これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

ベトナムへの関心

ベトナムが気になる

「誰かベトナム行きませんか? 間違ってチケットを買ってしまいました」

 2018年12月中旬のこと。ある友人がFacebookベトナムに行く人を募集していました。

 12月26日から2泊3日、4万円でお譲りする……という内容に一瞬心惹かれたものの、私はこの日に予定が入っていたので断念。(結局もらい手は見つかったようです)

 

ベトナム料理を食べる

 年が明けて、2019年1月中旬。

 大学時代からの友人から、新宿にあるベトナム料理屋に行かないかと誘われました。友達と3人で行くことに。

 今回行ったお店は、新宿というか代々木にある「ベトナムガーデン」。

 美味しい……!

 

 全体的に、ちょっとボリュームは多めかも。でも、フォーも春巻もデザートも蓮茶も、どれも素直においしかった!!

 この日は、じつはあんまり食欲がありませんでした。

 でも、料理をひとくち食べるたび、食欲も落ち込んでいた気分も回復していきました。

 

 お店には、外国人のお客様も多かったです。

 代々木は20年前に住んでいた街でもありますが、このお店は知りませんでした。評判がいいのも納得。ここは万人におすすめできるお店だなと思いました。

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 ちなみに、ポケモンGOポケストップにもなっていました。

 

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ベトナム研究の話を聴く

 そんなベトナムガーデンの余韻も醒めきらない、翌週の1月26日(土)。

 私は早稲田大学を訪れていました。

 友人のこの投稿を読んだのがきっかけ。

 尊敬する年上の男友達・坪井遥さん。Twitterきっかけで繋がって8年くらい。

 知的で面白い坪井さん。そのお父様の講義ならきっと面白いだろうし、坪井さんにも久しぶりに会いたい。ちょうど私、このまえベトナム料理食べてきたばっかりだし……なんて思いで来てみました。

「最終講義というよりは、中間報告という感じです」というお話から始まった最終講義。

 坪井先生は、ベトナム反戦運動や、ベトナム人は朝食に何を食べているのか」という疑問を持ったことをきっかけにベトナム研究を始められたそうです。

 ベトナム研究のためには、ドイツ語、オランダ語、ロシア語もやるように言われたこと。フランス語は書くのとしゃべるのが全然違うこと。

 東洋史学者の山本達郎先生にお話を聴きにいったこと。フランスに留学し、コンドミナス教授にお世話になったこと。すごい先生は指示が短いながらも的確であるということ。

 北海道大学法学部の助教授時代に手がけた単行本が、「渋沢・クローデル賞」(※日仏会館と読売新聞社が主催する学術賞)を受賞したこと。

 そのほか、在ベトナム日本大使館専門調査員として外務省に出向されていたときのお話も、印象的でした。

 当時のベトナムは貧しく、みんな小柄で痩せていたけれど、心優しく文化や教養はある人が多かったということ。

 ベトナムは暑いので牛がお乳を出さないため、ミルクがなかなか手に入らない。子どもの粉ミルクにも困った、ということ。

 ベトナム語で出した本が、今も現地で読まれているということ。

 岩波新書から出した『ヴェトナム 「豊かさ」への夜明け』が、アジア・太平洋特別賞を受賞したということ。(1992年から国交が正常化し、ベトナムブームが起こったことが大きかったそうです)

 早稲田大学に移られてからは、JICA専門家としてもベトナムに関わっているということ。etc……。

 

 そして何より、講義の終盤のメッセージが印象的でした。

 日本は現在、労働力を外国人に頼っているけれど「一人の人」ではなく「労働力」として見ている。

「困っているから助けてください」という姿勢であるべきなのに「雇用を広げている」という思い上がった態度でいるのは良くない。

 日本では英語も通じないから、近年はフィリピンの人も、カナダやオーストラリア、台湾に行っている。これらの国では外国人労働者を歓迎する準備がある。最近は韓国でも、悪徳な業者を排除する仕組みが作られている。

 ベトナム人で「日本に来たい」という人も少なくなっている。日本企業に就職したベトナム人の若者が冷遇され、それで親が反日になってしまった事例も。

 日本は、外国人観光客を「お客様」として歓迎はするけれど、自分たちの生活は見せない。「外の人はウェルカムだけど、内には入れない」という姿勢。

 自分の研究が無力なのが悔しい。でも諦めずにやっていきたい……というお話をしながら、涙を滲ませていた姿は、私の脳裏に強く焼き付きました。

 

 坪井先生は、早稲田では「鬼」と呼ばれていたくらい厳しい教授だったそうです。教え子にとっては感慨もひとしおだったんだろうな……。

 

 年を取るとひとの話を素直に聞けなくなることへの自戒、良心に忠実であることの大切さ、(組織にいると難しいこともあるかもしれないけれど)ぶれない信念を持っていると中長期的には信用されるということ、これまでの教え子たちがそれぞれメッセージを受け取って各々の分野で活躍していることの喜び、などのお話が続いて講義は終わりました。

 教室の隅で、坪井先生の息子さんの遥さんとお会いできたので、すこし立ち話。坪井先生の著書は岩波新書のものは特に評判が良く、「地球の歩き方」で引用されているくらい一般の人にも読みやすいようなので、これを機に読んでみることを決意。

 

 ベトナムか──。

 そういえば大学時代、一時期なぜかベトナム人と交流する機会があったな。

 海外旅行どころか、国内すらあまり積極的に旅行する趣味はない私だけど、こうしてベトナムに縁を感じる出来事が続いているからには、一度足を運んでみてもいいのかもしれない……。

 そんなことを考えながら、教室を後にしました。

 

 早稲田大学の構内のカフェテリアが営業していたので、立ち寄ってみました。

 

 雰囲気いいし安い……!! 

 私はシーフードカレーのセットをいただきました。これで880円!

 

外国人労働者が気になる

 それにしても、外国人労働者の待遇ってどうにか改善できないのかなぁ……と考えているうちに、ふと思い出しました。

 そういえばFacebookでも、移民や外国人労働者について考えるイベントがいくつかタイムラインに流れてきていたような……。

 そして、とあるイベントページを見ていて気づきました。

 あっ……! このドキュメンタリー映画の上映会に登壇する土屋トカチ監督って、このまえの映画上映会の打ち上げ*1でお会いした方だ!

 そういえば、労働問題についてのドキュメンタリーも撮っていらっしゃったんだっけ。

 世界が一気に繋がった気がしました。

 

 これまで私にとって、「自分ごと」の問題ではなかった外国人労働者の問題。

 でも、近い分野の研究や活動をしている方の仕事を知ることにより、他人事ではないと思えるようになった気がします。

 すこし、ベトナムとの距離を縮めることができたような。

 そんな気がしました。

 

 ベトナムにはどういう歴史や文化があるの?

 外国人労働者の現状は?

 どうしてそのような事態になっているの?

 何がどうなれば改善に繋がりそう?

 

 購読しているマーケティング情報誌「MARKETING HORIZON」も、今月号はこんな特集が。

 歴史や問題だけでなく、東南アジアの最新のトレンドについても気になるところです。

 ベトナムをはじめとする東南アジアについて、私なりのペースで目を向けていきたいな。

 

おまけ

 ベトナム料理のお店といえば、渋谷にあるこのお店も美味しかったよ!

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 目黒店もあるみたいなので、そちらも気になってます。

  

 ……そして、これは余談だけど。

ベトナムガーデン」を教えてくれた女友達は、大学3回生のときからの友達で、昨年ドイツ人と国際結婚。

ハノイのホイさん」を教えてくれた女友達は、大学1回生のときからの友達で、現在は香港で子育て中。

 どうやら、海外経験の多い友人が紹介してくれるお店は信頼できそうだ……!

