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架空の街、あるいはメディアリテラシーと炎上騒動 ―「国際信州学院大学」について―

 先日、Twitterを発端にこんな炎上騒動がありました。

togetter.com

 この騒動の経緯を簡単に説明しますと、こんな感じです。

「国際信州学院大学の教職員が予約をドタキャン。50人分の料理を捨てる羽目になった」という「うどんや 蛞蝓亭」のツイートが炎上。しかし、うどん屋も大学も架空のもので、これはいわゆるネットでの「釣り」案件だということが判明。

 Togetterのコメントや、はてなブックマークコメントでは、この件については賛否両論あるようです。

 否定的な意見としては、

「虚偽の情報を投稿するな」

「“信州”と実在の地名を使われるのは地元民として不快」

「大学職員のイメージや、似た名前の大学のイメージ悪化にも繋がりかねない」

「使われている画像は無断転載では?」

「せめてエイプリルフールにやってくれ」

「そもそもコンテンツとして面白くない」

というものがあり、

 肯定的な意見としては、

「ネタだということくらいすぐにわかるのでは」

「ネタをネタとして楽しむ空気がなくなるのは寂しい」

「実在の学校や企業名を使ってるわけではないから、法的にも問題はないと思う」

「誰も被害者はいないのになぜ怒る人がいるんだろう」

「嘘を見抜く訓練になるから良いと思う」

「昔の2ちゃんねるっぽさがあってこういうの好き」

というものが主流のようです。

 ちなみに、私の意見はこんな感じ。

 この100字では書ききれなかった思うことあれこれ、もう少し詳しくここで書こうと思います。

「被害者はいない」って本当?

 たしかに、ドタキャンされた店も晒された大学も存在しません。なので、誰も「被害者」はいないはず……という意見は一理あると思います。

 ところでこの騒動について、震災時のデマや誤報を引き合いに出している人もいましたが、私は震災直後に見たこのツイートを思い出しました。

 なにが言いたいかといいますと、自身が被災したわけではなくても、メディアによる二次被害は起こりうるということ。
 感受性が豊かで共感力の高い人だと、自分とは関係ない地域の知らない人の体験談だって、自分事のように憤ったりハラハラしたり安堵したり微笑ましく思ったりすることはあるでしょう。
 心を痛めることにもコストはかかるんです。誤報だというのならまだしも、虚偽のものだったということには怒る人がいるのは当然だと思います。

フィクションとの違いは?

「作り話がダメだというのなら、小説やアニメやドラマはどうなるんだ」という意見も見かけました。

 フィクションはそもそも「これはフィクションである」という前提を把握した上で楽しむものだと思います。 

私小説」というジャンルはあるにしても、基本的には小説ジャンルのレーベルはフィクションとして読まれると思いますし、ドラマもドキュメンタリーとは区別されています。

(特に断りがない場合、)電撃文庫創元推理文庫を実話だと思って読む人はいないでしょう。「逃げ恥」や「半沢直樹」を実話だと思いながら観ていた人もいないでしょう。

ケータイ小説の「恋空」は、「実話を元にしたフィクション」ということで話題になったものの、「実話にしては不自然な描写が多く、作り話が大半では」と批判されていたこともありましたが)

 逆に、新聞に載る内容(小説や漫画を除く)、テレビのニュース番組で取り上げられる内容は、基本的には「実際にあった出来事」として認識する人がほとんどでしょう偏向報道などの問題はまた別の話として)。

 

 では、Twitterはどうなのか。

 いくら、「ネットにはデマが蔓延っている」「テレビや新聞や本とは違い、編集を通していないのでデタラメが多い」とはいえ、基本的には「作り話を書く場所ではない」と思っている人が大半だと思います。

 創作関係のアカウントや、現実の自分ではないキャラクターになりきる人がいるとはいえ、そのようなユーザーが多数だと認識している人はあまりいないと思います。

 また、作り話が流れることが前提のツールだとしたら、事実ではない内容の投稿は、そもそも問題視されることはないでしょう。(まぁこれは鶏が先か卵が先かという話でもありますが……)

 

 家族や友人との日常会話でも、基本的には実際にあった出来事を話すことが多いと思います。

(空想と現実の区別が未熟な幼児が嘘をつくケースや、やるべきことをやっていないのにやったと言ったり、飲み会だったのに仕事だと言ったり、見栄を張ったり話を盛ることはあるにしても)

