これからも君と話をしよう

一度はここから離れたけれど、やっぱりいろんな話がしたい。

私にとっての「今年の漢字」2018ver.

 出身地や血液型で県民性や性格をあれこれ言うことについては「差別に繋がりかねない」「科学的には証明されていないのに」などの意見があるようですが、そういうことは今回ひとまず置いとくとして。

 私は今年の年越しも都内になりそうです。年末年始の帰省はしないかも。まぁ、転勤族育ちの私は「そもそも地元や帰省先ってどこになるの?」とはよく聞かれます。

 

 スポンサーリンク

 

 

 ところで、今年もこの季節になりました。2006年から行っている、私の今年の出来事を象徴する今年の漢字

 これまでは、こんな感じです。

2006年 諦(受験で諦めるものが多かった)
2007年 再(再会、再開、再履修。笑)
2008年 文(文芸部に加入)
2009年 人(新しいバイトやビジコン参加で出会いが増えた)
2010年 会(Twitterでさらに出会いがたくさん)
2011年 繋(東日本大震災、友達同士をたくさん引き合わせた)
2012年 動(引っ越しや就活や旅行での移動)
2013年 交(みんなより少し遅れて社会人に。いろんなひととの交流が増えた)
2014年 焦(結婚や独立する友達への焦り)
2015年 家(結婚話が破談、引っ越し、家族とのあれこれ)
2016年 旅(旅行、身近な人の独立、訃報など)
2017年 作(ものづくり好きな人との交流、同人誌やハンドメイド)

 

 どの漢字にしようか毎年ちょっぴり悩むのですが、今年はすんなり決まりました。

 私にとっての、今年一年を表す漢字は、

「体」

 です。

 

スポンサーリンク

 

 

 今年は、カラダのメンテナンスに力を入れました。

 友達がおすすめしていた整体に行ってみたり。

 脱毛サロンに通い始めたり。

 はじめて、髪にパーマをかけてみたり。

 そして、ブログでも書いた通り、親不知を抜くことにしたり。

 あとは、使い捨ての生理用ナプキンではなく、布製のものを使うようにもなりました。

「思いもよらず、こんな年になった」という感じではなく、「こうしよう」と意識して「身体」に気を遣った一年でした。

 ただ、体重はちょっと増えてしまった……。

 3年前、都内に戻ってきたばかりの頃に比べて8kg太ってしまったようです。まぁ3年前は、成人してからはもっとも痩せていた(やつれていた?)時期だったので、そのときと比べるのもあまり良くない気はしますが。ただそれにしても、20歳頃から5kgくらい太ったことには変わらないので痩せないと。気をつけないと。

 

 脱毛は思ったよりも快適で、もっと早くから通えばよかったと後悔したくらい。

 親不知を抜いたのもすっきりしました。いやまぁ、今現在はまだ、抜いた穴の部分に食べかすが詰まりやすくてちょっと気持ち悪いときもあるけど……(苦笑)。

 パーマも、意外と違和感ありませんでした。

 布ナプキンも、想像以上に快適です。

 でも今年、「身体」に関することでいちばん印象的だったのは、献血

 

 先月の駒場祭からの帰り。「そうだ、献血に行ってみよう」とふと思い立って、渋谷ハチ公前の献血ルームに寄りました。

 献血ははじめてだという旨を伝えて、問診や血圧測定を終え、血液の事前審査を行うことに。

 私が、5歳くらいのときに親から聞いていた血液型はA型。(父がA型、母がO型の家庭です)

 それを、これまであまり疑わずにいました。

 ところが、採決した血液の事前審査の結果、

O型の可能性が高いですよ」

と……!

 

 え、O型……!?

 私、A型じゃなかったの!?

 占いではずっと「うお座のA型」だということで診断してきたよ??

 漫画家の種村有菜、小説家の小林深雪などが「うお座のA型」だから勝手に親近感を抱いていたけど、違ったのか……。「うお座のO型」で私が好きな著名人って誰がいたかな。ソニンくらいか。ソニンも好きだけど、これまでの24年間私はずっと「自分はうお座のA型」だと思って生きてきたから、O型だったと言われても困る。いや別に困らないけど。輸血もしたことないし、占いやプロフィール帳への記入でしか使ったことないから困ることはないんだけど、でもちょっとびっくりするし、戸惑う……!!

 私は小説や漫画を描いたりもしていたので、そのキャラクター設定で血液型は意識したこともあるけど。それも私が「うお座のA型」だということを基準にして、それを念頭に置いて設定していたんだけど、それが違ったのか……!

 

 ちなみに献血のあとにもう一度、正確な血液型を診断するとのことでしたが、この日の私は血液の濃度が基準値にわずかに足りない……ということで献血には至らず。

 でも、じぶんの血液型が思っていたのと違ったというのはそれだけでもじゅうぶん衝撃的でした……!

 

 それが今年のハイライトです。今年を象徴する出来事、ほかになんかあるだろっていう気もしなくはないですが。

 あ、あとひとつ「身体」に関することで、ちょっとあたためてることがあるので、うまくいけば来月に発表できたらいいなと思います。(たぶんあなたが想像することとちょっと近いと思うけどたぶん違う)

 

 それでは、良いお年をお迎えください。

ABO血液型がわかる科学 (岩波ジュニア新書)

ABO血液型がわかる科学 (岩波ジュニア新書)

 
なきわらい血液型事件 (学研の新しい創作 A)

なきわらい血液型事件 (学研の新しい創作 A)

 

 

Tourism of the Dark ──誰も知らない私について──

「せんせー! 個人的なトラウマのある場所を訪れることはダークツーリズム*1に含まれますかー?」

 

 今回語ることは、これまであまり語らなかった私にとっての真実だ。

 ただし、この記憶の正確さには自信がない。

 ひとによっては、ショッキングなことを彷彿とさせる内容かもしれない。フラッシュバックが起こるかもしれない。そのような危険性を感じた場合には、端末の戻るボタンやホームボタンを押して欲しい。

 残念ながら非常ボタンではないので、私が駆けつけることはできないけれど。

 ※この記事は、サークルクラッシュ同好会 Advent Calendar 2018の14日目の記事として書かれています。サークルクラッシュ同好会のブログはこちら

 今年のテーマも、昨年と同じく「こじらせ自分語り」。今年も書かせていただきました。ちなみに昨日の記事は、id:silloi(@silloi93)さんの「自分語りやめろ、トレーニングをやれ」でした。

 2017年7月

 夏、しかも去年の夏なんて、暑かったかどうかもあまり覚えてないけれど。
 この時期の私は、ある記憶を頻繁に思い出してはじわじわと不快感を抱いていた。
 どうして思い出しちゃうかなぁ……。しばらく忘れかけていたというのに。