 

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ヴェトナム―「豊かさ」への夜明け (岩波新書)

ヴェトナム―「豊かさ」への夜明け (岩波新書)

 
ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索 (岩波新書)

ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索 (岩波新書)

 

*1:前回のブログ記事の後半参照

二十年の孤独 ──代々木の森から──

 ふと思うんです。代々木生活も、長崎生活も、佐賀生活も、本来別々の人間が過ごすはずの人生だったんだろうな、って。それがなにかの手違いで、私というひとつの身体で使いまわすことになってしまっている。そう考えています。
 そう考えると、ほんとうにいろんなことがしっくりくるんですよね。そう思わないとやっていけないだけ、かもしれませんが。

 

 2019年1月22日(火)、18時20分過ぎ。JR飯田橋駅のホームで、私は硬直していた。足がすくんで動けない。なんだこれ。

 これから向かうのは、東京ボランティア市民活動センター。ドキュメンタリー映画の上映会が行われる。

 映画のタイトルは沖縄から叫ぶ 戦争の時代。自主制作のドキュメンタリーだ。沖縄の辺野古新基地、自衛隊基地建設問題を扱う作品らしい。

 

 私の今回のお目当ては、映画そのものというよりは、この映画を撮った監督だった。

 とうとう再会できるのか。何年ぶりになるんだっけ。────20年か。

 あのとき9歳だった私は29歳になり、44歳だったひとは64歳になる。

 そうか。それだけの歳月が流れたのか────。

 

 

 ……あれっ、今は何年?

 ここは、どこ────?

 

1997年 代々木

「3年1組の担任は、湯本雅典先生です」

「「イェーイ!!」」

 1997年4月、渋谷区立代々木小学校の始業式。クラスのみんなが喜びの声を上げた。

 前月に8歳になったばかりの私は、4月に3年生になった。半年前に岡山から転校してきた私も、代々木の生活にも少しずつ慣れてきた。ちょっと内気な性格もあって、あまり仲のいい友達はいないけど……。

 代々木小学校は、都心ど真ん中にある小さな小学校だ。全校生徒も120人ちょっと。どの学年も、1学年20人くらい。

 担任になったのは湯本先生。ほかの学年の生徒からも「ゆもちゃん」と親しまれている、おもしろい先生として人気のおじさん先生だ。そんな湯本先生が担任だから、みんな大喜びだった。

 

 そんな湯本先生は、「おもしろい先生」である以上に「アツい先生」だということがやがてわかってきた。

  特に、朗読や演劇はすごく熱心だった。先生の感情の込め方が半端なかったのはもちろん、生徒が感情を込めて音読をすることを、積極的に奨励していた。

 登場人物になりきって朗読することは、恥ずかしいことじゃない。内気でおとなしく言いたいことの半分も言えないような私だったけど、教科書の朗読や演劇、そして、それを褒められることを通じて、少しずつ積極性が身についていった。そういう姿勢を笑うような同級生もいなかった。外国人や帰国子女も多かったことも関係あるかもしれないけど、とても恵まれていたと思う。

 

 また、詩の授業をきっかけに、クラスでは詩を書くブームが生まれた。みんながあれこれ詩を書いて先生に提出するものだから、クラスに詩の専用のポストまで作られることになった。

 ポストに入れた詩には、先生がコメントをつけて返してくれる。それだけではなかった。投稿された作品のうちのいくつかは、学級通信とは別に先生が作った詩のフリーペーパーに載せてもらえることもあった。

 フリーペーパーは、うちのクラスだけではなく職員室でも配布されていたらしい。それを読んだ音楽教師が作品に曲をつけて歌にして、音楽の授業で歌ったことも何度かあった。私が書いた詩に曲をつけてもらえたこともある。クラスで飼ってるモルモットが食いしん坊だとか、そんなことを書いた詩だったような……(笑)。

  そういえば先生は、動物の命などについての教育も熱心だった。友達関係、いじめ、不登校、命、生きもの、については特に重きを置いていたように思う。

 

 ところで、この頃の私はアトピー性皮膚炎に悩まされていた。空気や水のきれいな岡山から引っ越してきた私にとっては、都会のそれは肌に合わなかった。身体のあちこちの皮膚がただれ、顔から足まで湿疹ができ、とても汚い肌になっていた。

(ちなみに大人になった今でも都内の水道水は肌荒れするので、入浴には塩素除去の薬が欠かせません……)

「その顔や脚のぶつぶつ、気持ち悪いな」

「こいつの隣の席、なりたくねーよ」

 クラスの男子たちから、肌の汚さでいじめられるのは時間の問題だった。私の身体は、太ももの裏と顔がとくにひどいことになっていた。

「ちょっと、そういうのやめなよ、男子」

 女子は、かばってくれる子が多かったのが救いだった。

 

 ────そんなある日のこと。私の体操服袋が、男子トイレの便器の中に入れられているという事件が起こった。

 これまでも、悪口を言われたり、席を離されたり、上履きがおかしなところに置かれたり、軽く叩かれるようなことはあったが、こうやって持ち物が汚されるいじめは初めてだった。

「ひどーい!」「誰がやったんだろう」と怒りを口々に表明してくれた子がいたのは心強かった。湯本先生も、この件について真剣に向き合って下さったのが嬉しかった。そのせいなのか、「持ち物が汚されて悲しい」という気持ちには、不思議とならなかった。この体操服は先生が持ち帰り、自宅で洗って下さった。

 

 

 そんなことがありながら、やがて私たちは4年生になった。この年、私の妹も1年生として入学してきた。

 3年生から4年生になるまでのあいだに、何人かの同級生は転校していった。そのかわり、何人か新たな仲間が加わることもあった。茨城や千葉、北海道などさまざまな場所から転校生が来た。

 

 ────ある日。ずいぶん中途半端な時期に、ひとりの転校生がやってきた。それがKくんだった。

 Kくんは少しぽっちゃり体型だったこともあり、やがて乱暴な男子からいじめられるようになった。それまでクラスで一番いじめられていたのは私だったけど、どうやら、Kくんは私以上にいじめられていたようだ。

 でも、私は知っていた。Kくんは、クラスで飼っているモルモットをとても可愛がる、心優しい男の子だということを。ほかの男子とは違うな、と思っていた。

 

 

 ────そんな中、クラスのAちゃんがあまり学校に来なくなった。

 Aちゃんは私にとって憧れの女の子だった。どのくらい憧れだったかというと、彼女が小4のときにくれた年賀状のメッセージが私にとって宝物で、中学まではお守り代わりに持ち歩いていたくらい。高校時代、前略プロフの「憧れの人」には「小学校時代の同級生Aちゃん」と書いていたくらい。

 Aちゃんは劇団経験があるのか、演技がものすごく上手い。私も先生から演技を褒めてもらえることはあったけど、彼女にはかなわなかった。容姿も整っていたと思うけど(ポッキーのCMの新垣結衣に似ていると思った)、どちらかというと、独特の感性を持っていておもしろおかしなキャラクターの印象のほうが強かった。みんなを笑わせるユニークさを持ちながら、不思議で複雑な感受性をも持ち合わせた女の子。それがAちゃんだった。

 Aちゃんが学校に来なくなったことを、先生は当初はとても気にしていた。ただ、やがて「無理に学校に来るべきだとは思わない。不登校も悪いことじゃない」ということを話していた。当時の私にとっては、教師がそういうことを言うのは少し意外でもあった。

 

 

