合、あらゆる私的な趣味含めた買い物自体「国家の計画通りかサイコロ振って毎回決めないと生産者への差別と分断」になるし、それ自体人間性の否定と思うんですよね。

2019/07/11 08:05

b.hatena.ne.jp

 

 もちろん程度問題になる部分はあるだろう。恋愛も結婚も自由にできる時代とはいえ、誰かとつがいになりたいという欲望自体は多くの人が持ち合わせているし、パートナーを獲得できない人の辛さを放置することが、社会を脅かす事件に繋がることもあるかも知れない。

 だが、「非モテ」な人をパートナーに選ばない人に、その不作為の責任を問う訳にもいかないので、その辛さは別の形で満たす必要があると考えられる。

 

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 差別の話に戻ろう。

「そもそも、好みのタイプやセクシャリティ、結婚・家族観の話を人前でするのは下品である」という主張ならまだわからなくはない。たしかに場合によっては、そういった話題はセクハラになるケースもあるだろう。


 また、「モテるためにジェンダー規範をなぞる人が増えることで、人の多様な個性が隠れてしまうのが勿体ない」という気持ちは私もよくわかる。
 実際、「異性にモテたいけれど、そのためにジェンダー規範に乗ることには抵抗がある」という人も一定数いるように思う。だが、「そこでどのように個性とモテのバランスを取るか」ということを考えることもまた、人間関係構築の面白さであると言えるのではないだろうか。

 

 これが「恋愛や結婚は、人は必ずすべきもの」という時代であれば、モテない人にもなんらかの介入はあるべきであろう。

 だが、「恋愛も結婚も、してもしなくてもいいもの」である現在は、「モテたい人は、自分でそのための努力をしなければならない」「他者に振り向いてもらいたいのならば、それ相応のコミュニケーションやアピールのスキルが求められる」となってしまうのは仕方ないのではないだろうか。

 

 そういった、モテたい人が生きやすくなるためにも、他者の価値観について「古い」とケチをつける人が減り、広義の「性の多様性」が広まれば良いなと思う。

 

結婚と家族のこれから?共働き社会の限界? (光文社新書)

結婚と家族のこれから?共働き社会の限界? (光文社新書)

 

この本がすごい!2019年上半期

 ふと気付いたんですが。私、読んだ本の記録をし始めたのは2001年12月からなので、生まれてから読書記録をつけるようになるまでよりも、読んだ本を記録するようになってから現在の年月の方が長いんですよね。月日が流れるのは早い……!

 

 さて、毎半期恒例の「今期読んで良かった本ランキング」。今回も行いたいと思います。

「2019年に発売された本」ではなく、この時期に「私が読んだ本」なので、古い本が入ることもあるかもしれません。

 では、いってみましょう!

 

※本のAmazonリンクは、単行本、文庫本、Kindle版などいろいろなメディア形態がありますが、原則として読んだ形態のものを貼っています。一部例外もあり。

10位 密着 最高裁のしごと

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

 

  佐世保小6女児同級生殺害事件のルポ『謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)』が良かったので、著者の他の本も読んでみたいな……と思い購入。

 普段なかなか知ることのない、最高裁の判決が出る経緯などを知ることができて面白かったです。裁判員裁判の量刑の決め方や、裁判員が市民の声を代表することについての是非など、考えさせられました。

 法律上と血縁上の父親が違う子どもの、父子関係についての判決エピソードにも驚きました。また、夫婦別姓訴訟が最高裁に上がった件も興味深く、私自身の、夫婦別姓に対する考え方も少し変わりました(じつは私、もともと夫婦別姓に関してはあまり積極的に賛成する立場ではないです)。

 

9位 百年前の私たち

  文学者の石原千秋先生の書くものは大好きで、一時期よく読んでいました。

 内容的には平成最後の読書をこれで締めたかったのだけど間に合わず、令和初の読了本となりました。前書きからすごく面白くてグイグイ引き込まれたけど、著者のツッコミは主観が強くついていけない部分も多くありました。

 でも、明治〜大正期の日本のジェンダー論が垣間見れたのは面白かったです。現代の価値観からすると古いなぁと思うものもあれば、時代が変わっても人間は変わらないな、と思うところも。

 

8位 顔ニモマケズ

  2年前、トリーチャーコリンズ症候群の石田祐貴さんのインタビュー記事を読んだ直後にこの本の発売を知りました。当時、少し読んだまま放置していたので、今年に入ってから一気読み。

 

 この本は、障害や病気により、特徴的な顔で生きることになった人たちへのインタビュー集。

 全体的に、平易で読みやすい本でした。各章の結びがやや安直な気はしましたし、「感動ポルノ」と評していたレビューがあるのも、まぁ、わかります。

 ですが、平易でストレートな本だからこそ多くの人に読んでもらいやすい側面もあるので、それは必ずしも悪いことでもない気もします。(でも、参考文献は学術寄りな本も多く参考になりそう)

 

 この本でもっとも印象的だったのは、片目のない男性・泉川さんへのインタビュー。(この内容については、後日、別記事としてブログを書くつもりなので今回は割愛します)