 ────あぁそっか。「ブラックボックス展」の騒動がニュースになっているからか。

 
 暗闇の中で行われる展示ブラックボックス展」の会場で発生した、性被害の告発。そのことがあらゆるメディアを賑わせていた。

 ブラックボックス展。アート系の活動をする友人から、この展示の告知ハガキを私ももらったことがある。結局行けなかったけど、行かなくてよかった。

 やたらとフラッシュバックしていた私の記憶も、確かにこの件と近いところがあるかもしれない。

 あぁ、だからなのか。思い出してしまうのは────。

 

 2001~2002年

 ────時代は、今から15年以上も前にさかのぼります。

 舞台は九州の地方都市────

 小学校時代の友人とは意図的に距離をとっていたこともあり、中1の頃は、友達と呼べる存在はほとんどいなかった。
 そしてきっかけは覚えてないけれど、ちょっとワルぶってる男子に目をつけられて、彼にやたらといじめられるようになった。

 中学1年の春とか夏とか、まだ暖かい季節だったと思う。その日は理科の授業中、実験だったかビデオ視聴だったかのために理科室内の電気を消し、カーテンも閉めていた。理科室は真っ暗だった。

 この理科の授業中、私はその男子にずっと殴られていた。
「やめて」とか、多少の抵抗はしたような気もするけど、大ごとにしたくなかったので、声を上げることはしなかった。

  理科担当の女性教員は気づいていなかった。近くの席のほかの生徒は気づいていたかもしれないけど、まぁ、不良っぽい男子が暴行してるところになんて普通関わりたくないよね……。

 私は顔を中心に殴られていた気がする。殴られた部分はヒクヒクと痙攣していて、しばらく震えが止まらなかった。
 授業が終わったあとに保健室に行った。「顔を冷やしたい」と言ったら養護教諭に事情を訊かれた。そこで、理科の授業中の出来事はほかの人にも伝わるところとなった。

 理科教師は「授業中、気づかなくてごめんね……」と謝った。私は「暗かったので仕方ないです」と答えた。
 私の親も呼ばれたような気もする。親は、私を殴っていた男子に「今後、娘の身体に触らないで。指一本触れないで」と言ったようだ。

 実際、その後はこの男子はしばらくおとなしかった。でも、秋には再び暴行を加えられるようになった。
 一時期は毎日のように、ほうきを使って羽交い締めにされかけていた気がする。殴る蹴るの暴行もあった。

 

 私をいじめていたのはこの男子だけではなかった。私を蹴る男子はほかにもいた。毎日のように、制服につく白い靴跡を払った。成長期に入った男子の筋力ってこんなに強いのか、とショックを受けた。
 さらに別の男子からは、暴力こそなかったものの、卑猥なことを言われたり、スキンシップを求められたケースもあった(無視したり逃げたりした覚えがある)。また、「臭い、キモい、菌がうつる、腐る」と言ってバイキン扱いする人は全体的に多かった。私を避けたいのか触りたいのか、どっちなんだ。
 中学2年になってからは、一部の女子グループから頻繁に、聞こえよがしな悪口を言われていた。彼女たちは文脈からして明らかに私の悪口を言っているけど、名指しはしないので反論できない……という絶妙なところを突いていた。「うわ、なんか笑いよるし」「まじキモか。身障じゃ」などと言い、私のすぐ近くで笑いあっていた。

(こうして書いてみると、このいじめには特に首謀者はいなくて、あちこちのグループがそれぞれ違う動機や目的を持って私をいじめていたように感じるな。もはや興味深い)

 

 じぶんでも奇怪だなと思うけど。男子たちから暴行されるのは、今にして思えばそれほど嫌ではなかった。むしろ、女子グループから目の前で陰口を叩かれるほうが、舐められている感じがして不快だった。目の前で悪口を好き放題言われて、でもそれを論破できない自分の姿を突きつけられるのも辛かった。

 持ち物を隠されたり、汚されたり、悪口を書かれたりすることもあった。これらに関しては、発覚した瞬間に一時的にショックは受けても、そこまで辛いとは思わなかった。(このテのいじめはあまりなかったので、金銭的・物理的にはさほど損害もなかった気がする)
 男子から一方的に暴行されるのは、ある意味では楽だった。その場の痛みにひたすら堪えればよかったから。男女で筋肉量も違うから、「一方的にいじめられるだけで何もできない、弱い自分」という立場になるのは仕方ないと納得もできた。←そこ納得するところか?

 今にして思えば、そうやって暴行され、広い意味で「カラダを許す」ことでしか、男子とのコミュニケーションの取り方がわからなかった気がする。あぁ、我ながらなんて歪んでるんだ。同級生の女子から「じゃれとるんやろ?」みたいに言われたことがあったけれど、否定できなかった。
 ただ、私にも当時、好きな人はいた。ほかの男子に暴行される反動からか、どちらかというと真面目で落ち着いた雰囲気の人を好きになることが多かった。でも特に接近するきっかけもなかった。
 そんな中、親の転職の関係で隣県に引っ越すことか決まった。中学2年の冬だった。 

2003年2月

 転校先の学校については、正直あまり期待していなかった。

 次の学校では舐められない、いじめられないようにしよう……と心に誓いながら迎えた転校初日。
 拍子抜けした。みんな優しかった。クラスメートから下の名前で呼んでもらえるのがこんなに嬉しいなんて。こんな中学校生活もあったなんて。

「人生、ようやく反転した」と思った。

 嬉しさも感じた一方で、「成長期の男子の力の強さなんて、別に身をもって知る必要ないことだったんだな……」と過去を思い出して悲しくなったりもした。12歳だった私には、それはあまりにも重すぎた。

(すこし話はズレるけど。犯罪者が逮捕されたニュースについて、ネットユーザーの投稿を見てみると「こういう奴とは一生関わりたくない」というコメントをたまに見かけることがある。そのたびに私は「関わりたくない、って言えるだけいいよ。すでに関わってしまったらどうすればいいんだ……」なんて気持ちになる)

 転校先の学校でいじめられなくなってからも、多少の緊張感は常にあった気がする。理科の授業中に電気を消すたびに、つい身体をこわばらせてしまっていた。

 

 やがて塾に通うようになり、クラスメート以外の友達も増えた。勉強の話もしたけど、「好きな人っていないの?」なんて話にもなった。この頃の私は、男性には恋愛感情を持つことができなかった。そういった対象は女性だった。当時はそれを自覚するのが自分で嫌で、恋愛系の話題を振られないようにしていた。

「私はおかしいんじゃないか」と悩むようなことはなかった。それだったら、前の学校で自分を暴行させるように仕向けていたことのほうが、同性愛よりよっぽど「おかしいこと」だと思ってた。

2004年以降

 高校生や大学生、大人になってからは、男の人とまともに(?)交際することもできた。好みのタイプはあまり変わらなかった。頭のいい人、真面目そうな人、落ち着いた人、オタクっぽい人などが好みだった。恋愛経験・性経験がない人と付き合うのは、特に安心できて嬉しかった。

