これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

容姿批判は悪いこと? 社会的合意の今後について

 はてなブックマークにて、こんなTogetterまとめが話題になっていた。

togetter.com

  

「容姿は好みの問題もあるし、本人の努力ではどうしようもない部分も大きいんだから、そこを悪く言うのは良くない」

「ブスだった、おばさんだった……程度ならともかく、存在そのものが邪悪なキャラクターに例えるのは悪質

「サービスについて批判をする権利はあるけれど、言葉を選ばないとただの陰口。金を出したら何を言ってもいいというわけではない」

「失礼な内容ということもあるけど、そもそもこんな話題で盛り上がることが下品だし時代遅れ

「こういう話題で盛り上がってもいいけど、インターネットのような公開の場ですることではない

たった1万円しか払っていないのなら、それ相応のサービスになるのは仕方ない」

「風俗嬢が客のことをネットで愚痴ってたりもするけど、それはあくまでも客の言動に対して。不細工というだけでネタにすることはない」

「プロとして問題なく接客しても、容姿が悪いというだけでこんなふうに書かれるなんてかわいそう」

と、このまとめ内容に批判的な意見もあれば、

 

「風俗嬢は、容姿もサービス・商品としての範疇なのだから、そこに不満があるお客から文句が出るのは当然では」

「容姿が能力として評価される職業は当然ある。プラス評価しかすべきでないというのはおかしい

「飲食店の食事がマズかったとか、タクシー運転手が道を知らなかった……という愚痴と同じことでは」

「風俗嬢だって、客のことを #クソ客のいる生活 タグであれこれ言ってるじゃないか」

店や嬢の名前を出しているわけでもないし、キャスト本人に直接言ったわけでもないのなら、別に構わないのでは」

「これだけの情報では名誉毀損になるとは思えないし、表現の自由の範囲かと」

「不愉快だ、下品だというのなら、わざわざそんなまとめを見なければいい

など、肯定的な意見も多かった。

 

 私自身は、この件に関しては肯定的な立場を取りたい。

容姿も含めてサービスなのでは

 性風俗サービスはその性質上、キャストの容姿もサービスとして重要な要素となってくる、ということに一定の社会的合意はあるだろう。そこに対して、満足できなかったという利用客から否定的な意見が出てくることは、当然あり得るのではないだろうか。

 このまとめだけでは、当該キャストの容姿がどのように良くなかったのか(努力で改善可能な範囲かどうか等)は判断できない。

 しかし、そのキャストが身だしなみの手入れを怠っていた場合でも、好みのタイプではなかった場合でも、店が売り出しているコンセプトとかけ離れていた場合でも、お客がサービスの愚痴を言うこと自体は特におかしなことではないと思う。

 

「初対面の者同士で肌や粘膜を密着させる」「限られた時間の中で濃厚なコミュニケーションを取る」というシステムになっている以上、相性が悪かった、不満だった……と感じることは、おそらくそのほかの接客業以上に多いのではないだろうか。

 自由恋愛や、恋愛結婚をしたカップルですら喧嘩をしたり、別れることは多々あるのだから、初対面同士なら当然、不満が出ることも多いだろう。

 

法に触れるのは良くないけれど

 もちろん、店やキャストの名前を名指ししていたり、特定が容易な形で書いていたら話は変わってくる。キャスト本人が見たら、努力での改善が難しいことを面白おかしく嘲笑われたら傷つくこともあるだろう。侮辱罪、名誉毀損罪、営業妨害となる場合もあるかもしれない。

 ただ、このまとめに載っているやりとりでは、どの店のどのキャストのことなのかは特定ができない。特徴が詳細に書かれているわけでもなく、人外のキャラクターに例えられているということもあり、この投稿が営業妨害や侮辱罪等になるとも考え難い。

 

陰口は良くないことか?

「容姿を貶すことは悪いこと」「思っていたとしても、公言するのは良くない」「こんな話題で盛り上がることは下品だ」という意見が散見されたのも気になった。

 賛否あるのかもしれないが、個人的には、陰口の類が特に悪いことだとは思わない。

 まぁ、特段褒められた振る舞いではないにしても、さまざまな事情があってその場では言いづらいネガティブなことを、他者に打ち明けることくらいは誰しもあるだろう。

 陰口を言うことで「本人に直接言えばいいのに」「この人、ネガティブな話ばかりしてるな」と相手から思われることもあるかもしれないが、そのように評価されることも当人が承知の上であるなら、その振る舞いを他者が制限する必要はないだろう。

 過激な言葉遣いで他者を貶すことに慣れてしまうと、どんどんその言動がエスカレートしていき、やがては周囲を傷つけていくことになる……というリスクはあるかもしれない。陰口という形で誤報を広めてしまうことや、名誉毀損に繋がる出来事も起こるかもしれない。だが、それにしても、先回りして制限すべき言動であるとも思わない。

 それらによって他者の権利が侵害されているとも考えにくいため、これは表現の自由の範疇ではないかと思う。

 

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たしかに下品かもしれないが

「下品である」というのは、まぁ、社会通念上そう思われるのは無理ないかなぁ……とは思う。しかし、別にネット上では必ずしも上品な振る舞いをしなければいけないというわけでもないだろう。

 下品である、と批判をするにしても、そのようにネット上で批判をすることもまた「下品だ」と思う人もいるかもしれない。

 法に触れる言動の場合は話が変わってくるが、ヘイトスピーチに該当するわけでも、特定の人物を攻撃する内容というわけでもないのなら、個人の好みの範疇だろう。それこそ、「下品なやり取りを見て不快だった」というのは、「接客してくれたキャストが好みのタイプではなかった」という内容と同じことに思える。

 

 侮辱罪、名誉毀損罪、営業妨害に該当しうる場合なら「嫌なら見るな」という反論は批判としては的外れになるが、このケースは「嫌なら見るな」で済む話ではないだろうか。

 もちろん、ネットに公開されているコンテンツである以上、読者から「つまらない」「不快な内容だ」と批判されることはあるだろう。しかし、あくまでもそれ以上でも以下でもない話に思える。

 

「言動」なら批判していいの?