 ただ、先生は、勉強を疎かにしていいと言っているわけではなかった。基本的には、とても面倒見の良い先生だった。

 特に、Kくんの勉強はすごく気にかけていた。家庭事情もあり、勉強に取り組むのが困難なKくんの家に放課後訪れ、何人かと「じゃがいも塾」と称した学習会を行っていたようだ。このことを知ったとき、先生の熱意には胸を打たれた。

 

 また、学校での授業でも、発展的な学習のようなことを取り入れていた。代々木小や渋谷区の方針ではなく、おそらく湯本先生独自のスタイルだろう。

 たとえば、国語の教科書に載っていた「一つの花」という物語について、授業で扱ったあと、著者の今西祐行さんに連絡を取り、感想文を送っていたこともあった。

 また、社会科の授業で地域の違いについて勉強する際も、北海道と沖縄の小学校に連絡を取り、地域の特色についてクラスでビデオレターを撮って送り、交流する……ということを行っていた。北海道の小学校は、北海道から来た転校生の男の子が以前通っていた学校に連絡を取っていた。沖縄の小学校は、先生と繋がりがあるという「普天間第二小学校」に連絡を取り、ビデオレターと文通をした。

 この頃から、先生は沖縄に興味があったのかもしれない。運動会では、沖縄の伝統芸能「エイサー」を踊った。当時流行っていたブラックビスケッツの「タイミング」と、沖縄の音楽「走れサンダー」の2曲で踊った。踊りに使う太鼓も、図工の時間に手作りした。ポケモンのまねをしたオリジナルキャラを作ることがクラスで流行っていて、私も太鼓に、オリジナルキャラの絵を描いて楽しかったのを覚えている。

 そして、国語の授業では演劇もおこなった。4年生の最後の授業参観は、クラスで3グループに分かれてそれぞれの作品を上演した。私たちのグループはなかなか脚本が完成せず、放課後、先生と居残って練習をしたっけ。本番を迎えたとき「あぁ、もう放課後にみんなで練習して、こうやって演じることはないんだな」と感傷的な気分になったりもした。

 

 そんなふうにして、ようやく代々木生活にもなじんできた中、

 

 …………

 

 ────私の転校が決まった。

 

 転勤族だったから、代々木小に長くいられないことは最初からわかっていた。むしろ、5年生になったら運動会で「1000メートル走」をしなければいけないのがイヤだったので、その前に転校できることは嬉しかった。それに、代々木小は小さな学校だったから、卒業するのはどうせならもっと大きな小学校がいい、と思っていた。

 この頃の私は地図帳が大好きだった。長崎に引っ越すことが決まってからは、父がくれた資料集を眺めながら、どんなところなんだろう、と胸を弾ませていた。転校先の学校ではこれまでの引っ込み思案な私を知る人はいないから、Aちゃんみたいに振る舞えたらいいな、と思っていた。

 

 そして────1999年3月。

 年度末も近づき、私の引っ越しの日も迫ってきたある日。湯本先生から電話があった。クラスメート何人かとの、食事会のお誘いだった。

 じつは先生は、Aちゃんが不登校になってから、彼女のことを考えてくれているクラスメートを誘い、休みの日に時々ランチ会を行っていたようだった。私のことは今回「転校が決まって、最後になるだろうから」ということで誘ったとのこと。そのとき私は、かすかにショックと罪悪感を覚えた。私はずっと自分のことで精いっぱいだったけど、Aちゃんのことを気にかけていた同級生が、こんなにたくさんいたなんて。

 

 その後、クラスでは、私(と、同じタイミングで大阪に転校が決まった男子)のお別れ会も開かれた。みんな、いろんなプレゼントを持ってきてくれた。そんなこと、私たちには一切知らされていなかったからすごく驚いたけど、すごくうれしかった。

 また、「来年度はもう担任を外れるだろうから」ということで、湯本先生は、生徒ひとりひとりの似顔絵を描いた色紙を終業式の日に配っていた。似顔絵が妙にリアルで、みんなで見せ合ってはワイワイ騒いだっけ。先生は絵も得意だった。学級通信には、よくイラストが添えてあった。

 それらの色紙や思い出を抱えながら、私は代々木小学校を去った。私は3月に10歳になったばかりだった。

 

 1996年9月から、2年半通った小学校。ありがとう。とっても思い出深い学校だったよ。ありがとう、代々木のまち。

 

▲私が住んでいたこの団地は2011年に廃墟になりました。

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その後

 それからどれくらいの月日が経っただろうか。湯本先生からは、2004年頃にうちの家族あてに連絡が一度あったらしい。現在は代々木小の6年生(私の妹と同学年)の担任をしており、卒業にあたり、かつてクラスメートだった妹からもコメントをもらいたいとのことだったそうだ。

 2007年に私は大学生になり、mixiを通じて昔の同級生何人かとも連絡を取った。2008年、Kくんとも再会できた。モルモットを可愛がっていたKくんは動物関係の専門学校に進学したという。

 そういえばあのモルモットは、私が代々木に転校してくる前に、入れ違いで引っ越した女の子がクラスに持ってきたコだったと聞いた。そのモルモットが、別の転校生の男の子に可愛がってもらえ、生を全うできた。不思議な縁だな、と思った。

 かつてKくんをいじめていた同級生からも、mixi経由でKくんに連絡があり、「あのときはごめん」と謝ってくれたりもしたそうだ。

 

 その後もSNSでKくんとやりとりすることはあった。2014年のある日、「湯本先生、Facebookにいたよ」と教えてもらえた。

 アクセスしてみると、先生は教員のあり方に疑問を抱き、2006年・51歳のときに自主退職したそうだ。その後は私塾を開いたり、アマチュアドキュメンタリー映画の監督として活動しているらしい。

 その私塾の名前は────「じゃがいもじゅく」。

「!」

 じゃがいも塾、って、小4のとき、Kくんたちを集めて行っていた学習会の名前だ!

 そっか、あのときの学習会が、こんなカタチで続いたんだ……。

 そういえば、Kくんのmixiネームも「ポテトK」のような名前だったっけ。そっか、あのときのことがこんなふうに息づいていたんだ……。

 

 ちなみに、私が社会人になり名古屋で知り合った友人が「じゃがいもじゅく」について取材をしていたことがわかったり、私が卒業した佐賀の中学の同級生が、代々木小時代の同級生と友人同士だったことがわかったり、世間の狭さものちに判明……!

2019年1月 飯田橋

 そしてとうとう、お会いできる機会がやってきた。Facebookでイベント招待をいただいたのだ。ドキュメンタリー映画の上映会だ。

  とうとうお会いできるんだ、と思うと、緊張がピークに高まった。会場の最寄り駅にて、あのときの気持ちを思い出そう、と思いブラックビスケッツの「タイミング」をYoutubeで再生してみたら、運動会で踊った懐かしさに震えが止まらなくなった。

 

 あぁ、20年は長かった────。

 転校先の学校に馴染めなかった私は、何度「代々木に帰りたい」って思ったか。湯本先生からの手紙は何度読み返しただろうか。小3、4年の当時はもちろん、その後の人生で孤独感に苛まれたときも、代々木小の仲間や思い出にどれほど精神的に助けられていただろうか。私、あのころに比べると積極性が身に着いたよ! 詩のコンクールで賞もとったよ!! その後、子どもの教育、平和学習、演劇関係をきっかけにあちこちで友達ができたよ!!!