 たまに不思議に思うこともある。一歩間違えていたら、私はいわゆる「DV男」みたいなひとと付き合うことになっていたんじゃないか、って。

 幸いにして、そのようなひととは縁はなかった。中学前半時代、殴られようが蹴られようが嫌じゃなかった自分のことは「歪んでいる」って思ってたけど、心の底ではきちんと傷ついて、きちんと「嫌」だと認識できていたのかもしれない。そうだといいんだけれど。

 子どものいじめは自殺や不登校なども問題視されがちだけど、こうして大人になってから表出する禍根もある。そういうことを痛感する、最近。

 

 もうすぐ2018年も終わるけど、すこしでも私やあなたが幸せを感じられる世界が訪れることを、願わずにはいられない。

 そんな冬の夜。あまり明るくはない、思い出話。

 

 サークルクラッシュ同好会Advent Calender2018。明日の担当は、syuumatudannsi さんです。お楽しみに。

 

環状島=トラウマの地政学 【新装版】

環状島=トラウマの地政学 【新装版】

 
傷を愛せるか

傷を愛せるか

 

スポンサーリンク

 

 

*1:戦跡や災害被災地など、悲劇・死・暴虐にまつわる場所を訪問する観光のこと。

【後編】親不知を抜いたら意外なことに悩まされた

≪これまでのあらすじ≫

 10月11日のお昼に親不知を抜いた私。フルーツサンドを食べたあとはおとなしく帰宅することに。

▼詳しくは、前回の記事を読んでね!

www.wuzuki.com

 

 今回は、親不知抜歯当日の夕方以降のことを書いていきたいと思います!

 目次はこんな感じ。

 ホラー小説のタイトルみたいですね。

黒い糸

 鏡を見ながら口を開けると、抜歯した部分に黒々とした線があり、一瞬ギョッとしました。

 黒い線の正体は、糸。抜歯した歯肉の部分は、糸で縫合されています。

 この部分を必要以上に手や舌で触ってしまったり、強めのうがいや歯磨き等で傷つけないよう注意がありました。

 口の中に明らかな人工物があるのは、感覚としても違和感はあるのはもちろん、見た目としてもちょっと気持ち悪かったです……。蓮コラ的な。

歪んだ輪郭

 抜歯翌日(12日、金曜日)は普通に過ごせました。

 なーんだ、思ったよりマシだったな親不知抜歯……と思っていたら、その日の夕方、鏡を見てびっくり。

 

 左頬が腫れています。

(写真だと、左右逆なので右側)

「なにこれ……!?」

 写真だとすこしわかりづらいですが、鏡を見ると、はっきり「腫れている」感がありました。輪郭描くのを失敗したイラストみたい。なんだこりゃ。

 翌日(13日、土曜日)は外出する予定があり、友人とも会いました。飲食等の予定ではなかったのでずっとマスクをしていました。

スポンサーリンク

 

行けない誕生会

 この週末は、回復にどの程度かかるかわからなかったので、もともとあまり予定は入れていませんでした。

 14(日)昼は、友人の旦那さんの誕生日パーティーが自宅であるということで、友人からお誘いいただいていました。

 このときは腫れはひいていたものの、新たな問題が発生していました。

 口内炎です。

 抜歯当日に噛んでしまっていた部分が、見事に口内炎になっていました……。

 これまでできた口内炎の中でもトップレベルにひどい。左下の唇をめくると、まるで島のようないびつな形の、白っぽい跡がいくつもいくつもできていました……。

 あまりにもひどく、会話も食事もままならなかったので誕生会はお断りすることに。

 

 今回の親不知抜歯でもっとも強い痛みを感じ、悩まされたのは口内炎です。

 あまりにも辛かった。これはなんの拷問だよ、と思うレベルに大変でした……!

 抜歯後の痛みについてはいろんなひとから聞いていたけど、まさか、口内炎でこんなに悩まされるとは思ってなかったよ……!

 

 どれくらいひどかったか、Twitterであれこれ愚痴っていたのでそれを再掲。

  もうね、私、決めました。これからの人生どんなにムカつくひとがいても「死ね」と思うことはおそらくないと思います。そのかわり「一生治らない口内炎が大量にできてしまえ。食事も睡眠も仕事も性愛も趣味も全てに支障をきたしてしまえ」と呪おうと思います、決めました。SNS規約違反にならないタイプの呪いです。

虫歯の疑惑

 口内炎の改善の兆しが感じられたのは、翌週の10月17日(水)頃。

 そしてその翌日の18日(木)に再び口腔外科へ行き、抜歯から一週間後、ということで様子を見てもらいました。

 ここでようやく、縫合していた糸を切ってもらいました。口内の違和感は多少軽減された気がします。

 そして、口内炎の酷さも指摘され、塗り薬も出してもらいました。

 ところが……、

 親不知と口内炎にとりあえずひと段落ついたものの、まさかの、今度は虫歯の疑惑が発生!

 なんなんだよもう、いつになったら口内に平和が訪れるんだよ……と思いながら近所の歯医者へ。

 結局、どうやら虫歯ではなく、単なる知覚過敏だった模様。

 心配して損した……けど、虫歯じゃなくてよかった。

 そうこうしているうちに、やがて知覚過敏も口内炎も落ち着きます。抜歯した穴に食べ物が詰まりやすいのがしばらくは気になったりもしましたが、日が経つにつれて歯茎も回復し、詰まりにくくなってきました。10月下旬にはほぼ元通り。

抜歯、再び

 11月1日(木)に再び口腔外科へ行きました。抜歯部分の回復を確認し、右下の親不知も抜いて大丈夫そうかを診てもらうことに。

 特に問題はなかったので、11月29日(木)にこちらも抜歯を行いました。

 

 もう、前回ほどの緊張はありません。口を開け、洗浄、麻酔を終え、抜いてもらいました。

 右下の親不知は斜めに生えていたようで、抜くのも大変だったのか、前回よりもすこしだけ長く時間がかかった気がしました。

 抜くときの音も、前回のような「パキッ」「ポキッ」という感じではなく「バキバキ」というやや物騒な音がしました。

 

 抜いた歯も見せてもらいました。今回は、上下できれいに2分割されていました。

 

 この日のお昼ごはんは、前回の反省を踏まえて、口の中を噛んでしまう危険性が少ないものにしよう!と思い、リゾットを食べることに。

 口の中を噛むと口内炎ができるぞ、噛むな噛むな……と心の中で強く言い聞かせながら完食。

 

 その後の回復の経過は、こんな感じ。

▼抜歯翌日。

▼抜歯4日後。

▼抜歯6日後。

 ▼抜歯1週間後。

  あいかわらず口内炎には悩まされました。ただ、左下の抜歯のときと比べて治りは早かった。これを書いているのは12月7日(金)ですが、この日はほぼ痛みは感じませんでした。

 ただ、穴の部分に食べものが詰まりやすいのがまだまだ気になります。これに関しては、下手に歯間ブラシを使うと歯茎を傷つけてしまうことがあるため、あまりしないほうがいいようです。