「おかしな言動の人については批判してもいいけど、容姿についてあれこれ言うのは良くない」というのは、たしかに近年はそういったコンセンサスは取れているのかもしれない、と感じることは多々ある。

(以前書いたブログでも触れたので、割愛)

www.wuzuki.com

 しかし近年、コミュニケーションに支障をきたす先天的な障害の話も、ネットでは定期的に話題になるようになった。

 また、美容整形の施術を受ける社会的ハードルも低くなっている。

 その点を踏まえると、「おかしな挙動をする人は、コミュニケーションスキル改善の努力を怠っているので、面白おかしく書いても良い」「容姿は本人の努力ではどうにもできないので、そこについて言及するのは良くない」という社会通念も、かなり恣意的なものに思えてくる。

 

 では、「容姿に関することも言動に関することも、他者についておおっぴらに言及するのは控えるべき」だと思うかというと、現段階ではそうすべきともあまり思わない。「個人のプライバシーが侵害されない限りは、原則として構わないのではないか」と考えている。

 

 容姿にしても性格にしても、技術の発展により、自分好みなものへのカスタマイズが容易に可能になったらどのように社会通念は変わってくるだろう……と考えることはある。ただそれはあくまでも思考実験であって、今現在の現実の問題を考える上ではあまり意味はないかな、と思ったりもします。

 

 9月中にブログを更新したかったので、ちょっと今回は駆け足で終わるよ。 

 

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美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

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恋と差別と多様な価値観

 最近、ネットで見かける意見で気になるものがある。

 結婚・恋愛メディアの「こうするとモテる」「こう書くとプロフィールの印象が良くなる。お見合いが成立する」という話題に対して、「差別を助長しかねない」というコメントがつくことだ。

 また、「安定した仕事についている、頼りがいのある男性」「フェミニンな外見で、料理上手で家庭的な女性」をそれぞれ異性がパートナーとして求めることを「古い価値観だ」と腐す人が散見されることも引っかかっている。


 確かに昨今、多様なセクシャリティやパートナーシップについても知られるようになってきた。

 だが、マイノリティな志向を持っていたり、ユニークな関係性を結ぶ人々は、なにもそれが「トレンドだから」「新しいから」実践しているというわけではないだろう。流行に敏感でなければいけないビジネスやマーケティングじゃあるまいし。


 異性愛や一夫一婦制、法律婚が自身の志向やライフスタイルと馴染まないから別の手段をとっている、取らざるを得ない……という人が大半だろう。

 

 そもそも「主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリな女性が好み」という志向だって、別に特別新しいものだとも思わない。


 また、「本当は可愛いお嫁さんになりたいけど、夫の収入には頼れないから仕事もしている」「本当は大黒柱として頼りがいのある姿を見せたいけれど、実力が追いつかないので妻にも働いてもらってる」というケースもあるだろう。

「収入は少なくていい。家事や料理など主夫業が得意な男性が好み」「バリキャリで稼いでいる、カッコいい女性が好み」という志向ばかりが「正しい、あるべき姿」とされることに対しては反対したいし、そうでない人の価値観を叩く言説が増えることは危惧している。

 

 

 LGBTなど、性的マイノリティへの差別は昨今厳しくなってきているが、性的マジョリティの志向を「古臭い価値観だ」「旧来のジェンダー規範の固定化だ」と批判することについては、どうにも鈍感な人が多い気がする。

 人はなにも、新しい価値観を社会にもたらすムーブメントのために交際や結婚をするわけではないし、そうなるべきだとも思わない。


 どうしてこのような言動をする人がいるのだろうか……と考えてみたが、結局のところ、恋愛や結婚は「してもしなくてもいい、自由なもの」だと思っていない人が一定数いるからではないだろうか。

 

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 独身のまま生きることが困難な時代や、子孫や家族が共同体の維持に欠かせない文化圏では、異性と結婚して子をもうけることが「しなければいけないもの」だったのかもしれない。

 そして、「しなければいけないもの」だとするのならば、自由恋愛・自由意志に任せていると不均衡が起こり、特定の属性を持つ人が異性を獲得できないことも起こりうるので「差別問題、解消すべき問題」として扱われたかもしれない。

 

 たとえば、「しないと生きていけない」ことの代表格である「就職」の場合は、結婚や恋愛と同じようにはいかない。従業員について、性別や年齢、出身地や政治思想等を理由に採用試験で落としたり、解雇することは原則として禁じられている。(少なくとも表向きは)

 自由選択と差別の関係については、この、id:zyzy さんのコメントがとても共感できた。

私にとってタイトルやフェミニスト煽りは本筋ではなく、友人や結婚相手や交際相手を選ぶ時の「自由選択におけるリスク回避・選別志向が何をもたらすか」が課題で、偏見と差別の源に割となりそうなことを危惧している - lcwinのコメント / はてなブックマーク

前々から思っていたんだけどもこの理屈を言う場合、あらゆる私的な趣味含めた買い物自体「国家の計画通りかサイコロ振って毎回決めないと生産者への差別と分断」になるし、それ自体人間性の否定と思うんですよね。

2019/07/11 08:05

b.hatena.ne.jp

 