 作り話をして相手がそれを信じるさまを見て楽しんだり、見抜いてもらうことを面白がる……というケースもあるかもしれませんが、それはあまり健全なコミュニケーションとはされないでしょう。

そもそも疑うのは難しい

「流れてきた情報を鵜呑みにして拡散することにも問題がある」という意見も見かけましたが、まぁ、それも一理あるとは思います。
 ただ、「タイムラインに流れてきた情報をひとつひとつ精査し、その上で拡散するかどうかを決める」というのは、理想的ではありますがあまり現実的ではないかな、と。

 たとえば、私は現在のメインアカウントでは約1,500人をフォローしていますが、何気なく開いたタイムラインには、たとえば、こんな投稿がありました。

LGBTが左利きと同じくらいいるというのは初めて知った」
「昼食後の眠気は難消化性デキストリンで抑えられる」
「この本の読書会は、本日21時から開催となります」
「年の離れた妹からこんな手紙が届いた」
「芸能人の○○さんのインタビューでこんな名言があった」
「仮想通貨は損益通算が認められる可能性は低い」

などなど……。

 事実ではなかった場合に他者に大きく被害が及ぶもの(特定の地域や組織、人を名指ししての被害報告、深刻な病気についての医療情報、災害に関する真偽不明の情報、警察署の連絡先が載っていない行方不明の人探しツイートなど)は、むやみに拡散すべきでないと思いますが、そうでない場合はそんなに神経質にならなくてもいいんじゃないか、と思います。
 流れてくるツイートひとつひとつについて「これは本当なのか?」「この情報源は正しいのか?」と「疑いの目を向けること」自体が、けっこうな精神的負担となるでしょう。

 また、今回のうどん屋ツイートに騙される人が多かった理由の一つには、「そんな嘘をつくメリットが見当たらない(だから事実だろう)」ということも大きいのではないかと思っています。
 これが「1日で○万円稼げる高収入なお仕事! 詳しくはLINE→@****」のようなものだと、「これは嘘だろう。情報教材への誘導や、個人情報収集の目的だろう」と疑いの目を向けることもしやすいのですが、うどん屋のツイートは嘘をつくメリットが見当たらないため、初見で嘘だとは見抜きにくい……というのはあると思います。
 まぁでも、騙されること自体は仕方ないとは思いますが、無批判に拡散するのはあまり褒められたことでもないなぁ、とは思います。

相手の名前を出すことについて

 そもそも、仮にツイート内容が事実だったとしても、このようなツイートは私は望ましくないと考えています。
 そもそも、何のためにツイートするのでしょうか……?

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 これまでも、飲食店のドタキャン被害ツイートは見たことがあります。
「無駄になった料理、どなたか食べにきて下さい」という募集や、「このようなことをされると大変困ります」などの注意喚起を目的としてのツイートが大半です。
 そのおかげで食材が無駄にならずに済んだり、リマインドを徹底する店が増えたり、ドタキャン防止に繋がるサービスを作る人が出てきたりもしたようで、それは良いことだと思います。
 しかし、「料理を捨てる羽目になりました。○○さん、二度と来ないでください」とツイートすることに何のメリットがあるのでしょう……?
 まぁ、ドタキャンへの注意喚起としての効果はあるかもしれませんし、炎上を通じて店の知名度も上がるかもしれません。でも私は、このような形で特定の団体を晒し上げるところにはいいイメージは持てません……。ドタキャン被害は同情しますが。

 

 今回のうどん屋の作り話の件とは別に、3月頃に似たような投稿が話題になったことを覚えている人も多いかと思います。(というかおそらく今回の件も、このときの炎上騒動をもとに作ったネタだったのでしょう)
「○○小学校の教員の皆さん、二度と来ないで下さい」と、飲食店から批判された小学校のウィキペディアやグーグルマップのレビューは炎上。
 その後の報道によると、どうやら小学校側は予約したつもりはなく、日程の確認をしただけのつもりだった……ということが判明。
(余談ですが、これに関しては私も似た経験があります。カラオケ店でアルバイトをしていたとき、アルバイトの面接希望の学生から電話がありました。「今は担当者は不在。明日の12時頃には来るので、そのときに折り返し連絡をさせます」と答えたら「明日の12時に面接」と勘違いしたらしく翌日に店に来てしまった……ということが)