 なにか詰まっても、下手に舌や爪楊枝や歯間ブラシで触れたりするより、気にしないスルースキルを身につけるほうが良さそうです。精神的にも身体的にも。

 ネットの荒らしへの対応みたいなものですね(←?)。

 

 そういえば、治りかけの口内炎に対しても同じようなことを思ってました。「そろそろ治ってるかな……?」と思って舌でそっと触れてみると、強烈な痛みが出てくる。「あぁまだだったのか、ごめん……」と謝りたくなる感じ。神経質な人間を相手にしているような気分です。

 あと、抜歯部分を縫合していた糸を切る前は、キャベツの千切りやラーメンなどの細いものを食べると、口の中の糸にこびりつく?絡みつく?ようなこともありました。そういうのに限ってなかなか外れず、地味に気持ち悪かったです。

 食べてるときは美味しいんだけど、いつまでも口内に粘着されると気持ち悪いよ……そろそろ離れてってくれ……と思いながらたびたび口をゆすぎました。

再生への兆し

 これを書いている今も、まだ、抜歯した部分の穴は回復途中。

 ただ、現段階での結論としては、親不知は抜いて良かったと思っています。

「親不知、抜かなきゃだよね……」というモヤモヤにとらわれることはもうないし、抜歯部分が回復するにつれ、口の中もスッキリしてきました。

「これで今後、歯が磨きやすくなる」という気持ちが大きいです。

 私の親不知抜歯レポは、とりあえず今回でおしまい。

 

 抜く必要があるけれど抜歯の勇気が出ない、踏ん切りがつかない……という方にとって、ほんの少しでも参考になればと思います。

スポンサーリンク

 

【第2類医薬品】デンタルクリーム 5g

【第2類医薬品】デンタルクリーム 5g

 

【前編】親不知を抜いたら意外なことに悩まされた

 歯は白骨化しても原型を留めていることから、身元確認の際には重要な部分になるとのこと。先月発覚した千葉県大網白里市での死体遺棄事件も、歯の治療痕やインプラントから身元特定を試みた結果、被害者の身元が判明したようですね。

「日本人ってあまり歯を大事にしていないよね」「他の先進国では、歯のメンテナンスはもっと当たり前に行われているのに」なんて意見もたびたび見かけます。歯並びが、家庭の経済力や育ちのよさと結び付けられる論を目にすることも……。

 

 それらの妥当性はさておくとして。10月11(木)、親知らずを抜いてきました!

「抜かなきゃなぁ」とは思いつつも、すぐに抜かなければいけないほどのトラブルもないので後回しにしていましたが、意を決して抜くことに。

 主な理由は、以下の通り。

  1. 奥歯と親不知のあいだにものが詰まりやすいのが前々から気になっていた
  2. 風邪など体調不良時に親不知が痛むのが気になっていた
  3. 結婚式や妊娠、試験、海外旅行等の予定がないうちにしたほうが良いと思った
  4. 3の理由で夏から脱毛サロンにも通いはじめていたので、これを機に、今年は身体のメンテナンスに力を入れようと決めた

 10月11日に左下の親不知を抜きましたが、今週は右下の親不知も抜く予定です。

 抜く前に感じていたこと、抜いてから感じたこと等まとめようと思います。

親不知を抜いた友人は意外と多い

 抜歯を決めたあと、「親不知、抜いたことある?」と周りの人に尋ねてみたところ、割とたくさんの人が抜歯経験があるようでした。

 体感としては、私が尋ねたうちの7割くらいの人は抜いている模様。

「右下と左下の2本だけを抜いた」という人がもっとも多かったです。上下左右全ての親不知を抜いたひともいました。

「痛くなかったよ」という人が多い、けど

 親不知を抜いた大半の人は「抜くのは麻酔がかかってるから、痛くはなかったよ」「麻酔が切れてからのほうが痛かった」と言っていました。

 ただ、意外と聞かなかったのが「抜いてよかったよ」という意見。

 これはなにも、「抜歯を後悔している」という意味ではありません(そういうことを言う友人はいませんでした)。

「抜いたメリットがわかりづらい」ということが大きいのかなと思います。親不知の抜歯って、どこかを「良くする」ためというよりは「悪くならないためにする」意味合いが大きいですし。

「抜いたらスッキリしたよ」と言っていたひとが一人だけいたのが印象的でした。

スポンサーリンク

 

 

抜歯の前に……

 佐賀県で歯科医をしている親戚にも、LINEで相談しました。口の中にスマホを突っ込んで口内の写真を撮ったり、頑張りました。THETAなど360度カメラがあれば簡単だったかもなぁ……。

 紹介状を書いてもらい、都内の某歯科病院の口腔外科にて、抜歯してもらうことになりました。

 

 紹介状が届いてから、病院を予約。まずは、歯がどうなっているのかを一度診てもらうことに。

 私の口には、奥のほうに、永久歯に生え変わらなかった乳歯のままの歯があります。

 学生時代に歯医者にかかったとき、

「この歯は弱りやすいので早めに抜いて、親不知を奥歯として活用するのが良いのでは」

と歯科医から言われたこともあったので、それなら抜歯の必要もないかも……と思っていました。抜くの怖いですし。

 でも、別の歯科医に相談すると、それは難しいという意見も多かったです。今回、見てもらった口腔外科の先生も「難しい」という意見でした。

 

「痛みやリスクの少ない抜歯方法が、近いうちに実現する予定ってありませんかね……?」

と尋ねたりもしましたが、抜歯に関してはあまり大きなイノベーションが起こる予定はない模様。もう、素直に抜歯することに決めました。

 

 抜歯日は、10月11日(木)に決定。

 抜いたあと、どのくらい痛みが続くかわからないので丸一日有休を取りました。

 いよいよ抜歯!

 そして、10月11日の13時頃、抜いてきました……!