 もちろん程度問題になる部分はあるだろう。恋愛も結婚も自由にできる時代とはいえ、誰かとつがいになりたいという欲望自体は多くの人が持ち合わせているし、パートナーを獲得できない人の辛さを放置することが、社会を脅かす事件に繋がることもあるかも知れない。

 だが、「非モテ」な人をパートナーに選ばない人に、その不作為の責任を問う訳にもいかないので、その辛さは別の形で満たす必要があると考えられる。

 

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 差別の話に戻ろう。

「そもそも、好みのタイプやセクシャリティ、結婚・家族観の話を人前でするのは下品である」という主張ならまだわからなくはない。たしかに場合によっては、そういった話題はセクハラになるケースもあるだろう。


 また、「モテるためにジェンダー規範をなぞる人が増えることで、人の多様な個性が隠れてしまうのが勿体ない」という気持ちは私もよくわかる。
 実際、「異性にモテたいけれど、そのためにジェンダー規範に乗ることには抵抗がある」という人も一定数いるように思う。だが、「そこでどのように個性とモテのバランスを取るか」ということを考えることもまた、人間関係構築の面白さであると言えるのではないだろうか。

 

 これが「恋愛や結婚は、人は必ずすべきもの」という時代であれば、モテない人にもなんらかの介入はあるべきであろう。

 だが、「恋愛も結婚も、してもしなくてもいいもの」である現在は、「モテたい人は、自分でそのための努力をしなければならない」「他者に振り向いてもらいたいのならば、それ相応のコミュニケーションやアピールのスキルが求められる」となってしまうのは仕方ないのではないだろうか。

 

 そういった、モテたい人が生きやすくなるためにも、他者の価値観について「古い」とケチをつける人が減り、広義の「性の多様性」が広まれば良いなと思う。

 

結婚と家族のこれから?共働き社会の限界? (光文社新書)

結婚と家族のこれから?共働き社会の限界? (光文社新書)

 

この本がすごい!2019年上半期

 ふと気付いたんですが。私、読んだ本の記録をし始めたのは2001年12月からなので、生まれてから読書記録をつけるようになるまでよりも、読んだ本を記録するようになってから現在の年月の方が長いんですよね。月日が流れるのは早い……!

 

 さて、毎半期恒例の「今期読んで良かった本ランキング」。今回も行いたいと思います。

「2019年に発売された本」ではなく、この時期に「私が読んだ本」なので、古い本が入ることもあるかもしれません。

 では、いってみましょう!

 

※本のAmazonリンクは、単行本、文庫本、Kindle版などいろいろなメディア形態がありますが、原則として読んだ形態のものを貼っています。一部例外もあり。

10位 密着 最高裁のしごと

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

密着 最高裁のしごと――野暮で真摯な事件簿 (岩波新書)

 

  佐世保小6女児同級生殺害事件のルポ『謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)』が良かったので、著者の他の本も読んでみたいな……と思い購入。

 普段なかなか知ることのない、最高裁の判決が出る経緯などを知ることができて面白かったです。裁判員裁判の量刑の決め方や、裁判員が市民の声を代表することについての是非など、考えさせられました。

 法律上と血縁上の父親が違う子どもの、父子関係についての判決エピソードにも驚きました。また、夫婦別姓訴訟が最高裁に上がった件も興味深く、私自身の、夫婦別姓に対する考え方も少し変わりました(じつは私、もともと夫婦別姓に関してはあまり積極的に賛成する立場ではないです)。

 

9位 百年前の私たち

  文学者の石原千秋先生の書くものは大好きで、一時期よく読んでいました。

 内容的には平成最後の読書をこれで締めたかったのだけど間に合わず、令和初の読了本となりました。前書きからすごく面白くてグイグイ引き込まれたけど、著者のツッコミは主観が強くついていけない部分も多くありました。

 でも、明治〜大正期の日本のジェンダー論が垣間見れたのは面白かったです。現代の価値観からすると古いなぁと思うものもあれば、時代が変わっても人間は変わらないな、と思うところも。

 

8位 顔ニモマケズ

  2年前、トリーチャーコリンズ症候群の石田祐貴さんのインタビュー記事を読んだ直後にこの本の発売を知りました。当時、少し読んだまま放置していたので、今年に入ってから一気読み。

 

 この本は、障害や病気により、特徴的な顔で生きることになった人たちへのインタビュー集。

 全体的に、平易で読みやすい本でした。各章の結びがやや安直な気はしましたし、「感動ポルノ」と評していたレビューがあるのも、まぁ、わかります。

 ですが、平易でストレートな本だからこそ多くの人に読んでもらいやすい側面もあるので、それは必ずしも悪いことでもない気もします。(でも、参考文献は学術寄りな本も多く参考になりそう)

 

 この本でもっとも印象的だったのは、片目のない男性・泉川さんへのインタビュー。(この内容については、後日、別記事としてブログを書くつもりなので今回は割愛します)

 あと、私のかつての同級生と同じ障害の人のインタビューもあり、「あ、あの人の障害はこういうことだったのか」と知ることができたのも有益でした。

 

 見た目問題・ユニークフェイスの本としては、2003年発売の『ジロジロ見ないで―“普通の顔”を喪った9人の物語』を中学時代に立ち読みしたことがあります。セックスについて書いている女性もいてドキドキしたっけ。(この本も一昨年購入し、先日、『顔ニモマケズ』と併せて読みました)

 ちなみに今月は『この顔と生きるということ』という本も発売されるそう。

『ジロジロ見ないで』『顔ニモマケズ』に出ていた方々も何人か再登場しているようで、楽しみです。

 