 直接的にも、間接的にも、代々木生活はどれほど私に影響を与えたことだろうか。

 その中心となった湯本先生に、とうとう20年ぶりに会える。

 

 ドキュメンタリーは、まず、選挙のシーンが私にとっては印象的だった。だれの選挙であろうと、当落の一喜一憂には胸がキュッとなる。また、沖縄の天候が気になった。曇天、雨天のシーンが多い。

 そして───約1年前に起こった、普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下した事故。私は覚えていたよ。普天間第二小学校は、小4のときの地域学習でビデオレターのやり取りをした学校だ、って。

  上映会と対談が終わる。「湯本さん、」と次々にいろんなひとが、先生に話しかける。

 そうか、ほかのひとからすると「湯本先生」ではないんだな……。あのころの「ゆもちゃん」じゃ、ないんだな……。

 

「湯本先生っ!」 

  私、20年前に代々木小学校でお世話になった、……

 イベント終了後、ほかのお客さんが去るのを待ってから挨拶をした。

 小学校での演劇で鍛えたような、通る声は出せたかな、私。

 

 先生は、20年前よりも痩せていた。声も、20年前のような大きさや滑舌ではなかった。髪も白髪が増えている。20年が経つというのはそういうことなんだろう。けれど、表情には面影があった。

 

 ───よく来てくれたね。ありがとう。

 握手をし、言葉を交わす。20年ぶりだ。

 ───どのクラスだったっけ。誰がいたっけ。

 ───ほら、Aちゃんとか、Kくんとかがいたクラスです。

 ───あぁ、モルモット飼ってたクラスか。Kくんか、会いたいなぁ。

 ───Kくんも先生に会いたがってましたよ。「Facebookを見つけた瞬間、泣きそうになった。湯本先生には本当に感謝しきれないほど大好きだった。会ってお礼を言いたい」って言ってましたよ。私もです。これまであちこちの学校に行きましたが、もっとも人生に影響を与えた先生です───。

 

 ありがたいことに、私は上映会スタッフの打ち上げにもご一緒させていただくことができた。

 

 20年前、私たちの担任をしていた頃は、先生も思い悩んでいた時期でもあったという。そうだったのか。あの頃は私にとっては楽しい日々だったけど、先生にとっては、悩んでいた日々だったのか……。

 

 ───もっと若いときから映画を撮れば良かった。もう自分はあと10~20年でこの世を去るだろうけど、これからの子どもたちが生きる世界は、平和であってほしい。

 ……そっか、教員を辞めても、子どもが好きなことは昔と変わらないんだな。その点は嬉しかった。

「教員」から「映画監督」への転身か。まるで、ポケモン的な「進化」みたいだなぁ。もしかしたらこちらが本来の姿で、先生が「教員」だったのは、ある種の序章だったのかもしれないな。授業での演劇とか、ビデオレターとか、このための伏線だったのかもしれない。

 ……私は?

 この20年間で、どう成長できたかな。

 

「実は6年前にこのあたりに住んでいたことがある。そのとき、友人たちとUstream番組を作っていた。そのときに知り合った人には、映画や映像関係の仕事をしているひともいる」という話をしたら、興味をもっていただけて嬉しかった。

 

▲上映会主催の「ビデオアクト」の皆さんと。

 

 懐かしく楽しい時間はあっという間だった。飯田橋駅で解散になった。

 20年か──────

 代々木小を転校した私は、長崎、佐賀、京都、神楽坂、名古屋、とあちこちに住んだ。それぞれの地ではさまざまなことがあった。まるで、同一人物の人生を生きている気がしないくらい、バラエティに富んだ20年だった。本来は別々のひとが送るべきだった人生を、私の身体を使いまわしているような、そんな気すらしていた。

 でも───代々木時代に、私の原点はきちんと存在していて、私はひとりの人間だったんだな、ということを、どこかで受け入れられるようになった感じもあった。

 

 20年か。これからの20年は、長いのか短いのかはわからない。でも、1999年からの20年は、とてつもなく長かった。長かった。長かった。

 

 ふと、代々木小学校の校歌を聴いてみたくなった。代々木小は2015年に廃校になっており、Youtubeなどにも歌は上がっていない。

 記憶を頼りに、心の中で、私はそっと口ずさむ。

 

♪ 代々木の森から 吹く朝風は───

 

 20年前のこと。ずっと忘れないまま、これからも強く生きていこう。

 

※プライバシー配慮のため、本筋と関係のない範囲でフェイクを入れている部分があるかもしれません。出てくる名前も実際のイニシャルとは限りません。

  

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学校を辞めます―51歳・ある教員の選択

学校を辞めます―51歳・ある教員の選択

 

 ▲湯本先生の著書。いわゆる退職エントリ的な。

 

風の教室 (中公文庫)

風の教室 (中公文庫)

 

 ▲この小説を読んだとき、ここに出てくる先生のキャラクターが、ちょっと湯本先生に似ているなと思いました。

この本がすごい!2018年下半期

 この冬、皆さんいつにも増して「昨年読んだ本」「昨年読んでよかった本」「今年読みたい本」の紹介多くないですか……?

 どれも面白そうなので、hontoやAmazonの欲しいものリストにどんどん登録してます。

 

 さて、毎年(というか毎半期)恒例の「今期読んで良かった本ランキング」。遅くなってしまいましたが、今回も行います!

 年末に行うひとが多いようですが、私は年明けに行う派です。

 

「2018年下半期に発売された本」ではなく、この時期に「私が読んだ本」なので、古い本が入ることもあるかもしれません。

 では、いってみましょう!

 

※ちなみに本のAmazonリンクは、単行本だったり、文庫本だったり、Kindle版だったり、いろんなメディア形態で貼っています。原則として読んだ形式のものを貼っていますが、一部例外もあり。

13位 やってはいけないデザイン

やってはいけないデザイン

やってはいけないデザイン

 

  この本は、秋に無料公開企画が行われていたのでそのときに読みました。無料で全て読んだけど、買ってもいいかもと思えた一冊。

 ここに出ている失敗例、たしかによくやってたなぁ……と反省。これらを踏まえて作った職場での社内掲示物、これまでのものよりすこし出来が良くなった気がしました。

 

12位 「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。

 

  性暴力や女性の働き方、教育、ジェンダーについて取材をするライターさんの著書。最近だと「ヤレる女子大生ランキング」についての批判記事も記憶に新しいです。

 この本は、ネットで話題になった性差別、ジェンダー炎上案件について取り上げ、それらについての考察記事をまとめたもの。電子書籍で読んだということもあり、書籍というよりはネット記事を読む感覚で読めました。

「あぁ、この視点はなかった。納得」「私はそうは思わなかったんだけど、このひとはこう解釈したのか」と、咀嚼しながら読みました。私より10歳近く年上の方なので、時代を感じるエピソードもあったのも印象的。

 ただ、この本はその内容の性質上、性暴力や差別、生きづらさに関する内容も多いため、読んでいてすこしつらい部分もありました。

 

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11位 いま生きる「資本論

いま生きる「資本論」

いま生きる「資本論」

 

  友人(id:u_f_yさん)からの誕生日プレゼント。『いま生きる階級論』とともにいただきました。

 私は立命館大学の出身なのですが、同志社大学の神学部にも友人がいたので、著者の佐藤優先生には親近感を抱いていました。講義録なのである種の読みやすさはありますが、専門的な話も出てくるので「平易な本」というわけではないです。

 読んでいる最中、大学時代、京大の勉強会で学術書を輪読していたときの感覚を思い出しました。これ、ひとりで一読するよりもレジュメを作って議論したほうが理解が深まるのかも。

 資本主義を信じることや、ビットコインは「一般的等価物」足りうるか、などについてのくだりが特に印象的。

 ちなみに私は、資本論は読んだことはありません。大学時代、内田樹先生の著書にドはまりしていたとき、『若者よ、マルクスを読もう』などの本で間接的に触れたことがあったくらい。(『若マル』もなかなか難解だったなぁ)

 

10位 どう解く?

答えのない道徳の問題 どう解く?