 

 口をゆすいだあと、診察用の椅子の上で仰向けになり、口を開けます。

 塩水で歯を洗われたり、麻酔の注射が済んだかと思ったら、あっという間に抜歯が始まりました。

(麻酔の注射もちょっと怖かったけど、一瞬チクッとしただけで全然耐えられる痛みだった)

「口をずっと開いていることに疲れてきたらどうしよう」とか「麻酔が効かなかったらどうしよう」と怯えていましたが、それらに関しては特に問題はなかったです。

「抜くとき痛みは感じないけど、削られるからゴリゴリする感覚があるよ」といろんな人が言っていましたけれど、それは確かにその通りでした。下あごのあたりをゴリゴリ揺さぶられる感じ。痛みはありません。

 その状態の擬態語としては「ゴリゴリ」という音がピッタリではあるものの、じっさいに聞こえてきた音は、

「パリン、パリン」「ポキッ」という感じ。

 細い、繊細なものを壊すような音がしました。削ったり抜いたりしたときの音だと思われます。歯を割る音って意外と繊細なんだな……。

 

「終わりました」

 1時間程度で抜歯は終了。左頬は、麻酔のせいでまだ感覚がありません。

「止血のために、綿をしばらく噛んでください」と指示があったので、左の奥歯で綿を噛みしめます。

 

 抜いた親不知も見せてもらいました。3つほどのパーツに分解されていました。抜く際に割ったのだと思います。

 少しだけ赤く血がついていました。歯根のとがった部分を見たり触ったりできたことに、少し感動しました。これまで見ることも、手や舌で触れることもできなかった部分なので。

(写真を載せようか迷いましたが、ちょっとグロテスクなので割愛)

 

 ふと気づきました。そもそも、「自分の歯」って、抜いたもの以外は直接見ることはできないんですよね。あとはぜんぶ鏡越しになる。まぁ、歯に限ったことではなく、顔にあるパーツはほとんど「直接見ることができない」ものだとは思いますが……。

お昼ごはんを食べよう

 会計を済ませます。抜歯にかかった費用は3,900円でした。そして綿を噛み続けたまま病院を出ます。20分ほど噛み続けていればいいとのこと。

 調剤薬局で薬を受け取ります。痛み止めなど数種類。

 病院の最寄駅のお手洗いにたどり着いたときに、ちょうど20分くらい経っていたので綿を捨てました。

 

 とりあえずお昼時だし、なにか食べよう。せっかくこのあたりまで来たのなら普段あまり行かないところにしよう。

 ということで、病院から家に帰る途中の駅近くにある、フルーツパーラーへ行ってきました。ここに来るのは1年2か月ぶり。楽しみだな〜。

 

 ……ところが、店に入った途端、自分がすごく場違いに感じられました。

 今回私は、歯を抜いたあとはゆっくり過ごせるようにと思って、ゆるめな感じのシャツワンピースを着ていました。

 メイクも最小限でかなり薄め。

 抜歯の際にずっと仰向けになっていたので、髪もボサボサ。

 口は思うように動かないし、なんだか私すごく「病人」っぽい……。

 

 平日の昼間のフルーツパーラー。お金持ちのマダムっぽいひとが多い中、私のゆったりしたシャツワンピは、なんだか、まるで部屋着かパジャマのように思えて仕方ありませんでした。

 しばらく待たされ、奥のほうの席に案内されます。私はフルーツサンドを注文。

 さっそく食べよう、と思い、口を開けて噛もうとしたものの……うまく食べられない!!

 麻酔が残っている影響で、左半分がうまく動かせません。何度も何度も、間違って唇や口の中を噛んでしまいました。噛んでしまっても、麻酔のせいで痛みはありません。

 でも、そのぶんけっこう深く噛んでしまっているので、痛くはなくても、傷になっているのははっきりとわかります。

 そして、口がうまく閉まらないため、何もしてなくても「ブッ」って音が口から出てしまう……。恥ずかしかったです。

 

 口を動かすこともままならないということが、こんなにも不自由でみじめだなんて……。

 私の家族には現在、半身麻痺していて車椅子生活をしている者がいます。その気持ちがほんの少しだけ、わかったような気がしました。

 

 なんとか頑張ってフルーツサンドを食べたあと、気を取りなおしてお手洗いへ。少しでも身なりを整えようと思いました。

 ボサボサだった髪を梳かし、キュッとひとつに結びます。

 バッグに入れていたストールを取り出して首にくるくる巻くと、部屋着のようなシャツワンピも、こなれて一気におしゃれに。

 口紅も引くことにします。キャップをあけて紅を繰り出し、唇にあてて、右から左にゆっくり引くと、

 ……ん?

 ……あれっ?

 

 右から左に口紅を引く途中、唇の感覚がスッとなくなりました。

 唇に色はつくのですが……。

 そう、まだ麻酔が残っているので、左側の口の感覚が鈍っているんです。

 麻酔がかかっているのをはっきり自覚したのはこのときでした。どこまで麻酔がかかっているのかの境目がはっきりとわかりました。

 

 髪を結い、ストールを巻いて口紅を引いた私は、さっきの病人っぽさも抜けて、おしゃれな街でも違和感のない雰囲気になりました。

 メイクも薄めなぶん、色をつけた唇が際立って、これはこれで意外と悪くない感じ。 

 帰り際、店員さんからの「またのご来店をお待ちしています」の言葉も、(社交辞令だとしても)とても嬉しく響きました。

 

 からだにちょっと制限が出てしまうだけで、こんなにも惨めな気持ちになったりすること。

 逆に、着飾ることで自信を回復させることもできること。

 そんなことを知った親不知抜歯でした。

 ところが、予想外のことが起こったのは、抜歯の翌日以降の話……。

(後編へ続く)

 

 おまけ

スポンサーリンク

 

 

【後編】大地の芸術祭2018と、新潟県十日町市の旅の記録【2日目】

 前回の更新からだいぶ日が経ってしまいましたが、前回の記事の続きです。

www.wuzuki.com

 今回の目次はこんな感じ。

自然豊かな十日町

 1日目の夜。スイカを食べたあとは、シャワーを借りておやすみ。翌日には温泉に入るつもりだったので、髪は洗わず、軽く身体だけサッと流しました。

 ギルドハウスでの夜は、8月半ばだというのにとても寒かったです……! 薄手のパジャマを持ってきたのは失敗だったかもしれません。ブランケットを数枚かけて眠りました。

 

 朝起きると、とってもいい天気。

 

 台所と野菜を使わせてもらって、トースト、目玉焼き、野菜スープを作らせてもらいました。

 朝ごはんを食べていると、住人のひとが「昼から何人かで芸術祭を回るけど、よかったら同行しない?」と提案が!

 私は、「きょうは午前中に十日町のキナーレへ行って、温泉を楽しむつもり。それからタイミングが合えば合流したい」ということを伝えました。

 

 十日町に向かうほくほく線は、昼間も本数が多いわけではありません。だいたい1時間半に1本。そして、このギルドハウス十日町から最寄りの美佐島駅までは徒歩約20分。

 余裕を持った時間に、シェアハウスを離脱することにします。

 ここの宿泊費はカンパ制。オーナーに2000円お渡ししました。

 

 外に出てみると、昨夜は真っ暗でわからなかった風景が飛び込んできます。

 

 

 

 

 

 

 

 すごく開放感がある。

 私は、川が流れている景色が好きなので、なかなか見ていて飽きませんでした。

 

 20分ほど歩くと、美佐島駅が近づいてきました。

まるで地下要塞?美佐島駅

 「え、ここが美佐島駅……!?」

 たどり着いてみて驚きました。来たときは深夜に車で通りすぎただけなのでわからなかったけど、こんなにメタリックでカッコいい駅だったなんて……! 