「二度と来ないで欲しい。出禁にする」というだけならそれは相手に伝えれば良いことで、全世界に公開されるSNSで、名指しで書くことでもないと思います。場合によっては、「こちらは予約をしたつもりはない。してもいないのにドタキャンと書かれて迷惑している」と、店が名誉棄損で訴えられる可能性もあるでしょう。
 小さいコミュニティ内で、「予約してくれた○○さんと連絡がつかない。誰か連絡先や情報を知らないか」という内容を拡散することはまだ理解できるのですが、単に、晒し者にするために名指しで愚痴を書く必要はないと思います。

 まぁ、「スープよりも先に麺や高菜を食べてしまったら追い出されるラーメン屋」など、独自の謎ルールがある飲食店はあるので、そのような路線だというのならそれはその店の自由ではありますが……(来店客への名誉毀損にならない範囲で)。

 

 そういえば、今回の「国際信州学院大学」の炎上については、「“信州”なんて実在の地名を使うな。信州大学と勘違いする人がいるかもしれない」という意見があり、当初は私は「さすがにそれはないだろう」と思っていました。
 しかし、最近問題になった日本大学アメリカンフットボール部」による悪質タックルについて、日本体育大学日本大学ラグビー部」に問い合わせやクレームが来る……という事態も起こっているようであり、「間違えるわけがない」とは言い切れないかもしれないと思いました。

どこからが「拡散」?

 上記のようなツイートを脊髄反射で拡散することは批判したいと思いますが、ただ私は、「デマ拡散はすべて悪だ」という風潮にも疑問があります
 というか、どこからが「拡散」になるんだろう……と思ったり。

 Twitterだと「RT(リツイート)」機能があり、これを使っての「拡散」が一般的だと思いますが、最近だと仕様が変わり、「Fav(お気に入り)」することによっても「○○さんと××さん、ほかn名がこのツイートをお気に入りしました」などと通知されることも。
 また、RTにしても、「みんなに広めたい! 知ってもらいたい!」という動機や賛同によるものだけではなく、RTしたあとに「これ本当かな?>RT」「何言ってんだこいつ >RT」などとツイートし、疑問の意を呈するために使う人もいますね。
 最近は、「引用RT」もできるようになりましたが、「引用RTは相手から嫌がられやすいのであまり使わない」という人も(私も、ライターのヒラギノ游ゴさんにそれでブロックされたことがあります)

 また、「お気に入り」がわりにRTする人も。
 あとでツイートを参照したい際、「お気に入り」したツイートのログを記録できる「Favolog」よりも、RT含むツイートを記録できる「Twilog」のほうが記録の精度が良いと感じている人もいるようです(私も、ふぁぼろぐでは取得漏れを感じることも多い)。
 また私は、差別的な内容の記事に対して批判的なコメントを添える際「はてなブックマーク」もよく使いますが、これも「差別的な内容を拡散している」と位置づけられてしまったら嫌だなぁ……とも思ったり。

 

 落としどころとしては、
「災害など緊急時に、混乱を引き起こす可能性が高い真偽不明の情報を、無批判に拡散しない(その情報の間違いを伝えたい場合、引用RTやはてなブックマークなどで、否定の文言と同じひとつのURLでシェアするのは可。引用RTやリプライではない、RTしたあとに独立したツイートで否定の文言を書くことは不可のようなカタチが良いのでしょうか……?

「お気に入り」は微妙な位置づけな気もしますね。情報の精査をするためにクリップしておくつもりでお気に入りすることは悪いこととは思えませんが、お気に入りすることで「話題の投稿」と拡散扱いになることもありえそうでしょうし。

 また、鍵アカウントユーザーか公開アカウントかでも違いはあるでしょう。鍵アカウントなら公開アカウントよりも許される(=問題になりづらい)表現はあるでしょうし、ではどこまでならいいのかが気になったりも。 

 ……うーん、SNSの仕様もどんどん変わりますし、あるべきSNSマナーやルール、ネチケットを一枚岩で考えることは難しそうな気もします。過去の判例を参照しても、そのときとは変わっている機能も多いでしょうし。だからと言って何も考えずに投稿していいわけでもないですが……。
 ところで、この記事を書いている最中、3.11のときのTwitterの「非公式RTではなく公式RTを使って」という呼びかけを思い出しました。あのときは、アプリによっては公式RTも非公式RTのように見えてしまうことがあって、「非公式RTはやめようよ」とリプライを飛ばしてモメそうになってた人もいたなぁ……。