答えのない道徳の問題 どう解く?

 

  大好きな詩人・谷川俊太郎さんをきっかけに知った本でしたが、博報堂を中心とした広告代理店のクリエイターさんたちの企画ということでますます興味を持った本。(執筆者は友人の友人ということものちに知りました)

「いじめ」「いのち」「かぞく」「ゆめ」などのテーマについて問いかける、絵本のような本。ひとつのテーマにつき著名人1人が、考えるためのヒントになるメッセージを寄せています。

 もっとも印象的だったのは、「らしさ」についての、ミッツ・マングローブ氏の解答。良くも悪くも「えっ、2018年のこのテの本でそう解答するのか」と思わせられました。案の定、ネットでも賛否両論あったようです。この意見に賛同するかどうかはともかく、本の趣旨としては載せたことは良い問題提起だと思いました。(※リンク先、一種のネタバレなので注意)

 著名人の解答は、ひとつの問いに複数人が答えても良かったのではという気もしました。また、ここに出てくる問いの内容は「2018年現在の常識」を踏まえているものだから、この本の内容は案外早く陳腐化するんじゃないか、と思ったりも。でも、それでいいと思っています。私もこの本、10歳くらいで読みたかったなぁ。

 

9位 モビリティー進化論

モビリティー進化論

モビリティー進化論

 

  仕事の関係で読んでみた一冊。意外と面白かったです。自動運転の話となると、テクノロジー寄りの話が中心のものが多いですが、この本は技術の話ばかりではありませんでした。

 各国の土地の形状や、都市の特徴、文化の違いについても触れられており、地域・地理・文化面からも興味深く読めました。過疎化が社会問題化しているのは日本に顕著なことであるとか、欧州と米国では人口が集中する地域に違いがあることなど、データが豊富で読みごたえがありました。

 ライドシェアのサービスについても、Uber型とBlaBlaCar型の違いについて書かれていたのは面白かった。一度読んだだけでは吸収しきれなかったので、必要に応じて読み返すことになりそうです。

 

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8位 ふつうの非婚出産

ふつうの非婚出産 シングルマザー、新しい「かぞく」を生きる

ふつうの非婚出産 シングルマザー、新しい「かぞく」を生きる

 

  あえて結婚せずに妊娠・出産をした友人・敦子さんのエッセイ。彼女のこれまでの家族や関係性にまつわる経験を通じて、どのように考えてきたか、どのように生きづらさと折り合いをつけたか、どのように彼女なりの幸せを追求してきたかを垣間見ることができました。共感したり励まされたり、読みやすさもありながらも、濃厚な読書体験ができた一冊。

 敦子さんとはじっくり深い話をしたことはなかったので、本書で初めて知るエピソードも多く「こんなに波乱万丈な経歴だったの!?」と驚かされたりも。大阪出身の彼女とは共通の友人も多く、知っている人の名前が本にチラッと出てきたときにはニヤリとできました。

 

7位 観察の練習

観察の練習

観察の練習

 

 書店でたまたま見かけて面白そうだと思い、手に取った本。ドンピシャに私好みな内容でした。道端だったり、家の中だったり、ふとした日常から見つけたものを「観察」して、考察した記録。私も同じような「観察」をしていた時期があったので、すごく面白く読めました……!

 本で取り上げている事例について、良し悪しなどの価値判断が強すぎないのも好感が持てます。目の前の現象を、フラットに受け取っているのですんなり読めます。

 一瞬なんの本かわからないような不思議な表紙も面白いです。本の装丁も好き。広い意味での「デザイン」に関わる人におすすめできる一冊。私もまた、こういう「観察」、やってみようかな。

 

6位 わたしの旅に何をする。

わたしの旅に何をする。

わたしの旅に何をする。

 

 「ええやん!朝活」読書会で紹介されていて知った本。普通のサラリーマンの著者が海外旅行に魅せられ、あちこちの国での旅行経験を綴ったエッセイ。私も、旅の途中の電車の中で読み進めました(私は国内旅行ですが)。

 この本、文章の語り口がとってもユニーク。まるで、おもしろ系のブロガーやWebライターさんの記事みたい。id:u_f_yさんのブログのノリにも似ているかも。

 一章が短めなので、気負いせずサクサク読めます。読むと明るく、元気な気持ちになれる一冊。

 

5位 謝るなら、いつでもおいで

謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)

謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件 (新潮文庫)

 

 この本を知ったのは、ネットでの書評。もともとこの事件についても関心はあったので、文庫化を機に読んでみることにしました。

 2004年に長崎県佐世保市で発生した、小6女児による同級生殺害。事件発生当時、私は隣の佐賀県に住んでいました。ただ、私は前年までは長崎市に住んでおり、また、長崎市内でも前年に中学生による殺人が起こっていたので、その点でもこの事件は衝撃的でした。

(私自身も長崎時代にいじめられていたので、当時の私の挙動次第では、長崎県の子ども同士の殺人をひとつ増やしていたかも……なんて思ってゾワッとしたりも)

  この本の著者は新聞記者。被害者の父親は、著者の上司にあたる方だそうです。そんな、被害者とも加害者とも近い立場にいた著者が取材を重ねたルポルタージュ月並みな表現になりますが、とても読みごたえがありました。タイトルは、被害者のお兄さんの言葉。

 加害者に対する戸惑う感情、取材する側だった人がされる側になること、同級生たちのトラウマ、一部を切り取られて間違った報道をされることなど、さまざまなことを垣間見ることができました。

 

4位 片想いさん

片想いさん (文春文庫)

片想いさん (文春文庫)

 

  こちらも「ええやん!朝活」読書会で知った一冊。「Suicaペンギン」のキャラクターデザインで有名なイラストレーター・坂崎千春さんのエッセイ集。

「片想い」についてのエッセイ集ではありますが、本人の経験だけでなく、友人の話なども出てきます。恋愛エッセイというよりも、「日常の彩り」についてのエッセイという印象を受けました。

 かわいい挿絵や、カンタンな料理のレシピ、著者の好きな本の紹介などが随所に出てきて、イラスト集、レシピ本、ブックガイドとしても楽しめた贅沢な一冊。電子書籍で買ったけど、紙の本で買えば良かったかも、と思いました。

 エッセイの中で、著者の恋愛経験についても触れられていますが、「え、そうだったの……!?」と、ちょっと驚いてしまいました。こういうひとって、結構いるのかも知れません。

 

3位 いきもの人生相談

いきもの人生相談室 動物たちに学ぶ47の生き方哲学

いきもの人生相談室 動物たちに学ぶ47の生き方哲学

 

 本のセレクトショップで立ち読みして気になり、後日、電子書籍セールで購入した本。すごく面白かった! 人生相談も、生物の話も好きな私にはドンピシャな本。

 挿絵のイラストも大好きです。こういう一コマ漫画というか風刺画というかピクトグラムというか、イメージイラスト的なものがそもそも好みなので。絵柄にも和みました。

 恋愛系の悩みについての章は、以前読んだ『人はなぜ不倫をするのか』という本を彷彿とさせました。

 巻末には、本に出てきた動物たちの写真や生態について詳しく載っており、勉強になります。さすが、登山に特化した出版社の本だけある。パラパラめくって眺めたいから、この本も、電子書籍じゃなくて紙の本で買ったほうが良かったかもなぁ。

 ちなみに今期読んだ山と渓谷社の本では、『人を襲うクマ』も良書でした。

 

2位 いじめと探偵

いじめと探偵

いじめと探偵

 