 あと、私のかつての同級生と同じ障害の人のインタビューもあり、「あ、あの人の障害はこういうことだったのか」と知ることができたのも有益でした。

 

 見た目問題・ユニークフェイスの本としては、2003年発売の『ジロジロ見ないで―“普通の顔”を喪った9人の物語』を中学時代に立ち読みしたことがあります。セックスについて書いている女性もいてドキドキしたっけ。(この本も一昨年購入し、先日、『顔ニモマケズ』と併せて読みました)

 ちなみに今月は『この顔と生きるということ』という本も発売されるそう。

『ジロジロ見ないで』『顔ニモマケズ』に出ていた方々も何人か再登場しているようで、楽しみです。

 

7位 わたし、定時で帰ります

わたし、定時で帰ります。(新潮文庫)

わたし、定時で帰ります。(新潮文庫)

 

  2019年春ドラマの原作小説。以前も書きましたが、ロケに私の前職の職場が使われたこともあり、ドラマも毎週観ていました。

 その流れで原作の小説にも興味を持ち、読んでみることに。ドラマだと第6話くらいでようやく明かされるエピソードが、小説では最初のほうで出てきたので驚きました。個人的にはドラマのほうが好みでした。ドラマを観ていたからすんなり入り込めたエピソードでも、小説だけだと少し人間関係が理解しづらかったかも。

 この小説には続編『わたし、定時で帰ります。 ハイパー』があるみたいなので、いずれそちらも読んでみようと思っています。

 

6位 連続殺人犯

連続殺人犯 (文春文庫)

連続殺人犯 (文春文庫)

 

  21世紀に起こった、さまざまな「連続殺人」を描いたノンフィクション。北九州連続監禁殺人事件、尼崎連続変死事件、大阪2児虐待死事件など、10件の連続殺人事件について書かれています。ひとつひとつの事件の記述は短く、一気に読んでしまいました。

 大牟田連続4人殺人事件の章を読んだときは、加害者の九州弁から、私が長崎に住んでいた頃に受けたいじめを思い出して少し辛くなったりも。というかこの本、九州の事件が多いなぁ……と思ったらそれもそのはず。著者は西日本を中心に活動するジャーナリストでした。

 尼崎連続変死事件についてはさらに興味がわいたので、同じ著者のルポ『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相 (文春文庫)』も読みました。この事件は、北九州連続監禁殺人と比べられることも多いですが、ルポを読む限りだと主犯の動機は大きく異なる印象です。

 尼崎事件の主犯・角田美代子元被告の動機については「血縁にとらわれない家族を作りたかった」という印象も強く、「新しい家族のあり方」について関心のある私にとっては、少なからずショッキングな部分もありました。

 北九州連続監禁殺害事件の犯人たちの、息子さんのインタビュー本『人殺しの息子と呼ばれて (角川書店単行本)』も今年、読みました。こちらも、短いながらも衝撃的な本でした。

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5位 静かに、ねぇ、静かに

静かに、ねぇ、静かに

静かに、ねぇ、静かに

 

  本谷有希子作品は小説はそれほど読んだことはないのだけど、脚本家としては大好き。この本は、「本当の旅」「奥さん、犬は大丈夫だよね?」「でぶのハッピーバースデー」の3作品が収録された短編集。

 帯には「本谷有希子が描くSNS狂騒曲」と書かれていたようですが、私は電子書籍で買い、内容紹介もよく読まないまま読み始めたので、「SNSがテーマの作品群」という印象はあまり受けませんでした。

 私がいちばん好きな作品は「本当の旅」。主人公の痛々しさのある独白が好きで、いくつも付箋をつけました。

こうやって動画をあげてネガティブなことを積極的に共有することで、(中略)居たたまれなさ、恥ずかしさ、屈辱のようなものを、僕らはまるでテレビの中の出来事のように笑うことができる。そして動画にタイトルを付けてしまえば、そこには奇妙な余裕みたいなものが生まれることを僕らはみんな知っているのだ。

 それがこの時代に生まれた僕らの能力なのかな、と思う。(中略)こうやって友人と楽しいことをシェアしたり、嫌なことにウケたりすることで、現実を僕らなりのいい感じに編集していけるのかなぁ。と思う。

 

確かにあと五千円出せば、すんなり飛行機に乗せてもらうことはできる。けれどもそれでは結局、金があるほうが幸せ、という話になってしまう。所有しているものが勝つことになってしまう。僕らは日頃から、どうやってそんな金のサイクルの外側に脱出するかについて、死ぬ程議論し合っているのだ。だからそもそも五千円の価値を信じて疑わない時点で、僕はこの心ない野次を飛ばした人間と理解しあえる気がしない。っていうか、そういう人はたぶん一生お金がないお金がない、とか言って金銭に翻弄されるみじめな人生を送るのだろう。金のサイクルから抜けられないのだろう。可哀想。

 