 

 もっと「田舎の、古くてさびれた無人駅」みたいなのを想像しちゃってました。スミマセン。

 地下に降りると、こんな感じ。

 

 

  まるで、地下要塞です。

キナーレ「明石の湯」でのんびり

  電車に揺られ、十日町駅に着きます。

 

「越後妻有交流館 キナーレ」へ。

 この施設の中には、「里山現代美術館」や「明石の湯」があります。 

 この水は、レアンドロ・エルリッヒ「Palimpsest: 空の池」という作品。

 この作品、今回のトリエンナーレでは話題になっていた作品のようで、それを知らずパッと見ただけで済ませてしまったのを後悔……。今年、エルリッヒ展にも行ってきたばかりだったのに……!

 

 美術館も気になるけど、とりあえず温泉に入りたかったので「明石の湯」へ。

 ここ、最高でした……!!!

 とにかく綺麗。広くて開放感のある浴場。

 3つのお風呂がありました。この日は「ミント風呂」や、子ども向けのアヒルのおもちゃがいっぱい浮かべてあるお風呂もあり、飽きませんでした。

 温泉から屋外に出て、日光浴ができるところも。

 

 自然豊かな場所、という感じではなく、人工的な感じでした。

 広さと綺麗さを兼ね備えた温泉で、とってものびのびできました。

 

 お風呂を楽しんだあとは、食堂を兼ねた休憩室へ。

  

 ええっと、もう、なんというか。最高すぎました……!!!

 

 呑んだ日本酒「天神囃子」は、甘口のお酒。もう、美味しい。美味しい。

 どのおつまみにも合いました。はぁ、至福のひとときだ……。

 館内にあった雑誌をめくりながら、お酒と料理を堪能していました。

 

 そんなとき、ギルドハウスで出会った友人から連絡が。キナーレのそばに着いたとのこと。

 みんなと合流して芸術祭をまわることになりました。(お酒は飲みきれなかったので、持ち帰ることにしました)

みんなで野外作品を楽しもう

 ギルドハウスでお世話になっているという男性2人と、台湾からやってきている女の子1人、そして私の計4人でまわることに。

 台湾の子は日本語が話せないらしく、男性陣も英語はあまり得意でない模様。

 3人は、身振り手振りや簡単な英語のほか、スマホの翻訳アプリに言葉を吹き込み、そこで翻訳された言葉の画面を相手に見せる……というカタチでコミュニケーションをとっていたのが、ちょっと新しさを感じて面白かったです。 

 

 十日町で合流したあと、「農舞台」に行こう、ということになり、まつだい方面へ車で向かいました。

 私は前日に訪れたのと同じ場所に行くことになりましたが、見ていない作品もたくさんあるので、特に気にしませんでした。

 

 前日にも観た作品。「リバース・シティー」。

 

○△□の塔と赤とんぼ」という作品。

 

 

観測所」という作品。みんなで登ってみたり、パイプに耳を当てて音を聞いたりしました。

 

 

大地の恵み」という作品。この人形は「ポテトマン」というらしい。

 

この日も良い天気。

 

 

 

 

 みんなで山を登って辿り着いたのは「人生のアーチ」。雑誌でも紹介されていたので、これは見てみたいと思っていたところでした。

 この作品、気に入りました! アーチに載っているオブジェ、よく見てみると、ひとのいろんな姿をしています。

 

 

 この山からの眺めも良かった。 

  

 

 

 

 

 山から下りたあとは、田んぼのほうへ。

 これは「米の家」という作品。ベンチに座って田んぼを眺めたり写真を撮ったり。

 

 

 

 

まつだいスモールタワー」という作品。登ってみた。

 

「農舞台」エリアの作品を楽しんだあとは、別の場所にも行ってみようということで車で移動。ゆるいカーブの坂道を、どんどん車で登っていきました。

 

 

 

 

 「星峠の棚田」。いい眺め…… !

 自然が作る、さまざまな緑色にもひたすら見とれてしまいました。

 

  

 古民家が集まるエリアへ。

 

 

  

 

  

この家は「EDEN」という作品。

 

 

脱皮する家」、同行者のうちひとりが「見たい」と言っていたので訪れましたが、着いたのが夕方で、公開終了の時間だったという……残念!

 

 そんなことをしているうちに、そろそろいい時間になってきました。

 私が東京に帰る時間です。

  帰りもまた、大地の芸術祭号に乗りました。

 2日目、ちょっと慌ただしくなってしまったけど楽しかった……!

 

スポンサーリンク

 

もっと楽しみたかったものたち

 もともと1泊2日の滞在、そして車もない予定だったので、大半の作品は見れないものとして考えていました。なので今回の旅は、思ったよりあちこち行けて満足です。

 ただ、しいて言うなら、このあたりの作品も見てみたかったかも……!

www.echigo-tsumari.jp

 かつて診療所だった家を使った、ノスタルジー溢れる作品。

 

www.echigo-tsumari.jp

 閉校した小学校を使って「人間の不在」を表現したという作品。

 

www.echigo-tsumari.jp

 17歳でチリから亡命した作者が、地球儀を模して作った作品。

 

 どれも、雑誌のアート特集号で見て気になったもの。こういう、廃墟を使って人間の営みに目を向けたものや、地理学、民俗学的ちっくなものって大好きです。

 

 あと、美術館に見立てた黒い新幹線「現美新幹線」に乗ったり、大地の芸術祭と同時期に新潟市で開催していた「水と土の芸術祭」も行ってみたかったですね。予算や予定の都合上、諦めましたが……。

 

 前回も書きましたが、私、もともと旅行する趣味はないんです。

(なので、宿や交通手段に月収の10分の1ものお金をかけるのが馬鹿らしいと思ってしまう……。ほかの人がお金を出してくれるとか、だれかと交流を深める目的がある、などの場合はまた話は違ってきますが)

 あくまでも私が好きなのは、フィールドワークや、イベントや友人目的での遠出。観光にはあまり興味がありません。(じつは大学は観光地理学のゼミだったのですが)

 しかしそんな私も、今回は思いがけず旅行っぽい楽しみ方もできて、旅行好きなひとの気持ちが少しわかった気がします。

 

 この十日町旅行の翌週は、塩尻にも行けて楽しかったな。いつかその話もまた書きたいです。

 

スポンサーリンク

 

 

ひらく美術: 地域と人間のつながりを取り戻す (ちくま新書)

ひらく美術: 地域と人間のつながりを取り戻す (ちくま新書)

 
美術は地域をひらく: 大地の芸術祭10の思想 Echigo-Tsumari Art Triennale Concept Book

美術は地域をひらく: 大地の芸術祭10の思想 Echigo-Tsumari Art Triennale Concept Book

 

【前編】大地の芸術祭2018と、新潟県十日町市の旅の記録【1日目】

 旅行らしい旅行をめったにしないはずの私が、この夏は二度も遠出していました。

大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」目当てで、新潟県十日町市へ(8/18土~8/19日)。