  小・中学時代、いじめ関係の本はあれこれ読み漁った私。大人になってからはあまり読まなくなりましたが、この本はタイトルに惹かれて購入しました。

 いじめについての証拠集めを探偵に依頼する親御さんは多いそうです。そんな、いじめ案件を扱う探偵業者の方が書いた本。

 本書の内容紹介文に「使いっ走り、カツアゲ、万引きの強要、度重なる暴力、そしてクラスメイトによる集団レイプまで」などの記述がありました。「あっ、これ読むとトラウマ刺激されてつらくなる系の本かな……?」と、少し警戒しながら読みはじめましたが、読み始めたらなんのなんの、面白くて一気に読んでしまいました。

 面白い、という感想は不謹慎かな。でも、生徒と探偵がタッグを組み、隠しカメラやレコーダーでいじめの証拠確保に奔走する様子にはちょっとワクワクしたし、探偵が素性を隠して加害生徒の前に現れるシーンも、漫画のヒーローみたいで痛快でした。個々のエピソードがどれも、凄惨さもありながらもドラマチックで痛快で、テレビドラマ化とも相性が良さそうにも思えました。

 いじめに関する依頼の中で、探偵として依頼を受ける必要があると判断されるものは少数だそうです。

いじめの解決そのものではなく、問題をうやむやにしなかった、親も先生も自分の問題に対して真剣に立ち向かってくれた、という事実こそが被害生徒の自尊心を支える」というくだりも印象的でした。

 

1位 まんが アフリカ少年が日本で育った結果

まんが アフリカ少年が日本で育った結果

まんが アフリカ少年が日本で育った結果

 

  最後は明るい本で締めましょう。2018年下半期に読んだ本でもっとも良かったのは、この本!

 アフリカのカメルーンという国の生まれで、幼少期から日本の関西で育った男性による、コミックエッセイです。

 このインタビューで知りました。

gendai.ismedia.jp

  なんというか、もう、すごい。とても人間ができている方。差別や文化の違いについて、どうしてこんなに柔らかな考え方ができるのか。ひたすら驚きました。

 コミックエッセイは、差別問題などの堅苦しさはほとんどなく、気負わずに素直に楽しめる一冊。それなのに、アフリカやカメルーンと日本の違いや類似点はとっても面白く伝わってくるし、さすが関西人、ユーモアもたっぷりある。

 個人的には、著者の、家族との血縁関係のエピソードがもっとも驚きました。カメルーンではそういう考え方なのか……!

 

 この本は電子書籍で買ったけど、ほかの人にも普及するために紙の本でも買いました。そのくらい気に入った作品です……!

 この本に出てくるどのエピソードが好きだとか、どの点についてもっと知ってみたいかとか、この本で読書会をしてみても面白そうだなぁ、と思いました。

 

 以上が、今期のランキングになります。

 今回、小説が一冊も入っていないことが自分でちょっと意外でした。そしてあまり古い本はなく、どれも割と最近出た新しい本ばかり。

 あと、ここ最近は「事件」や「性」に関する本がランクインすることが多いのですが、今回はそんなことはありませんでした。あまり統一感のないラインナップですね。

 ここで紹介できなかったけど別途紹介したい本もまだまだあるので(友人知人が書いた本とか、いただいた本とか)、それらについてもまた、追々書いていけたらなと思います。

神様とかそういうものを信じるわけではないけれど

 年末年始のSNSは普段あまり投稿しないひとも投稿している上、ポジティブな決意が多く、読んでいて楽しいです。

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

紅白聴きながら描いてました。

 

 さて、私は毎年「どのように年越しをしているか」を、近年はなるべく記録するようにしています。
 
 2012年 京都のカラオケ店でアルバイトしながら年越し
 2013年 家族と香港のホテルで年越し
 2014年 女友達2人と大分のハーモニーランドで年越し
 2015年 佐賀の当時の実家でTwitterしながら年越し
 2016年 渋谷の友達の家で何人かで年越し
 2017年 唐津の祖母の家で祖母と年越し
 2018年 靖国神社にて彼と年越し

 今年は家族3人と年越ししました。年が変わった瞬間はスマホTwitter見てたような。

 こうして書き並べてみると、けっこうバリエーション豊かだな……この8年間は、ひとつとして同じ地域で年越ししたことってないみたいだし。都内で年越しの場合も、渋谷区、千代田区、港区とバラバラだ。

 

 ちなみに、2012年以前はすべて、家族と(その当時の)実家で年越ししていたと思います。

 2000年(小5)の年越しはトイレで鼻をかみながら、2001年(小6)はノートに詩を書きながら年を越したのは今でも覚えています。2000年は変な一年になり、2001年はロマンチックなこともあった一年になったよ! 年越しの仕方って大事かも……?

 

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 ところで、年末には一年の振り返りを行ったり、お正月には初詣に行ったりした方も多いと思います。私もそうです。

 ただ最近は、どういう気持ちで初詣に行けばいいのか、なんだかよくわからなくなってきています。

 2015年に母が余命宣告されたときは、もう、すがれるものならなんにでもすがりたくなって、病気治癒に効果的だという神社に行ったりもしました。ですが、今はそこまで祈りたいものってないんですよね。神様へのご挨拶を必要とするよりも、自助努力のフェーズのものが大半な気もするし。どこかにお参りに行ったらそれで満足してしまわないか、という懸念もあったり。 

 誰かとワイワイ初詣に行くのはイベントとして楽しいと思うけど、この年末はいくつかのトラブルが積み重なっていたのもあり、初詣の誘いも断ったり断られたりしちゃったし。

 ただ初詣、「神社仏閣の支援のために行く」というのはモチベーションとしてアリかもしれないな。神社仏閣は、災害が起きにくい場所の目安や避難拠点、お祭りなどでコミュニティ形成の一端も担っていたりもするし。その支援のためにお金を落とすのはいいかもしれない。間接的に恩恵を受けているものもあるのだろうし。

 そもそも。神や仏の存在は、現代日本ではあまり意識しないひとも多いかもしれないけど。「目に見えないものを信じる」という点では、だれかと約束や期待をしたり、ことばが通じることを前提としてひとに話しかけたり、資本主義や日本円を信頼してそれを前提に生きることとも同じことにも思えるし……。

 

 ……まぁ、そんな小難しいことはともかくとして。そもそも、私がいちばん信じている、というか意識しているものは、

「自分の人生が物語だったら」

ということ。

 漫画に喩えたり、ドラマに喩えたりいろいろですが。じぶんの人生をメタ認知して楽しむこと、だいすきです。

 言うならば、「この人生の作者が神様」という感じがあります。

 とはいっても「操られている」と感じているわけではないです(笑)。もう「キャラが勝手に動き出した」フェーズに入っていると思いますし。そして漫画なら、作者だけでなく担当編集者の好みや読者人気、大人の事情などで、初期に設定していた展開から変わることもあるわけで。

 

 私は転勤族だったこともあり、住んでいた場所ごとで一区切り、という感じがあります。「名古屋編」「京都編」「佐賀編」なんて具合に、心の中で思い出を分類しています。

「赤坂編、思ったより長く続いてるな……」「名古屋編はしんどかったなぁ。でも、親の余命宣告で東京行きっていうのは展開がムリヤリすぎない?」「神楽坂編、面白かったけど打ち切りが早かったよね」「鳴り物入りで登場してきたキャラもいたけど、結局すぐに消えたな」「長崎編はモブキャラも美男美女が多い……!」「最近、中華料理屋ばかり行くことになってるな。この人生のドラマ、今期は中華料理屋がスポンサーなのかな」なんて心の中で思ったり、時にはだれかと話したりして、「物語の主人公」気分を高めています。(他者を「脇役、モブキャラ」扱いすることに抵抗を覚えるひともいるようですが、他意はありません。あしからず)

 メイクがひどく崩れたときは「作画崩壊してるな……」なんて思ったり。ほかにも「人生が1年ずつのコミックスになっていたとしたら、現在は29巻まで発売されているのか」「21巻頃、割と面白かったよね」「26巻くらいで読むのやめた人も多そう」なんて、誰目線かよくわからない妄想をしたりして楽しんだりも……。

 

 そんな私の人生も、2019年3月に「30巻」を迎えます。

 正直、この年末年始は予定が狂ったり、会いたかったひとと会えなかったり、気に入っていたものをなくしたりなくされたり等でバタバタしていました。「すごくハッピーな幕開け!」という感じではないですが、「しっかり生きていくぞ」という強い決意はできたような気もします。

「冬休みのうちにやっておこう」と思ったことはいくつか順調にできていて、その点では好調なはじまりとも言えそうです。

 本年も、よろしくお願いいたします。

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私にとっての「今年の漢字」2018ver.