7位 わたし、定時で帰ります

わたし、定時で帰ります。(新潮文庫)

わたし、定時で帰ります。(新潮文庫)

 

  2019年春ドラマの原作小説。以前も書きましたが、ロケに私の前職の職場が使われたこともあり、ドラマも毎週観ていました。

 その流れで原作の小説にも興味を持ち、読んでみることに。ドラマだと第6話くらいでようやく明かされるエピソードが、小説では最初のほうで出てきたので驚きました。個人的にはドラマのほうが好みでした。ドラマを観ていたからすんなり入り込めたエピソードでも、小説だけだと少し人間関係が理解しづらかったかも。

 この小説には続編『わたし、定時で帰ります。 ハイパー』があるみたいなので、いずれそちらも読んでみようと思っています。

 

6位 連続殺人犯

連続殺人犯 (文春文庫)

連続殺人犯 (文春文庫)

 

  21世紀に起こった、さまざまな「連続殺人」を描いたノンフィクション。北九州連続監禁殺人事件、尼崎連続変死事件、大阪2児虐待死事件など、10件の連続殺人事件について書かれています。ひとつひとつの事件の記述は短く、一気に読んでしまいました。

 大牟田連続4人殺人事件の章を読んだときは、加害者の九州弁から、私が長崎に住んでいた頃に受けたいじめを思い出して少し辛くなったりも。というかこの本、九州の事件が多いなぁ……と思ったらそれもそのはず。著者は西日本を中心に活動するジャーナリストでした。

 尼崎連続変死事件についてはさらに興味がわいたので、同じ著者のルポ『新版 家族喰い 尼崎連続変死事件の真相 (文春文庫)』も読みました。この事件は、北九州連続監禁殺人と比べられることも多いですが、ルポを読む限りだと主犯の動機は大きく異なる印象です。

 尼崎事件の主犯・角田美代子元被告の動機については「血縁にとらわれない家族を作りたかった」という印象も強く、「新しい家族のあり方」について関心のある私にとっては、少なからずショッキングな部分もありました。

 北九州連続監禁殺害事件の犯人たちの、息子さんのインタビュー本『人殺しの息子と呼ばれて (角川書店単行本)』も今年、読みました。こちらも、短いながらも衝撃的な本でした。

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5位 静かに、ねぇ、静かに

静かに、ねぇ、静かに

静かに、ねぇ、静かに

 

  本谷有希子作品は小説はそれほど読んだことはないのだけど、脚本家としては大好き。この本は、「本当の旅」「奥さん、犬は大丈夫だよね?」「でぶのハッピーバースデー」の3作品が収録された短編集。

 帯には「本谷有希子が描くSNS狂騒曲」と書かれていたようですが、私は電子書籍で買い、内容紹介もよく読まないまま読み始めたので、「SNSがテーマの作品群」という印象はあまり受けませんでした。

 私がいちばん好きな作品は「本当の旅」。主人公の痛々しさのある独白が好きで、いくつも付箋をつけました。

こうやって動画をあげてネガティブなことを積極的に共有することで、(中略)居たたまれなさ、恥ずかしさ、屈辱のようなものを、僕らはまるでテレビの中の出来事のように笑うことができる。そして動画にタイトルを付けてしまえば、そこには奇妙な余裕みたいなものが生まれることを僕らはみんな知っているのだ。

 それがこの時代に生まれた僕らの能力なのかな、と思う。(中略)こうやって友人と楽しいことをシェアしたり、嫌なことにウケたりすることで、現実を僕らなりのいい感じに編集していけるのかなぁ。と思う。

 

確かにあと五千円出せば、すんなり飛行機に乗せてもらうことはできる。けれどもそれでは結局、金があるほうが幸せ、という話になってしまう。所有しているものが勝つことになってしまう。僕らは日頃から、どうやってそんな金のサイクルの外側に脱出するかについて、死ぬ程議論し合っているのだ。だからそもそも五千円の価値を信じて疑わない時点で、僕はこの心ない野次を飛ばした人間と理解しあえる気がしない。っていうか、そういう人はたぶん一生お金がないお金がない、とか言って金銭に翻弄されるみじめな人生を送るのだろう。金のサイクルから抜けられないのだろう。可哀想。

 

 ネットのレビューを見てみても、やはりこの作品がいちばん評判がいいみたい。わかります。こういう、若さを捨てきれない大人っているなぁ。「主人公たちが若者じゃなくて中年なのに引いた」という感想もあったけど、むしろ若者だったら凡庸で、中年だからこそいい作品になっていると言えそうです。旅の合間合間で、取り繕っていた希望が剥がれ落ちていく感じもいい。ラストは、ここで終わるのかー、という感じだけど、その無情感がかれらの人生らしいとも言えるのだろうな。

「奥さん、犬は~」も、このあとの展開は阿鼻叫喚しか見えない。「でぶのハッピーバースデー」は、ねちねちした不快感と読みづらさはあるけれど、じつはいちばん希望のある作品にも思える。全体的に後味の悪い短編集だけど、この生々しい、嫌らしい人間くささはさすが本谷有希子作品。

 

4位 夢を見続けておわる人、妥協を余儀なくされる人、「最高の相手」を手に入れる人。

  加古川の結婚相談所による人気ブログ「結婚物語。ブログ」が書籍化されたもの。

 結婚相談所の企業ブログなんですが、あなどることなかれ。アラフォーオタク既婚女性の「仲人T」さんが書く記事は、関西弁で小気味よくグイグイ読ませられます。私も婚活中の友人たちにこのブログを勧めました……!