「第85回NHK全国学校音楽コンクール 長野県大会」目当てで、長野県塩尻市へ(8/25土~8/26日)。

 いずれも、青春18きっぷを利用したひとり旅で、宿泊先は友人たちに紹介してもらったシェアハウス。

 

 今回は、十日町と芸術祭について書こうと思います。

www.echigo-tsumari.jp

 もう会期は修了してしまいましたが、通年で鑑賞できる作品もたくさんあります。

 また、「トリエンナーレ」とつく芸術祭は3年に一度開催されているので、この記事も2021年以降にお楽しみいただける部分もあるかと思われます。
 芸術祭とは関係なく、見どころやおすすめスポットもたくさんありましたので、立ち寄った際にはぜひどうぞ。

▼目次はこちら。

※今回、とても写真が多いのでパソコンかWi-fiでの閲覧推奨。

十日町までの電車旅

 早朝に起床し、午前5時半に新橋駅へ。旅行そのものは興味はなくても鉄道は好きな私は今回、久しぶりに18きっぷ旅ができることはとても楽しみでした。

 電車の中では、電子書籍で読書しつつ、電車が駅に停車するたびにポケモンGOを開きつつ、たまに写真を撮って過ごしました。

 車窓の外はしばらくは郊外の景色が続きましたが、水上駅あたりから一気に自然豊かな風景が広がり、ぐんと面白くなってきます……!

 ピンクの駅舎が可愛い水上駅で乗り換えた束の間、トンネルに入り、モグラ駅・秘境駅として有名な湯檜曽駅土合駅を通っていきます。(いつかここもじっくり行ってみたい)

 そして、六日町駅でJRから「ほくほく線」に乗り換え。

 電車を見つけたとき、思わず「わぁっ」と声を漏らしそうになりました。

 会期中の土日のみ走っている大地の芸術祭号」です。

 

(※会期は終了したため、現在は走っていません)

 そして「まつだい」駅へ。

 電車を降りると、もう、そこは芸術祭。日差しが眩しくて、とってもいい天気!

 

駅を降りてすぐの風景。通路に札がずらっと並んでいるのは「まつだい住民博物館」という作品。

まつだいの住民の屋号が書かれています。地理学・民俗学好きなのでこういうの好み。

 

 新潟は涼しいかな、と思っていましたがそんなことはなかったです。下車したあと、すぐに日焼け止めを塗りなおしました。

まつだい「農舞台」

 まず目立つのは、現代的な建物の、まつだい雪国農耕村文化センター「農舞台」。この建物の下のスペースには、「大地の芸術祭の里・総合案内所」があるので、トリエンナーレのパスポートはここで入手しましょう。

 

 

「農舞台」の中では、イダキ:ディジュリドゥ、オーストラリア大地の音」展(※現在は終了)関係 - 黒板の教室を鑑賞。

 「~黒板の教室」は、学校的なコンテンツも地理的なコンテンツも好きな私にとって、見事に私好みなものばかり置いてあって、とても面白かったです。

 

 

 

地球儀、地図、学級文庫、時間割、剥製。どれも心をざわめかせるコンテンツ。

 

「イダキ」も、じっくり観る時間があったら楽しめたかも。民俗学的なものにも興味はあるので。

 

 

 

越後まつだい里山食堂」にも立ち寄ろうか迷いましたが、そこまでお腹が減っていないこと、混雑していたことから行くのはやめました。

ブルーグリーンを基調としていて、とても幻想的。

 この建物はトイレの内装も面白かったです。トイレのそばに添えてある絵からも、なんらかの思想を読み取れそうだなと思いました。

   

 

 屋上にも行きました。眺めは普通。

 

 

 

トンボが飛んできました。もうそんな季節か。

野外作品を楽しもう

 館内をぐるっと回ったので、外に出てみることに。

 日陰で休んだり、オブジェを鑑賞したり。

 

 

ジャングルジムとカエルはそれぞれ「転がるジャングルジム」「ゲロンパ大合唱」という作品。

草間彌生花咲ける妻有」は、さすが華やか。

 

 ひと息ついたあとは、川を渡って、山のほうに行ってみることにしました。

  

 よく「田舎は何もない」と言われますが、見方を変えればぜんぜんそんなことはありません。この松代エリアだってもちろん例外ではないです。

 種類の異なる、いろんなセミの声。歩いている最中、暇だったのでセミの鳴き声をスマホに書き起こしたりしていました。(なんか最近、このブログではセミの話ばっかりしてるような……)

 大きく響く川のせせらぎ。いろんな緑色が混在する森、田んぼ。

 ひとつひとつ細かく観察していくと、とても情報量は多いです。

 そして、陽射しは都内と変わらないくらい暑かったものの、たまに軽く吹く風は意外に冷たい。

 こんなに暑いというのに、いったいどうして、木陰に入ると信じられないくらいひんやりしました。この温度差はどういうトリックなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

謎の果実? 野菜?を発見。(これが何なのかは後ほど明らかになります)

 

リバース・シティー」という作品。吊るされている鉛筆には国名が書かれている。これ好き。

 

 

水のプール」という作品。これめっちゃ好き。ゲームの中の世界に入ったみたい。

 

 

この作品、なんだったか覚えてない……。

 

何かの作業用の鉄板にしか見えなかったけど、「関係—大地・北斗七星」という作品らしい。

 

これは「夏の三日月」という作品。

 

  

 かかしプロジェクト」という作品。

 

  

 栗が落ちていた。

 

     

  

西洋料理店 山猫軒」という作品。宮沢賢治の「注文の多い料理店」の一節が書かれている。扉を開けていくことで物語の世界に入ることができる。こういう二次元作品とのコラボ、好き。

 

  

 

 「棚田」という作品。遠くから見ても近くから見ても面白い。

 

 ちなみにこれらの作品の中には、ポケモンGOポケストップポケモンジムにもなっているものもありました。確かにゲームの世界っぽい。

カフェでひとやすみ

 14時をまわった頃。もうずいぶん歩いたので、そろそろ別のエリアにも行ってみよう……と思い、まつだい駅方面にいったん戻ります。信号を渡り、松代商店街へ。

 

「商店街」といっても、アーケードがあるような場所ではありません。文字通り、商店が連なる一角でした。

 

 雪国にはほとんど住んだことのない私は、歩いている途中に見える家のつくりにも感動して、町中の写真を何枚も撮っていました。

  

 

 そう、芸術祭の作品もいいけど、こういう日常に現れるその地域の特徴を知ることのほうが本当は好きなんですよ。大学は地理学専攻でしたし。そういう意味でも、ここは見応えがあるエリアでした。

 屋根や建物、信号の形が雪が積もりにくいカタチになっているのを見て、「あぁ、雪国だ……」と思ったり、その地域に本社のあるチェーン店を見つけて感動したり。そんなことをしながら、ひたすらシャッターを切っていました。

 