 出身地や血液型で県民性や性格をあれこれ言うことについては「差別に繋がりかねない」「科学的には証明されていないのに」などの意見があるようですが、そういうことは今回ひとまず置いとくとして。

 私は今年の年越しも都内になりそうです。年末年始の帰省はしないかも。まぁ、転勤族育ちの私は「そもそも地元や帰省先ってどこになるの?」とはよく聞かれます。

 

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 ところで、今年もこの季節になりました。2006年から行っている、私の今年の出来事を象徴する今年の漢字

 これまでは、こんな感じです。

2006年 諦(受験で諦めるものが多かった)
2007年 再(再会、再開、再履修。笑)
2008年 文(文芸部に加入)
2009年 人(新しいバイトやビジコン参加で出会いが増えた)
2010年 会(Twitterでさらに出会いがたくさん)
2011年 繋(東日本大震災、友達同士をたくさん引き合わせた)
2012年 動(引っ越しや就活や旅行での移動)
2013年 交(みんなより少し遅れて社会人に。いろんなひととの交流が増えた)
2014年 焦(結婚や独立する友達への焦り)
2015年 家(結婚話が破談、引っ越し、家族とのあれこれ)
2016年 旅(旅行、身近な人の独立、訃報など)
2017年 作(ものづくり好きな人との交流、同人誌やハンドメイド)

 

 どの漢字にしようか毎年ちょっぴり悩むのですが、今年はすんなり決まりました。

 私にとっての、今年一年を表す漢字は、

「体」

 です。

 

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 今年は、カラダのメンテナンスに力を入れました。

 友達がおすすめしていた整体に行ってみたり。

 脱毛サロンに通い始めたり。

 はじめて、髪にパーマをかけてみたり。

 そして、ブログでも書いた通り、親不知を抜くことにしたり。

 あとは、使い捨ての生理用ナプキンではなく、布製のものを使うようにもなりました。

「思いもよらず、こんな年になった」という感じではなく、「こうしよう」と意識して「身体」に気を遣った一年でした。

 ただ、体重はちょっと増えてしまった……。

 3年前、都内に戻ってきたばかりの頃に比べて8kg太ってしまったようです。まぁ3年前は、成人してからはもっとも痩せていた(やつれていた?)時期だったので、そのときと比べるのもあまり良くない気はしますが。ただそれにしても、20歳頃から5kgくらい太ったことには変わらないので痩せないと。気をつけないと。

 

 脱毛は思ったよりも快適で、もっと早くから通えばよかったと後悔したくらい。

 親不知を抜いたのもすっきりしました。いやまぁ、今現在はまだ、抜いた穴の部分に食べかすが詰まりやすくてちょっと気持ち悪いときもあるけど……(苦笑)。

 パーマも、意外と違和感ありませんでした。

 布ナプキンも、想像以上に快適です。

 でも今年、「身体」に関することでいちばん印象的だったのは、献血

 

 先月の駒場祭からの帰り。「そうだ、献血に行ってみよう」とふと思い立って、渋谷ハチ公前の献血ルームに寄りました。

 献血ははじめてだという旨を伝えて、問診や血圧測定を終え、血液の事前審査を行うことに。

 私が、5歳くらいのときに親から聞いていた血液型はA型。(父がA型、母がO型の家庭です)

 それを、これまであまり疑わずにいました。

 ところが、採決した血液の事前審査の結果、

O型の可能性が高いですよ」

と……!

 

 え、O型……!?

 私、A型じゃなかったの!?

 占いではずっと「うお座のA型」だということで診断してきたよ??

 漫画家の種村有菜、小説家の小林深雪などが「うお座のA型」だから勝手に親近感を抱いていたけど、違ったのか……。「うお座のO型」で私が好きな著名人って誰がいたかな。ソニンくらいか。ソニンも好きだけど、これまでの24年間私はずっと「自分はうお座のA型」だと思って生きてきたから、O型だったと言われても困る。いや別に困らないけど。輸血もしたことないし、占いやプロフィール帳への記入でしか使ったことないから困ることはないんだけど、でもちょっとびっくりするし、戸惑う……!!

 私は小説や漫画を描いたりもしていたので、そのキャラクター設定で血液型は意識したこともあるけど。それも私が「うお座のA型」だということを基準にして、それを念頭に置いて設定していたんだけど、それが違ったのか……!

 

 ちなみに献血のあとにもう一度、正確な血液型を診断するとのことでしたが、この日の私は血液の濃度が基準値にわずかに足りない……ということで献血には至らず。

 でも、じぶんの血液型が思っていたのと違ったというのはそれだけでもじゅうぶん衝撃的でした……!

 

 それが今年のハイライトです。今年を象徴する出来事、ほかになんかあるだろっていう気もしなくはないですが。

 あ、あとひとつ「身体」に関することで、ちょっとあたためてることがあるので、うまくいけば来月に発表できたらいいなと思います。(たぶんあなたが想像することとちょっと近いと思うけどたぶん違う)

 

 それでは、良いお年をお迎えください。

ABO血液型がわかる科学 (岩波ジュニア新書)

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なきわらい血液型事件 (学研の新しい創作 A)

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Tourism of the Dark ──誰も知らない私について──

「せんせー! 個人的なトラウマのある場所を訪れることはダークツーリズム*1に含まれますかー?」

 

 今回語ることは、これまであまり語らなかった私にとっての真実だ。

 ただし、この記憶の正確さには自信がない。

 ひとによっては、ショッキングなことを彷彿とさせる内容かもしれない。フラッシュバックが起こるかもしれない。そのような危険性を感じた場合には、端末の戻るボタンやホームボタンを押して欲しい。

 残念ながら非常ボタンではないので、私が駆けつけることはできないけれど。

 ※この記事は、サークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2018の14日目の記事として書かれています。サークルクラッシュ同好会のブログはこちら

 今年のテーマも、昨年と同じく「こじらせ自分語り」。今年も書かせていただきました。ちなみに昨日の記事は、id:silloi(@silloi93)さんの「自分語りやめろ、トレーニングをやれ」でした。

 2017年7月

 夏、しかも去年の夏なんて、暑かったかどうかもあまり覚えてないけれど。
 この時期の私は、ある記憶を頻繁に思い出してはじわじわと不快感を抱いていた。
 どうして思い出しちゃうかなぁ……。しばらく忘れかけていたというのに。

 ────あぁそっか。「ブラックボックス展」の騒動がニュースになっているからか。

 
 暗闇の中で行われる展示ブラックボックス展」の会場で発生した、性被害の告発。そのことがあらゆるメディアを賑わせていた。

 ブラックボックス展。アート系の活動をする友人から、この展示の告知ハガキを私ももらったことがある。結局行けなかったけど、行かなくてよかった。

 やたらとフラッシュバックしていた私の記憶も、確かにこの件と近いところがあるかもしれない。

 あぁ、だからなのか。思い出してしまうのは────。

 