  婚活をしていない人や既婚者にもファンが多いこのブログ。企業のオウンドメディアとして大成功した例でもあるので、いくつかの記事を読んでおくと、ビジネスに役立つこともあるかもしれません。

 毒親の影響についての記事がバズったことでこのブログが広まったようですが、私は以下の記事も好きです。

ameblo.jp

ameblo.jp

 

3位 世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?

  この本の読書会が2月にあり、それをきっかけに読みました。紙の本と電子書籍を併用して読了。付箋もマーカーもブックマークも、1ページめくるごとに使っていたくらい面白かった……!

 私の最近のやり方は間違ってなかったんだ、と自信を持つことができたし、歴史の話や新興ベンチャーの事例から、ビジネスにおけるアートや美的感覚の重要性を読み解くのは興味深かったです。それにしても著者は、ソクラテスにも千利休にもコンサルティング業界にも詳しいのはすごいな……。

 日本はアート感覚や美学を強みにできる、というのは納得できた一方、美学に振り切りすぎるとポリコレに反するものも出てくるかもな……と思ったりも。日本は容姿差別に鈍感だということと紙一重かもしれないしなぁ、と考えたり。

 私が一時期大好きだった、内田樹先生の考え方とも近いものを感じる部分もありました。

 

 何年か前に買っていて途中まで読んでいた、『アート鑑賞、超入門! 7つの視点 (集英社新書)』という本も併せて読むと理解が深まった気がします。あと、『いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)』という本も、今後読んでみたい本のひとつです。

 

2位 必要な情報を手に入れるプロのコツ

必要な情報を手に入れるプロのコツ (祥伝社黄金文庫)

必要な情報を手に入れるプロのコツ (祥伝社黄金文庫)

 

  2019年初の読了本。前職の仕事(マーケティング系)関連でこの本を知りました。

「あ、この本、今年の1位になるかも」と思ったくらい面白くて参考になった一冊。

 フェイクニュース等が話題になったり、ブログ等で誰でも発信が身近になった昨今、いろんな立場の人におすすめ。ノウハウ本としても使いやすいし、文章も平易で読みやすい。マーケティングやリサーチの仕事の人向けのようですが、学生のレポートや卒論にも役立ちそう。コミュニケーションの本としても秀逸。

 脚注のつけ方が独特で不思議に思っていましたが、最後まで読んでその意図を知り、納得。私も筆者のような仕事をしてみたいな。

 

1位 また、身の下相談にお答えします

また 身の下相談にお答えします (朝日文庫)
 

 とっても面白かった……!

 朝日新聞の人生相談の、上野千鶴子先生の解答をまとめた『身の下相談にお答えします (朝日文庫)』の続編。私は前の本は未読ですが、特に続きものというわけでもないので、どちらから読んでもいいと思います。

 この新聞の連載、一時期よく読んでいました。(私は7年前にツイートがバズったことがありますが、それは、上野千鶴子先生の人生相談の解答についての投稿でした)

 

 仲の良い、文学研究者の友人もこの本を絶賛していたので気になっていました。

 6月、上野千鶴子先生のサイン会を機に購入。

 人生相談本は、(同じく朝日新聞で連載されていた)岡田斗司夫オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より (幻冬舎新書)』がこれまでダントツで好きだったけど、この、上野先生の本も良著。

「おばちゃん」などのあだ名についての相談には思わず笑っちゃったし、人生や終活の話にはホロリと泣けるものも。レズビアン女性の生き方についても、今までになかった視点を知ることができて新鮮でした。

 また、「この相談はあなたが書いたものだろう。そんなに私が嫌なのか」と誤解されてしまった……など、まったく別の人間関係に影響を与えた回もあったようで、そういった誤読によるコミュニケーションが生まれるところなども含めて、人生というものが凝縮された1冊だと思いました。

 

 上半期は、いい本にいっぱいめぐり逢えて幸せでした!

 下半期も時間を見つけて、いろんな本を読んでいきたいな。

 

 はてなブログ今週のお題「2019年上半期」に乗りそびれてしまった……悔しい><

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退職エントリ、あるいは逡巡の記録

 最終出社日は4月26日になった。金曜日。平成最後の平日だ。

 
 会議が長引き、思ったより会社を出る時間が遅くなってしまった。友人たちとの約束には間に合うだろうか。慌ただしい最終日だ。

 でも、それでいい。ひとりでいたら感傷的な気持ちになってしまう。

 別に、職場が嫌になって辞めるわけではない。これまで、学校や習い事のほとんどは、引っ越しのような「やむを得ない事情」で辞めていた。自主的な都合でなにかを辞めることは、どうにもまだ慣れない。

 

 4月1日月曜日の午前中、という、まるでウソなのかホントの決意なのかわからないようなタイミングで退職願を出した。

 その直後に新元号が発表された。令和。そんな、新しいスタートを切るにはぴったりのタイミングでの決断だった。

 

 私はこれまでも何度か、転職活動を始めては止める……ということを繰り返していた。

 2013年春に就職し、事務職に就いて早数年。2016年頃からは、ほかの業務にも挑戦したいと常々思っていた。

 ただ、いまの職場を辞めたい切羽詰まった理由もなかったので、転職活動へのモチベーションもあまり持続しなかった。でも、それで特に困ったこともなかった。むしろ現職は業務環境としては比較的恵まれていたこともあり、そのまま仕事を続けていた。

 

 でも、2019年春。とうとう辞めることを決意した。私自身も30歳になり、未経験から新しい仕事を始める場合での、ある種のラストチャンスになると思ったからだ。

 定時で帰れる事務職のメリットももう十分受け、学ぶべきことは学べたと思っている。あまり、直接的な売上の貢献はできなかったかもしれない。でも、そんな状態でこのままズルズルと続けてしまうことは、私にとっても職場にとってもマイナスになってしまうと思った。