表現の自由で守られて欲しい、けど

 2ちゃんねるの頃から、このような「作り話での釣り」は、個人的にはあまり好きなコンテンツではなかったりします。
 しかし、ネット上で、普段の生活とは違うキャラクターになりきることは悪いこととは思えませんし、他人を陥れる意や、大幅な情報混乱を引き起こすわけではないのなら嘘もいいと思います。表現の自由」の観点から、「本当のような嘘の話」を書く権利は、可能な限り守られて欲しいと思います。
 アプリ「ドキドキ郵便箱」で、「別人になりきって知らない人とメッセージのやり取りをするのが楽しい」と言っていた友人もいて、なるほどそういう遊び方も楽しそうだなぁ、と思ったことも。
 そもそも私の世代だと、子どもの頃に「ネットに本名や個人情報など本当のことは書くな」と言われて育った世代なので、本当のことを書く行為のほうに抵抗がある人も一定数いると思います。(私は逆。SNSの普及によって「女の子が顔や名前を出すのは危ないよ」といちいち言われなくなったのが嬉しい)
 
 そういえば私は6年ほど前、内田樹先生の著書にドはまりしていた時期があり、内田先生が高橋源一郎さんとともに編集した『嘘みたいな本当の話』という本を読んだことがあります。これは大変面白かった。
 続編も読んでみたものの、やや嘘くさい過剰な話が多くなり、あとがきにも「嘘であるか本当であるかは関係がない。そういうことがあってもいいかもね、と思えるようなエピソードであるかどうかが大切」というようなことが書かれていて(本が手元にないのでうろ覚え)、「そっか、作り話も多いのか……」と感じて一気に萎えてしまったことを思い出しました。
 なにが言いたいかというと、私は「嘘と本当」の落差を感じると萎えてしまうほうで、あまりそういうコンテンツを楽しめるほうではないのですが、嘘のような話を聞いても、「そういうこともあってもいいかもね。本当でも嘘でもどっちでもいいね」「あちゃー、本当のことじゃないのか。騙されちゃったよ」と楽しめるタイプの人の権利もきちんと守られて欲しい、うまく棲み分けられるといいな、とは思います。

 そういえば子どもの頃も、仲のいい友達にはよく嘘をつく子がいました。明らかに嘘っぽい話をされてもどう振る舞えばいいのかわからず、コミュニケーションの際にすごく混乱したのを覚えています。

 そもそも面白くない……

 今回の炎上騒動について「面白いんだからいいじゃないか」という意見の人もいましたが、ごめん、私は全然面白く感じなかった……。

 虚構新聞のようなニヤリとできるようなひねりや風刺もオチもないし、ただの「作り話」で、ネガティブな感情が残っただけで、コンテンツとして特に面白みは感じませんでした。

 同じ作り話でも、こういうものならニヤリとできました。古いツイートですが。

  本当だったらひどい内容だけど、ここまできたら明らかに嘘でしょうし、当時話題になっていた炎上事件を皮肉っていて面白いと思いました。


 発達障害等で言語外の情報を読み取るのが困難な人もいると思いますし、有事の際などにはそのような人への配慮も必要かと思いますが、平時には多少のジョークは言える社会であって欲しいです。

 

 あと、「国際信州学院大学」のサイトのクオリティの高さを褒めていた人もいましたが、ごめん、私はクオリティ高いとは思えなかった……。
 まぁ、なんだろ。たとえばこれを平成20年代生まれの子が作った、とかいうのならいろんな意味ですごいと思いますが、コンテンツ単体で見た場合には、特にすごいとは思えませんでした。

 たとえば、前回のブログでも紹介した、空想地図作家の「地理人」さん。デザインもできる彼は、地図だけでなくさまざまな「架空」のものを描いています。
 このページでの「中村市内での落とし物」なんてすごい。全部、実在する企業や学校のもののように見えます……!

中村市内の落とし物 – 空想都市へ行こう!

(※地理人さんの名誉のために言っておきますが、別に、これらを悪用したり他人を騙すために彼はこのようなものを作っているわけではありません。また、人物の写真を含むものも、顔写真を貸してくれる人を募って許可を取った上で制作されています)


 国際信州学院大学も、このクオリティのものがあったら「すごい!」と思ったかもしれません……(苦笑)。

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