 2001~2002年

 ────時代は、今から15年以上も前にさかのぼります。

 舞台は九州の地方都市────

 小学校時代の友人とは意図的に距離をとっていたこともあり、中1の頃は、友達と呼べる存在はほとんどいなかった。
 そしてきっかけは覚えてないけれど、ちょっとワルぶってる男子に目をつけられて、彼にやたらといじめられるようになった。

 中学1年の春とか夏とか、まだ暖かい季節だったと思う。その日は理科の授業中、実験だったかビデオ視聴だったかのために理科室内の電気を消し、カーテンも閉めていた。理科室は真っ暗だった。

 この理科の授業中、私はその男子にずっと殴られていた。
「やめて」とか、多少の抵抗はしたような気もするけど、大ごとにしたくなかったので、声を上げることはしなかった。

  理科担当の女性教員は気づいていなかった。近くの席のほかの生徒は気づいていたかもしれないけど、まぁ、不良っぽい男子が暴行してるところになんて普通関わりたくないよね……。

 私は顔を中心に殴られていた気がする。殴られた部分はヒクヒクと痙攣していて、しばらく震えが止まらなかった。
 授業が終わったあとに保健室に行った。「顔を冷やしたい」と言ったら養護教諭に事情を訊かれた。そこで、理科の授業中の出来事はほかの人にも伝わるところとなった。

 理科教師は「授業中、気づかなくてごめんね……」と謝った。私は「暗かったので仕方ないです」と答えた。
 私の親も呼ばれたような気もする。親は、私を殴っていた男子に「今後、娘の身体に触らないで。指一本触れないで」と言ったようだ。

 実際、その後はこの男子はしばらくおとなしかった。でも、秋には再び暴行を加えられるようになった。
 一時期は毎日のように、ほうきを使って羽交い締めにされかけていた気がする。殴る蹴るの暴行もあった。

 

 私をいじめていたのはこの男子だけではなかった。私を蹴る男子はほかにもいた。毎日のように、制服につく白い靴跡を払った。成長期に入った男子の筋力ってこんなに強いのか、とショックを受けた。
 さらに別の男子からは、暴力こそなかったものの、卑猥なことを言われたり、スキンシップを求められたケースもあった(無視したり逃げたりした覚えがある)。また、「臭い、キモい、菌がうつる、腐る」と言ってバイキン扱いする人は全体的に多かった。私を避けたいのか触りたいのか、どっちなんだ。
 中学2年になってからは、一部の女子グループから頻繁に、聞こえよがしな悪口を言われていた。彼女たちは文脈からして明らかに私の悪口を言っているけど、名指しはしないので反論できない……という絶妙なところを突いていた。「うわ、なんか笑いよるし」「まじキモか。身障じゃ」などと言い、私のすぐ近くで笑いあっていた。

(こうして書いてみると、このいじめには特に首謀者はいなくて、あちこちのグループがそれぞれ違う動機や目的を持って私をいじめていたように感じるな。もはや興味深い)

 

 じぶんでも奇怪だなと思うけど。男子たちから暴行されるのは、今にして思えばそれほど嫌ではなかった。むしろ、女子グループから目の前で陰口を叩かれるほうが、舐められている感じがして不快だった。目の前で悪口を好き放題言われて、でもそれを論破できない自分の姿を突きつけられるのも辛かった。

 持ち物を隠されたり、汚されたり、悪口を書かれたりすることもあった。これらに関しては、発覚した瞬間に一時的にショックは受けても、そこまで辛いとは思わなかった。(このテのいじめはあまりなかったので、金銭的・物理的にはさほど損害もなかった気がする)
 男子から一方的に暴行されるのは、ある意味では楽だった。その場の痛みにひたすら堪えればよかったから。男女で筋肉量も違うから、「一方的にいじめられるだけで何もできない、弱い自分」という立場になるのは仕方ないと納得もできた。←そこ納得するところか?

 今にして思えば、そうやって暴行され、広い意味で「カラダを許す」ことでしか、男子とのコミュニケーションの取り方がわからなかった気がする。あぁ、我ながらなんて歪んでるんだ。同級生の女子から「じゃれとるんやろ?」みたいに言われたことがあったけれど、否定できなかった。
 ただ、私にも当時、好きな人はいた。ほかの男子に暴行される反動からか、どちらかというと真面目で落ち着いた雰囲気の人を好きになることが多かった。でも特に接近するきっかけもなかった。
 そんな中、親の転職の関係で隣県に引っ越すことか決まった。中学2年の冬だった。 

2003年2月

 転校先の学校については、正直あまり期待していなかった。

 次の学校では舐められない、いじめられないようにしよう……と心に誓いながら迎えた転校初日。
 拍子抜けした。みんな優しかった。クラスメートから下の名前で呼んでもらえるのがこんなに嬉しいなんて。こんな中学校生活もあったなんて。

「人生、ようやく反転した」と思った。

 嬉しさも感じた一方で、「成長期の男子の力の強さなんて、別に身をもって知る必要ないことだったんだな……」と過去を思い出して悲しくなったりもした。12歳だった私には、それはあまりにも重すぎた。

(すこし話はズレるけど。犯罪者が逮捕されたニュースについて、ネットユーザーの投稿を見てみると「こういう奴とは一生関わりたくない」というコメントをたまに見かけることがある。そのたびに私は「関わりたくない、って言えるだけいいよ。すでに関わってしまったらどうすればいいんだ……」なんて気持ちになる)

 転校先の学校でいじめられなくなってからも、多少の緊張感は常にあった気がする。理科の授業中に電気を消すたびに、つい身体をこわばらせてしまっていた。

 

 やがて塾に通うようになり、クラスメート以外の友達も増えた。勉強の話もしたけど、「好きな人っていないの?」なんて話にもなった。この頃の私は、男性には恋愛感情を持つことができなかった。そういった対象は女性だった。当時はそれを自覚するのが自分で嫌で、恋愛系の話題を振られないようにしていた。

「私はおかしいんじゃないか」と悩むようなことはなかった。それだったら、前の学校で自分を暴行させるように仕向けていたことのほうが、同性愛よりよっぽど「おかしいこと」だと思ってた。

2004年以降

 高校生や大学生、大人になってからは、男の人とまともに(?)交際することもできた。好みのタイプはあまり変わらなかった。頭のいい人、真面目そうな人、落ち着いた人、オタクっぽい人などが好みだった。恋愛経験・性経験がない人と付き合うのは、特に安心できて嬉しかった。

 たまに不思議に思うこともある。一歩間違えていたら、私はいわゆる「DV男」みたいなひとと付き合うことになっていたんじゃないか、って。

 幸いにして、そのようなひととは縁はなかった。中学前半時代、殴られようが蹴られようが嫌じゃなかった自分のことは「歪んでいる」って思ってたけど、心の底ではきちんと傷ついて、きちんと「嫌」だと認識できていたのかもしれない。そうだといいんだけれど。

 子どものいじめは自殺や不登校なども問題視されがちだけど、こうして大人になってから表出する禍根もある。そういうことを痛感する、最近。

 

 もうすぐ2018年も終わるけど、すこしでも私やあなたが幸せを感じられる世界が訪れることを、願わずにはいられない。

 そんな冬の夜。あまり明るくはない、思い出話。

 

 サークルクラッシュ同好会Advent Calender2018。明日の担当は、syuumatudannsi さんです。お楽しみに。

 

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*1:戦跡や災害被災地など、悲劇・死・暴虐にまつわる場所を訪問する観光のこと。