 

 転職活動も始めないまま、つまり、次の職場の内定ももらっていないまま辞めることを決めた。私にはとても勇気が要る決断だった。 


 ただ、私は2013年に正社員として就職してから、一度も転職をしていない。

 まわりの友達には転職や独立経験があるひとが多いのため(仲のいい子に限って言えばほぼ100パーセント。例外は公務員や研究職の友人くらいか)、他社で仕事をしたことがないことにコンプレックスすら抱いていた。

 でも、転職活動に関して言うなら、ひとつの会社で長く勤め、転職未経験であることは決して不利になる要素ではないということも感じていた。そのため、たとえ次の仕事が決まらないまま辞めても、そのまま何ヶ月もずっと仕事が見つからない……ということはないだろう、と踏んでいた。

 
 私は新卒での就職活動は、なかなかうまくいかなかった。そのこともあり、次の転職もうまくいかなかったらどうしよう、と不安な部分もあった。

 ただ、新卒時に就活がうまくいかなかったことについては、その理由や反省点はじゅうぶん承知しているつもりだ。(このことについて書くとなると、かなり長く重い内容となるので機会があったら後日書く)

 そもそも、私が新卒での就活をしていた2011〜2012年頃とは経済情勢も異なれば、私自身の気持ちの持ち方としても、頼れる相手や知識の有無も大きく違う。かつて就活がうまくいかなかったから……といって、その失敗をいつまでも引きずる必要はない、とやがて考えるようになった。
 

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 4月中旬以降、腰を据えて転職活動をしてみて気づいたことは、いくつもあった。

 

 まず最初のうちは、なかなか声が出なかった。面接での応対に戸惑ってしまうことも多かった。

 普段の仕事は庶務業務が中心で、あまり外部の人と話す仕事でもないためか、人とうまく話せなくなっていた。そんな自分に自分でも驚いた。家族や友人とはそれなりに会話もしていたはずだったんだけどな。なぜうまく声が出ないんだ。リハビリのために、久しぶりにツイキャスやネット配信やろうかと考えたくらい。しなかったけど。

 

 転職活動には、Wantedly、LiBzCAREER、マイナビ転職、リクナビNEXTを使った。

 転職エージェントは使わないことにした。これまでの転職活動でも何度か利用したことがあったが、企業への興味が追いついていないまま応募することになってしまったり、私の興味とあまり一致しないタイプの求人を紹介されることも多かったため、じぶんのペースで転職活動をするためには、当分は一人でやってみようと思った。

 

 自分自身がこれまでプライベートでやってきた活動や、これからやっていきたいこと(仕事、プライベート問わず……というか私はここをあまり分けたくない)を棚卸ししてみた結果、私は、「人と情報の適切なマッチングをすること」への関心が高いことに気づいた。

 その上で転職活動をしてみる場合、「ITエンジニア」(プラットフォーム作りに携われる)、「人材・採用関係」(文字通り、人と仕事のマッチングに直接関われる)、「営業職」(人や企業と、商材のマッチングができる)などとの相性が良いのではないかとまず考えた。また、前職とあまり変わらないような事務職を続けることも選択肢として考えた。

 

 いくつかの面接を受けてみて、「ITエンジニア」は、少なくとも今回の転職で目指すべきところではないことがわかった。インフラエンジニアにしても、Web開発系にしても、どちらにしても今の私が目指す方向性とは異なりそうだった。

 そして、事務職、営業事務などの事務寄りの仕事も、転職サイト経由でのオファーは多かったものの、いざ面接となると落ちることが多かった。

 一方、人材や営業に関する仕事は、いくつかの面接を通過することができた。

 そして4月中旬から転職活動を始めた結果、5月22日に通信系企業の営業職での内定をいただくことができた。

 

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 未経験からのスタートになるから、給料が減ることは覚悟していた。だが今回、幸いなことに前職とあまり変わらない待遇からのスタートになりそうだ。

 そのかわり、年に何度か土曜出勤があるという。ただ、それも短時間であるため、負担としてはそれほど大きくはなさそうではある。

 また、職場も前職より自宅から近いのも嬉しい(前職とは違い、電車の乗り換えが必要とはなるが、通勤時間は約半分になる)。

 そして、将来的に独立を視野に入れている場合は、副業の許可や起業支援も受けることができるそうだ。キャリアの道をひとつに制限したくないので、その点もとてもありがたい。

 


 前職は、オフィスの建物がドラマの撮影に使われるほどキレイなところであり(現在放送中の「わたし、定時で帰ります。」)、通勤には複数路線も使え、周囲に飲食店も充実していた。

 

 次のお仕事では、業務のほか、どのような点に楽しみを見出せるだろうか。どのような人々との出会いがあるのだろうか。私の世界はどのように広がっていくのだろうか。

 これから始まる、夏からの私の新たなドラマに期待していきたい。

 

ビニール傘は誰のもの?