 ネットのレビューを見てみても、やはりこの作品がいちばん評判がいいみたい。わかります。こういう、若さを捨てきれない大人っているなぁ。「主人公たちが若者じゃなくて中年なのに引いた」という感想もあったけど、むしろ若者だったら凡庸で、中年だからこそいい作品になっていると言えそうです。旅の合間合間で、取り繕っていた希望が剥がれ落ちていく感じもいい。ラストは、ここで終わるのかー、という感じだけど、その無情感がかれらの人生らしいとも言えるのだろうな。

「奥さん、犬は~」も、このあとの展開は阿鼻叫喚しか見えない。「でぶのハッピーバースデー」は、ねちねちした不快感と読みづらさはあるけれど、じつはいちばん希望のある作品にも思える。全体的に後味の悪い短編集だけど、この生々しい、嫌らしい人間くささはさすが本谷有希子作品。

 

4位 夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。

  加古川の結婚相談所による人気ブログ「結婚物語。ブログ」が書籍化されたもの。

 結婚相談所の企業ブログなんですが、あなどることなかれ。アラフォーオタク既婚女性の「仲人T」さんが書く記事は、関西弁で小気味よくグイグイ読ませられます。私も婚活中の友人たちにこのブログを勧めました……!

  婚活をしていない人や既婚者にもファンが多いこのブログ。企業のオウンドメディアとして大成功した例でもあるので、いくつかの記事を読んでおくと、ビジネスに役立つこともあるかもしれません。

 毒親の影響についての記事がバズったことでこのブログが広まったようですが、私は以下の記事も好きです。

ameblo.jp

ameblo.jp

 

3位 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

  この本の読書会が2月にあり、それをきっかけに読みました。紙の本と電子書籍を併用して読了。付箋もマーカーもブックマークも、1ページめくるごとに使っていたくらい面白かった……!

 私の最近のやり方は間違ってなかったんだ、と自信を持つことができたし、歴史の話や新興ベンチャーの事例から、ビジネスにおけるアートや美的感覚の重要性を読み解くのは興味深かったです。それにしても著者は、ソクラテスにも千利休にもコンサルティング業界にも詳しいのはすごいな……。

 日本はアート感覚や美学を強みにできる、というのは納得できた一方、美学に振り切りすぎるとポリコレに反するものも出てくるかもな……と思ったりも。日本は容姿差別に鈍感だということと紙一重かもしれないしなぁ、と考えたり。

 私が一時期大好きだった、内田樹先生の考え方とも近いものを感じる部分もありました。

 

 何年か前に買っていて途中まで読んでいた、『アート鑑賞、超入門! 7つの視点 (集英社新書)』という本も併せて読むと理解が深まった気がします。あと、『いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)』という本も、今後読んでみたい本のひとつです。

 

2位 必要な情報を手に入れるプロのコツ

必要な情報を手に入れるプロのコツ (祥伝社黄金文庫)

必要な情報を手に入れるプロのコツ (祥伝社黄金文庫)

 

  2019年初の読了本。前職の仕事(マーケティング系)関連でこの本を知りました。

「あ、この本、今年の1位になるかも」と思ったくらい面白くて参考になった一冊。

 フェイクニュース等が話題になったり、ブログ等で誰でも発信が身近になった昨今、いろんな立場の人におすすめ。ノウハウ本としても使いやすいし、文章も平易で読みやすい。マーケティングやリサーチの仕事の人向けのようですが、学生のレポートや卒論にも役立ちそう。コミュニケーションの本としても秀逸。

 脚注のつけ方が独特で不思議に思っていましたが、最後まで読んでその意図を知り、納得。私も筆者のような仕事をしてみたいな。

 

1位 また、身の下相談にお答えします

また 身の下相談にお答えします (朝日文庫)
 

 とっても面白かった……!

 朝日新聞の人生相談の、上野千鶴子先生の解答をまとめた『身の下相談にお答えします (朝日文庫)』の続編。私は前の本は未読ですが、特に続きものというわけでもないので、どちらから読んでもいいと思います。

 この新聞の連載、一時期よく読んでいました。(私は7年前にツイートがバズったことがありますが、それは、上野千鶴子先生の人生相談の解答についての投稿でした)

 

 仲の良い、文学研究者の友人もこの本を絶賛していたので気になっていました。

 6月、上野千鶴子先生のサイン会を機に購入。

 人生相談本は、(同じく朝日新聞で連載されていた)岡田斗司夫オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)』がこれまでダントツで好きだったけど、この、上野先生の本も良著。

「おばちゃん」などのあだ名についての相談には思わず笑っちゃったし、人生や終活の話にはホロリと泣けるものも。レズビアン女性の生き方についても、今までになかった視点を知ることができて新鮮でした。

 また、「この相談はあなたが書いたものだろう。そんなに私が嫌なのか」と誤解されてしまった……など、まったく別の人間関係に影響を与えた回もあったようで、そういった誤読によるコミュニケーションが生まれるところなども含めて、人生というものが凝縮された1冊だと思いました。

 

 上半期は、いい本にいっぱいめぐり逢えて幸せでした!

 下半期も時間を見つけて、いろんな本を読んでいきたいな。

 

 はてなブログ今週のお題「2019年上半期」に乗りそびれてしまった……悔しい><

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