 歩き回ったので、どこかですこし休みたい。さてどうしよう。 

山ノ家カフェ&ドミトリー」というカフェか、「澁い」というレストランに立ち寄ろうかと思いましたが、時刻はもう15時近く。山ノ家カフェはこの日は昼間は15時までの営業、澁いは16時までの営業で、どちらもあまり長居はできなさそうだったので諦めました。

 どうしたものか……と思ったところ、山ノ家カフェの隣にあるお店?休憩所?を発見。「かき氷あります」の文字に惹かれて中へ。

 

 ここは、「泡屋」というお店のようでした。なんというか、こぢんまりして、田舎の親戚の家のような雰囲気。雑貨が所狭しと並べてありました。雑貨の販売と飲食の提供をしているのかな。

 ちなみに、この商店街の建物なども、「松代商店街周辺における土壁による修景プロジェクト」という作品のひとつのようです。

 かき氷を食べつつ、お店のひとと少し話もしました。

 

 そんなときに、あるものを見つけます。

 

「アイラップだ!」

 先日SNSで、北陸を中心に販売している調理用の袋「アイラップ」の話題で盛り上がっているのを読んだばかり。

togetter.com

 便利らしいと聞いたけど東京には売ってない、という話をすると、お店の方が「何枚か持ってく? 旅行中の着替えを入れたりするのに使いなよ」と、アイラップを数枚くださいました……!

 また、こんなチラシも見つけました。

 

 夜は夜で、お祭りが行われるようです。その時間まではここにいようかな。

 お店の方が作ったという自家製の飴を購入し、店を後にしました。茶色い塊に粉砂糖がかかった飴は、キャラメルのような味がしました。

 街中作品を楽しもう

 再び、散策を開始。
 芸術祭の公式ページでは、車を使わず徒歩で巡回できるコースとして、「黄金の遊戯場」「カサバラタ」「ゴースト ダンス」「SF(Summer Fiction)」が紹介されていました。(※現在はどれも観ることはできないようです)

黄金の遊戯場

 派手。きらびやか。SNS映えするからか、写真を撮ってるひとがたくさん。

 翌日知り合うことになる友人も、ここで撮った写真をFacebookに載せていました。私もインスタのストーリーに載せました。

   

 

 

カサバラタ

 煙突から煙がモクモク。

  

 

ゴースト ダンス

 芸術祭の受付でこの場所を尋ねたところ、「昼よりも夜に観たほうがいいよ」と言われたけど確かにそうかも。小屋に差し込む白い明かりが、ぼんやりと夕闇に光っています。この家の前を通ると音も流れました。

   

SF(Summer Fiction)

 今回の芸術祭の中でも、トップレベルに好みだった作品。夏場は使われていない除雪車の保管庫を芸術作品に見立てたもので、まるで映画やSFアニメの中に入ったみたい。効果音や照明も効果的でした。

  

  

  

  

   

  

 こんなふうに展示されると、除雪車も、アニメの中に出てくる戦闘ロボット的な乗り物に思えてきます。

 松代夜市を楽しもう

 18時が近づいてきたので、商店街のほうに戻ります。

 先ほど行けなかった「澁い」は、夜の営業時間に向けて準備が行なわれていました。

  

 

 さっき行った「泡屋」も、昼とは違う雰囲気。

 

 おなかはすいていなかったので、飲食店ではないところに行ってみよう、と思ったら、地元の人のミニライブが行なわれているところがあったのでそこへ。

 

 本当はもっとじっくり夜市を楽しみたい気持ちもあるけれど、電車の時間もあるので19時前に離脱することに。町中の雰囲気を味わいながら帰りました。

 

 

 

 

 

 商店街からまつだい駅まで歩いて戻りましたが、駅周辺まで戻ってみて、あまりにも周囲が真っ暗なことに驚きました。

 

 昼間はあんなに鮮やかな風景を楽しめて、植物も木漏れ日も虫の声も楽しめたのに、今はまったく楽しめるものはありません。夕闇に対して畏怖する気持ちが湧いてきました。

いこて/IKOTEにて日本酒を

 十日町駅で降ります。すこしおなかがすいてきたので、どこかで何か食べようと思い適当に歩いていると、何やら丸っこいカタチの、あったかみを感じる建物が……。

   

  お酒が充実したカフェレストランのようです。2階はコワーキングスペースになっている模様。

 新潟では日本酒はぜったい飲みたい! と思っていたので、ここに入ってみることに。

 

 内装も、木を基調としていておしゃれ。

 

 おばんざいの盛り合わせと、日本酒「松乃井」を注文しました。

 お通しは、柏崎でとれた卵を使った茶碗蒸し。

  

 お、美味しい……!!

 お酒も料理も、ひとくちひとくち、胸をズきゅんと打ち抜くような味わい。

 そこまで食欲はなかったのですが、そのぶん、ひとくちをゆっくりじっくり堪能できました。

 私は普段、日本酒は甘口のものを飲むことが多いのですが、この「松乃井」は辛口だけど、とっても飲みやすい……! 舌で転がすように味わいました。

ikote.net

 ここで食べました!

ギルドハウス十日町

 食事を終え、十日町駅に向かいます。ここからほくほく線に乗り、ふたつ隣の「美佐島」駅に向かう予定です。

 宿泊予定のシェアハウス・ギルドハウス十日町は駅から徒歩20分。

 しかし……まさかの、乗るつもりだった電車を乗り逃してしまいます。

 次の電車は、1時間半後……(地方にありがちなパターン)。

 グーグルマップで調べると、歩いたら1時間のようです。

 しかし、もうたくさん歩いたのでこれ以上歩きたくはないし、何より、知らない地方の街を夜中に1時間かけて歩くのはちょっと。

 8月上旬には十日町で殺人事件も起こり、犯人も捕まっていないみたいだし……(この犯人と思しき人は自殺しているようでしたが)。

 結局、シェアハウス関係者の方に車で迎えにきていただきました。ありがとうございました。

 車で走っていて気付きましたが、周囲はかなり真っ暗。ここは想像していた以上に自然豊かな地域のようです。

 こんな真っ暗闇の中を歩いてこなくて本当によかった……と思いました。

 

住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」 | Doorkeeper

 住人・滞在中の方々は、みなさんとても楽しい方。

「スイカ食べる?」と言ってくださったので、いただこうとしてみて気づきました。

 ……あ!

 

 昼に、まつだい農舞台のところで見かけたあの謎の瓜だ!!

 メロンか瓜かなと思っていたのですが、スイカだったとは。このスイカも美味しかったです。 

 

 さて、長くなってしまいましたが1日目の記録はこのへんで。

 次回は、2日目について書こうと思います。今回ほどは長くなくて、人ももっと登場する予定です。

 

▼ 行きの電車の中で読んでいた本はこれ。「ええやん!朝活」読書会で知った本です。短いエッセイ集で、書き口がとってもコミカルで面白い。旅行ブログを読む感覚で読めます。

わたしの旅に何をする。

わたしの旅に何をする。

 
アイラップ 60枚入

アイラップ 60枚入