 季節はすっかり初夏の装い。もう少ししたら、梅雨も始まりそうですね。

 Twitterはてなブックマークでは、最近、こんなまとめが話題になっていました。

togetter.com

 タイトルで大まかな内容はわかるかと思いますが、「傘を盗もうとした人を捕まえたら逆ギレされたので、警察を呼んだ」という出来事があったようです。

 

「人の傘を盗んでおいて逆ギレなんて、信じられない!」

「傘や自転車を平気で盗む人って結構いるよね……あれはなんなんだろう」

「傘の窃盗で警察が動いてくれるなんてことがあるんだ」

などのコメントがほとんど。

「ビニール傘なら無くなっても気にしないし、たくさん置いてあったら人のものだろうと使う」

「ビニール傘は天下の回りもの」

というコメントには、批判的な反応も多く見受けられました。

 

 犯罪を擁護したいわけではないんですが、私はこの後者の感覚もけっこうわかります。

 

 私は雨に濡れることが好きではないので、予想外の雨が降ったときにはコンビニでビニール傘を買うことは時々あります。

 でも、ビニール傘って、家にたまる一方。。

 普段はビニール傘を使っているわけではないので、傷むこともない代わりに、捨てるタイミングもなかなか掴めません。

 不要になったビニール傘、誰かが困ったときに自由に使えるようにできたらいいなぁ……とはたびたび思います。

 別に、傘の窃盗を推奨したいわけではないけれど。

 出先から帰宅する短時間のあいだだけ使って、その後は使われることなくゴミになるよりは、使い終えた傘を傘立てから自由に持っていって、循環させられるシステムがあればいいのに。公的なシステムやサービスではなくても、草の根の運動として根付かせることができないかなぁ……。

「ビニール傘だろうと、窃盗は悪いことだ!」というのはまぁ、正しいことではあるのだけれども。

 そこで「正しさ」を理由に倫理観の向上を声高に訴えるのもいいけど、システムやテクノロジー、文化・慣習に目を向けて、どこかに改善の余地がないか考えてみるのも面白いのではないか? と思ったり。

 

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 ……もちろん、私が思いつくようなレベルのことは、これまで何万人もの人が考えてきて、何千人もの人が検討したことでしょう。それでもなおそのようなシステムは普及していないということは、それなりの障壁があるんだと思います。

 

 ビニール傘を使い捨てる文化があることで、雨天時のコンビニの売り上げに貢献している部分もあるのだろうとは思います。使い捨てによって経済が回っているところもあるでしょう。

 でも、環境資源の観点からもビニール傘を使い捨てることは望ましくはないでしょう。コンビニでは傘による売り上げは大きいようですが、ビニール傘の売り場を縮小することで、ほかのサービスの展開ができたりしないかしら……。

 

 そういえば、「ビニール傘でも大切にして、普段使いしている」というひともいるようですね。その場合は名前を書いたり、デコレーションしたりして、ほかのビニール傘との見分けはつくようにして欲しいなと思います。

 わざと他人の傘を盗むような真似はしませんが、自分のビニール傘と間違えてほかのビニール傘を使ってしまったり、使われてしまったり……ということは、私はこれまで何度かありました。そんな経験があるひとも多いのではないかと思います。

 私は1本だけ、同じビニール傘を繰り返し使っていた時期もありました。その際は柄の部分に名前シールを貼ったり、カバーをつけていたためか、間違えて他人に使われるようなことはなかったです。

 

 もちろん、悪意を持って盗む人への対策としては不十分ではあるでしょう。でも、少なくとも「間違えて持って行かれること」、少々極端ですが「他人を予期せぬ犯罪者にしてしまうこと」へのリスクは減るのではないかと。

 同じビニール傘を繰り返し使う人は、何か目印をつけて欲しい。その点はお願いしたいなぁ、と思います。

 

▲これは、「世界を変えた書物」展の物販コーナーで売られていた傘。おしゃれ!

 

 コンビニで売ってるビニール傘、ネームタグ付きで売られていたらいいのになぁ、とふと思いました。

 そして、傘を買ったときにペンを借りて名前を書くことができればいいのに。

 もちろんそれでも盗む人はいるでしょうけど、名前が書いてあることで、盗むことへの抑止効果があったりしないかな……。

 

 

 

 以下、傘に関する記事あれこれ。

 

▼2018年末に立ち上がったサービス。都内だけでなく、最近、福岡でも展開を始めたようです。私もとりあえずLINEだけ登録した。

i-kasa.com

 

▼2007年に「シブカサ」というプロジェクトが立ち上がっていたようですが、もうずいぶん前に終了している模様。学生団体、ギャル、社会貢献……という部分に少し懐かしさがありますね。

www.shibukei.com

 

▼こういうプロジェクトも2017年にあったようだけど、目標の回収本数を達成して終了した模様。

ベン&ジェリーズとテラサイクル、 世界初のビニール傘リサイクルプログラムを開始

https://www.unilever.co.jp/Images/press-release-ben-jerrys-umbrella-recycling-171220_tcm1291-514502_ja.pdf

 

▼煽り気味のタイトルの記事だけど、全国でのいろんな傘レンタルサービスのことが紹介されていた。

academic-box.be

 

▼2018年の記事。いろんな企業の取り組みが紹介されていた。

www.tbsradio.jp

 

可燃ゴミとして処分できる傘の制作を行う、高専生のレポート。

環境へ与える傘の廃棄問題

https://gakuen-hachioji.jp/wp-content/themes/cuh/images/presentation-pdf/2018/2018_262_P036.pdf

 

▼先月書いた記事。フリマにビニール傘を持って行ったら、晴天なのに意外と売れた!? 

www.wuzuki.com

 

▼かぶる傘。友人の平田さん(id:tomo31415926563)が以前使っていて気になった。

好きと嫌いと不快について ──食と文化を考える──

 先月末、はてなブックマークにてこんな記事が話題になっていた。 

nlab.itmedia.co.jp

「好き嫌いが多すぎるので、嫌いな食べ物のリストを部署内で共有している」という編集者Bさんのエピソードを、漫画を交えつつ紹介しているこの記事。

 コメント欄では賛否両論のようだ。

「こういう人とは関わりたくない。飲み会に来て欲しくない」

「好き嫌いがあまりにも多すぎる人は、人格に問題があると思う」

「親のしつけがなっていなかったのでは」

「何か精神医学的な原因があるのでは」

という意見もあれば、

「そういう人もいるんだから、多様性も認めようよ」

「好き嫌いと人格を結びつけるのは差別的では」

「感覚過敏の場合、親のしつけとは無関係かもしれない」

「自分も好き嫌いが多いから、人格否定に結びつけられるとつらい」

という意見も見受けられた。

 

 私自身はどう思ったかというと、この記事には正直、不快になった。

(「もしかしてこの人は、食事や飲み会に誘われたくないからあえて『好き嫌いが多い』ことにしているのでは……?」とも思ったけれど、だとしたらそんな面倒臭い方法を取ったり、わざわざ嫌いなものリストを共有する必要はないだろう)

 

 では、どの点を不快に感じたのか。不快と感じた人がどうして多かったのか。その理由を考えてみた。

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開き直っているように見えるから?

「好き嫌いが多いこと」「嫌いな理由を挙げていること」について、Bさんが申し訳なさそうにしていたらまた印象は違ったかもしれない。

 しかしこの記事を読む限りだと、冒頭部のBさんは笑顔で描かれており、好き嫌いが多いことを面白おかしく話しているように見える。

 これだけの量の好き嫌いがあり、ヴィーガン対応やアレルギー表示のある店で対応できるわけでもないということを考えると、同じ部署の人は配慮もさぞ大変だろう。その点についての気遣いや申し訳なさが感じられないことから、図々しさを感じてしまった。

 

読者への配慮が感じられないから?

 Bさんはあくまでも、友人との内輪話のつもりで話していたのかもしれない。しかし、この記事の読者には様々な人がいる。農業・畜産・水産業に従事する人もいるかもしれないし、それらの仕事の従事者を身内に持つ人、食材の運搬や調理、飲食店の経営等に関わる人もいるだろう。

 サラダについて「そのへんに生えている植物」と表現するのは、友達との冗談話なら笑えたかもしれないけれど、農業の仕事をバカにしているようにも思える。この発言を公開することは、農業従事者に対しても失礼なのではないだろうか。

 もちろん、嫌いなもの・食べられないものがあることは仕方ないし、好みを表現することも自由だ。

 ただ、「これが嫌い、あれが嫌い」と失礼な表現混じりで面白おかしく全世界に向けて発信してしまったら、「そういうことを言う人のことは私も嫌い。こちらのご飯も不味くなりそう。一緒に食事をしたくない」という反応が寄せられるのも、致し方ないだろう。

 

わざわざ「理由」が書いてあるから?

「飲み会やランチで困らないように、食べられないものを共有したい」という目的であれば、わざわざ理由まで書く必要はないように思える。しかもその理由について、モザイクをかけるくらいの表現を使っている行為は疑問に思った。

 ただこれに関しては、「理由を書いておくことにより、苦手なものの傾向をわかってもらいやすい」というメリットはあるのかもしれない。

 

あと、細かいことだけど。

 リストの中で「しいたけ」と「きのこ全部」という項目があるのが気になった。

 しいたけとそれ以外のきのこを分けるとしたら、「きのこ全部」ではなく「他のきのこ」とすべきでは……? 編集のお仕事なのにそのあたりは気にならないの……? なんてことを思ってしまった。

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じゃあ、どうすればよかった?

 では、どうすれば良かったのだろうか。

 コメントの中には、ライターの斎藤さんの「全く共感できないけれど面白い」という受け取り方に好感を持っていたり、多様性を尊重する態度が良いとするものも多いようだ。

 しかし私はあまりそのようには思えず。むしろ、斎藤さんにはもう少し頑張ってもらいたかった。

 これだけの好き嫌いがありつつも、配慮してもらえて飲み会に呼んでもらえるBさんはきっと魅力的な方なのだろう。「好き嫌いが多い」というだけではない、Bさんの特徴や魅力について、もう少し説明が欲しかった。

 

 また、

好きな気持ちと嫌いな気持ちって、ひょっとしたら紙一重なのかもしれませんね。

 記事の最後に、斎藤さんはこのように結んでいる。ここをもう少し広げれば、読者の抱いた不快感も多少は緩和されたのではないだろうか。

 たとえば、Bさんの「嫌いなものリスト」の嫌いな理由の横に、ライターさんは「その食べ物を好きな理由」を書いてみてはどうだろうか。 

 こんな感じに↓

f:id:wuzuki:20190513173221p:plain

 ……んー、でもこうやって並べてしまうと、Bさんがその食べ物を嫌いなことを打ち消したい、否定したいような書き方に見えなくもないなぁ。

 こうやって「バランスを取ろうと思って好きな理由も入れよう」とすると、嫌いな理由のインパクトは緩和されるものの、Bさんのユニークな感受性が霞んでしまい、結局なにを伝えたいのかわからない記事になる気もする。

 そもそもこの記事自体、別に炎上しているというわけでもないし、失敗というわけでもないだろう。多様性や好き嫌いへの問題提起としては、現状のままで十分良い記事とも言えるのかもしれない。

 

 相互理解って口で言うほどたやすくないこととか、「敏感、過敏であること」がある種の弱みにも強みにも機能することとか。このブログ記事を書くことによって私もあれこれ考えさせられた。そして食材の名前を見ていたらおなかがすいてきた……。

 たとえばこのBさんの好き嫌いに合わせた食事に行くとしたら、焼肉食べ放題とかデザートバイキングとかになるのだろうか。どちらも久しく行ってないな……。

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